読書礼賛

2010年5月31日
カテゴリ : 多読, 多読的リスニング(多聴), 多読亭日乗
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インターネット礼賛から読書礼賛につながるというのは、皮肉というべきか、
すばらしいというべきか・・・

読書の楽しみは場合により何にも勝りますね。
勝手に情景を描き、好きなように登場人物を想像できます。

もう一度「王と鳥」を見ながら、ある短編小説を思い出したのでした・・・

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その小説も「王と鳥」とおなじくフランスの作品で、Marguerite Yourcenar という
女性が書いた Comment Wang-Fo fut sauve という短編です。

何度か書いていますが、この短編小説をわたしは「読んだ」わけではないので、
読書礼賛にあたるのかどうか、実は「微妙」です。
こども向けに短くした絵本の朗読を100回近く聞いているのです。

文字はまだ一度も見ていません。
でもなぜか、わたしには読書に思える・・・ 
絵本だけれども絵も見ていません。
不思議です。
この朗読を聞くときは「純粋な読書の喜び」に浸っている気がします。

もっとおかしなことに、100回近く聞いているのに、
話はまだ3分の2くらいしかわかりません。

せいぜい3分の2なのに、わたしが頭の中で作った物語は
これ以上はないくらい美しいのです。

頭の中で自分のいちばん心地よい話に変える余地が、
読書はいちばん大きい--だから「読書礼賛」です。

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なお、Comment Wang-Fo fut sauve を収めた短編集の原題は
Nouvelles Orientales で、日本語訳は白水Uブックスで
「東方奇譚」 となっています。

どちらも持っていますが、どちらも読んでいません。
わたしが勝手に作り上げた物語のほうがすばらしいかもしれないし、
読めそうな気がしないからです。

翻訳のほうはプレゼントでいただいたのですが、
原作と自分の作り上げた物語がどうちがうか知りたい気もするし、
もうすこしこのまま聞き続けて、全部の物語を作り上げてから
読んだ方がいいかなとも思うし・・・

だいぶ話がずれましたが、もともと読書の楽しみなんて
すっきり書けるはずはないので、このままブログに載せてしまおう・・・