TOEIC対策 西澤さんとの対話 其の一

2010年7月23日
カテゴリ : 多読, 多読と受験
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とっくにアップロードしていたつもりがしていなかった!

みなさん不思議に思われたことでしょう。いきなり「其の二」だったのかな?

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さて、西澤さんからいただいたメールの話題一つに一つの記事でわたしの意見や
感想を書いていきます。

西澤さんがそれを読んで追加の意見や感想をお持ちになれば、
またメールを寄せてくださるでしょう。それについては「其の一」などの分け方で
随時記事にしていきます。

で、今回はいただいたメールのいわば序文について・・・

  (なお、全文は ここ にあります。)

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 酒井先生 西澤です

世の中のTOEIC一辺倒に見直しを求めたいという気持ちは分かりますが、
外資系企業の現状を根拠とするTOEIC否定は、多くの日本人英語学習者にとり不幸だと思います。自らの英語運用能力に自信を持てない多くの人は、自己評価できるようになるまで、なんらかの測定指標で、自らの進歩を測りたいと思うのが自然です。使い方を間違えなければ、TOEICは優れた測定指標ではないでしょうか(測定範囲が広く日本人の実態にあっていて再現性も高い)。

この段落では、わたしはTOEICを否定しているという部分と、
多くの日本人学習者にとってそうした否定が不幸かどうかということに
意見を述べることにします。

* まず、TOEICの否定について・・・

今日本で行われている形のペーパーテストをわたしはほとんどすべて否定するので、
TOEICもその意味では否定する中にはいります。西澤さんのおっしゃる通りです。

けれども、実は単なる否定ではなく、もうちょっと複雑なのです。
その点がまたしても舌足らずだったと思うので、少しくわしく書きます。
(一言でいえば、「複雑な気持ち」・・・ですね。)

わたしの立場は二つ目の記事で書いた次の部分で明らかだと思います。

  英語ができる → TOEIC高得点  はあるとしても、

  TOEIC高得点  →  英語ができる 

  とはかならずしもならない・・・

これは当然のことで、西澤さんはもちろんわかっているわけですが、
「多くの日本人学習者」はそうは考えていないと思われます。 

TOEIC受験対策は不毛だと思いますが、試験自体を否定するのはどうか?

TOEICに限らず、試験には 上の 逆方向を促す性質があると思います。
そこにわたしが  試験=ほぼ必要悪  と考える原因があります。

  (「ほぼ」と限定する理由は前に述べたように、時間とお金をかければ、
   「試験」の名の下に 対象者の力や性向や素質を、ある限定的な範囲で
   かなり正確に判断できると思われるからです。TOEICはもちろんそれだけの
   時間もお金もかけてはいないと思われます。)

したがって、TOEICが試験である限りは「ほぼ必要悪」を逃れることは
できません。その意味で、わたしはTOEICを 試験である ということで否定します。

  (わたしが多読授業では試験をせずに出席だけで成績を決めていたとき、
   大学教育センター長と、教育担当副学長と、教育委員会の委員長に
   呼び出されて、試験をしろと迫られました。

   何度かの激論の末、わたしは折れて試験をするようになって現在に
   至っていますが、怒鳴り合いの中で、教育センター長が

   「試験をやらずに学生が勉強すると思いますか!」

   と叫んだことにわたしは衝撃を受けたのでした。)

* TOEICを(ほぼ)否定することは日本人学習者にとって不幸か?

「TOEICは単なる測定手段なので、その特質をよく知った上で、
適切に使いましょう。」という方向に、議論が向かうことを期待します。

わたしもその方向に議論が向かうといいと考えています。

わたしは西澤さんの望む方向をこれまでもめざして発言してきたつもりですが、
TOEICの点数を逆方向に(つまり、点数が高ければ英語ができると)考える人は
社会人には非常に多いと思われます。

そこで、ある程度強い言い方でTOEICの試験の面、つまり必要悪の面を
強調する必要があると思うのです。

豊田高専でTOEICの点数が順調に伸びている(再現性高く、つまりたくさん
読んでいれば高い点数が出ている)のは、
* ドーピングをしていない、
* 学生たちが試験慣れしているので、社会人の場合ほどTOEIC受験を
  プレッシャーに感じていないと思われる、
* そして、いちばん大事なのは西澤さんたち支援する先生方が
  「単なる測定手段」だと考えていらっしゃる、
ためだろうと想像します。

ほとんどの社会人は、ドーピングこそがTOEICの点数を上げることであり、
「英語力」を上げる(唯一の)方法と考えているようです。
(ブログをいくつか見た印象ですが、ブログで見る限り、全員がドーピングを
 勉強と考えているようです。)

TOEICに対して、豊田高専の先生方のような揺るぎない態度を見せる人が
周りにいないからかもしれません。

TOEIC対策としてドーピングがこれほど広まっている以上、
少々効き目の強い antidote (解毒剤)が必要なのではないか、
わたしにはそう思われます。

「TOEICは再現性が高い」--それだけを聞いたら、いよいよドーピングに
拍車がかかる可能性があります。

西澤さんはお忙しいので、わたしがトピックごとにつける意見にいちいち返信する
時間がないと思われます。いつか適当な時期にまとめて、あるいはあっさりと
意見類は感想をいただけたら幸いです。

続く