【新しい旅立ちへ・・・】 メモ 多読的精読について

2011年3月21日
カテゴリ : 多読
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数日前、ある人と話していて、わたしの言う「多読的精読」が非常にわかりにくいかも
しれないと判明。

で、ここはちょっとくわしく・・・

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  (でも、メモなのだから、考え込んではいけない)

*何度も書いているように、わたしの言う「多読的精読」は 

 「さらっと読んで、深くわかる」

 こと。

*つまり、よくわからないぞ?という文に出会って、飛ばしてしまうのが 多読。

 けれども、わからないところで立ち止まって、従来の精読(辞書+文法)を
 はじめるのは多読的精読とは呼んでいませんでした、わたしは。

*にもかかわらず、精読 ということばが入っているので、
 多読をかなりやったあとで辞書と文法をくっつけると、
 これまで言われていた精読ができるようになって、
 それを「多読的精読」というのだろうと受け取っているかもしれません。

 多読がうまく行って、従来の精読がうまくいかなかったのは
 多読と精読にかなり根本的な違いがあったからだと思われます。

*「多読的精読」という言い方は、せっかく見つかったその根本的違いを
 ぼやかすものでした。

*そこでわたしはこれからは多読的精読という言い方を使うのはやめにしようと
 思います。

 ただ、学校英語の亡霊を呼び出してしまうだけのようなので・・・

*さらっと読んで、深くわかるには、
 劇薬シャドーイングでことばのリズムやメロディーを体感することがいちばん
 かもしれません。まだ予感の段階ですが。

*ただ、辞書+文法ではまずまちがいなく さらっと読んで、深くわかる には
 到達できないと予想しています。

*ことばというのは 辞書+文法 みたいな簡単なものではないのだよ、
 ワトソンくん!

メモ、終わり! 舌足らずの点はどうぞメールあるいは「いろりばた」で質問を!