お勉強派からの転身?

2009年11月12日
カテゴリ : 多読, みんなの集まり
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わたしが電気通信大学で毎週水曜日に開いている「だれでも多読サークル」には
何人かとても手強いお勉強派の人たちがいます。

すでに何度かその人たちの様子を報告しましたが、きょうはその中でも飛び切りの
お勉強の人がどう変身したか?

「だれでも多読サークル」参加1周年を記念して(?)感想を書いてもらいました・・・

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「多読」の一年間を振り返って           

一年程前から英語の「多読」を始めました。

私の英語歴を振り返ってみると、その第一期は中学時代から大学受験までです。大学では仏文学を専攻しました。再び英語を勉強してみようと思った第二期はそれから約15年のブランクの後、たまたま英語好きの友人に出会って「英検」に目覚めてからのことです。まず「2級」、続いて「準1級」に挑戦、これらはすぐ取得できたのですが、その後少し時間を経て8年前にやっと1級にたどり着きました。

英語学習には随分時間と経費をかけました。YMCA,ベルリッツを始め「英検1級」の塾なども含めて様々な語学学校に通い、アルクの「ヒアリングマラソン」他、多くの教材を購入し、ラジオの「英会話」→「英語会話」の時代には通算15年ほど殆ど毎月テキストを購入(時にはテープも)、「やさしいビジネス英語」も何年間か聞いていました。私にとって英語は長い間生活の一部だったはずです。

 それでも何となく英語が身に付いているという感覚がなく、特にいわゆるリスニングが苦手という「不快感」は一生付いてくるのかとあきらめかけていたところに「多読」のメソードを知りました。

最初に酒井先生のレクチャーに出席し今までと全く異なる英語へのアプローチがあることに驚きました。「多読」の絵本の紹介の中で、犬が登場する一冊は出てくる単語はただ一語の「fetch」のみなのにストーリーが楽しめたこと、他の絵本中ではおなじみの単語「cross」に私が知らない基本的な意味があったこと、「climb」は上るだけではなく降りるときも「climb」でありえることなど、自分のそれまでの「英語」がいかに英語ではなかったかということに気付き目から鱗でした。

 「多読」を始めるに当たっては三原則の「辞書を引かない」「分からないところは飛ばす」「楽しくなかったら読むのを止める」を守るよう先生から固く言い渡されて、概ね守りながら続けてきました。三原則を守る読み方というのは「英語の勉強」とは対極にある英語での楽しい読書です。以前は英語の本を一冊読みこなすというのは私にとって大変な作業で結局何度も挫折し「苦労して取った英検1級のレベルはこんなに低いのか」と自分を責めていました。今は無理なく読めるものを選んでいるとはいえ週2冊以上のペースです。不思議なことに、あまり単語を引く必要のない簡単な本でも数多く読むと読書のスピードが上がり、必要に迫られて読む難しい本も今まで以上に楽に読めるようになってきています。少し英語が身に付いてきたということなのだと思います。

私にとっては「辞書を引かない」という原則が一番厳しく、その点は「多読」として読むものについては辞書は引かない、「Time」や「The Economist」を読むときは情報取得のために必要な”technical term”については一度通読した後で確認のために引くことはしています(先生ごめんなさい)。でもその都度立ち止まって辞書を引くという悪しき習慣からは解放され、かえって非常に楽に読めるようになりました。

今の目標はこのメソードにもっと多くの時間を割き、さらにリスニング力を上げることと自然な英文が書けるようになることです。毎週2冊の本と付属のCDをお借りして延べ4~5時間は聴いているので、映画も字幕なしで「あれっ、もしかして聞き取れているのかな?」と思う瞬間が以前よりは多くありますがもっと聴かなくてはと思っています。ライティングに関してはまだ従来の文法にがんじがらめの英文から抜けきれないせいでしょう。常に定型化したものになってしまうので今は英文を書くことが楽しくありません。「多読」によって将来的には自分の文体ができるところまでいきたいと理想を高くもっています。

昨年まで年齢的にも自分の英語力はもう頭打ちかと思っていたことを考えると本当に「多読」との出会いは幸運だったと思います。まだまだ進化の余地があると思えるようになりました。楽しく続けたいと思います、

最後がなんともうれしいですね。
「まだまだ進化の余地があると思えるように」なった・・・ うれしいです。

で、この方(Nさん)のお勉強ぶりをちょっとだけ補足します。

わたしは掲示板ではとにかくだれでもかれでもひたすら褒めているように
見えるかもしれませんが、実際に顔を合わせたり、話しこむと、かなり厳しいことを
言います。ときにはそばにいる人がびっくりするほどです。ときには掲示板でも
厳しいことをいうことがあります。

Nさんの場合も、初めてお話しして、お勉強ぶりにびっくりして、かなり厳しいことを
言いました。なにしろ何年間か、ある翻訳専門家から翻訳の指導を受けていて、
毎週10時間もかけてアメリカの週刊誌TIMEの記事を訳したりしているとのこと。
そして、それを指導する先生は精読を厳しく指導なさっているというのでした。

それでわたしはNさんに、多読をいろいろ説明して、三ヶ月だけ翻訳はやめて
くださいと言いました、そして多読だけをやってくださいと言いました。
それを翻訳の先生に言えたら、来週の水曜日に来てくださいと。

でも三ヶ月間多読してみて手応えがなかったらどうぞ翻訳の指導に戻って
くださいとも・・・

次の週、Nさんは「都合で6ヶ月休みます」と言ってきましたと報告しました。

上の感想でおわかりだと思いますが、Nさんは考えられるかぎりの学習法を
真剣に試したようです。それだけにわたしはあまり大きな期待は持ちませんでした。
三ヶ月後に「やはり辞書と文法に戻ります」とおっしゃることを半ば以上覚悟して
いました。ところがそのまま「だれでも多読サークル」に通ってくださって、
上のような感想になったわけです。

さいわいこの方の場合はお勉強がそっくりそのままよい方に転化しそうです。
(足を引っ張り続ける例もいくつもありますからね)
聞くことも、書く方も大きく変化していくのではないかな?

Nさん、報告をありがとう!

来週の水曜日には Free Writing の話をこの方にしましょう。
そしてまたいつかそれでどんな変化があったか、なかったか、報告します。