「学習」として多読をはじめる人に何をどう伝える? 「パピイ」さんから

2010年8月30日
カテゴリ : 多読
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「うさぎの春子」さんが多読8周年。

そして「パピイ」さんは7周年だそうです。

折しも(古い?)「みんなの広場」の6233の投稿で、「みぃみぃ」さんが
かつてのマガジン・アルクの後身 SPACE ALC のわたしの記事を紹介して
くださいました。

そこで、パピイさんも学習目的で多読を始めた頃を振り返ったメールをくださった・・・

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 酒井先生、こんにちは。

多読を始めてから、今月でちょうど7年が過ぎました。
石の上にも3年という言葉がありますが、辛抱や我慢をせずとも10年くらいなにかを続けるとそこそこのものになるだろうと思っていますので、あと3年たったらと思うと楽しみです。

10年たったらいったいどうなっているか・・・

考えるだけで楽しいような、恐ろしいような・・・!

「SPACE ALCに多読紹介記事♪」のレスに、
〉学習として入ってくる部分がうまく動いてないようなので、
〉今後は学習と考えて多読をはじめる人も来やすいようにしなければいけないかと思い始めたばかりです。

とありましたが、私が多読を始めた時は学習効果もかなり期待していましたので、ご参考になるかもと思い、私の経験を紹介します。

失礼しました。ここはわたしの書き方が曖昧すぎました。

わたしの投稿の「学習として入ってくる部分がうまく動いてないようなので」
という部分は、多読の入り口として期待していた掲示板が期待したようには
続いていないようだ、ということをある人から聞いて、
その掲示板のことを遠回しに言ったつもりだったのですが、遠回しすぎましたね。

  (今回の表現で、おわかりだろうか?)

けれども、こうしてご自身の「多読初期」を振り返ってくださったので、
まさに、多読村が「多読初心の人たち」も迎えるためにはよい報告になったと
思います。

■従来の英語学習での不満
1) 単語や熟語の意味を知っても、実際どういう風に使われているのかわからない。(例文が少なすぎる)
慣用句に至っては、ほんとうにこれ使っているのって感じるものもありました。
以前お話した、once in a blue moonなどです。

たしかに・・・

once in a blue moon は、結局まだわたしも見ていません。

パピイさんはついに見たのですよね。(わたしを追い抜いたと言っていいわけです。)

2) 冠詞、単数・複数、前置詞の使い分けがよくわからない。
理屈であれこれ知ったところで、あれこれ考えながら使うっておかしい。
外人さんで、日本語が上手だなと感じるの人は、難しい日本語を使っている人より、「てにをは」をきちんと使い分けている人でしたから、冠詞、単数・複数、前置詞などを自然に使い分けられるようになりたいと思っていました。

よくわかります。

むずかしいのはむずかしい語ではないですね。

きのう山岡洋一さんの「翻訳通信100号」を祝う講演とパーティーがあって、
そのとき山岡さんもいちばん基本的な語について、1日ネットを検索したり、
辞書をひっくり返したりしていることがあると言ってましたね。

■多読を学習の視点から見た優位性
1) 自分のコーパスが作れる
単語・熟語の使われ方、登場頻度だけでなく、冠詞、単数・複数、前置詞の使い分けまで、当然のことながら読めば読むほどデータが集まります。

このデータは、頭の中に集まるのですよね?

ちょうどきのう、これも山岡さんと、パラレル・コーパスという話をしたので、
ついインターネット上に蓄積することを考えてしまいました。

2) 文法学習が必要ない
小学校1年生の国語で、「てにをは」をどう教えるかご存知ですか。
理屈は言わずに、こういう時は、こう言う。こういう言い方はしないと説明するだけだそうです。
現役小学校教師に聞きましたから、間違いないです(笑)
多読って、結局「こういう時は、こう言う」をずっと聞いていることになるんですよね。
また高学年になってから文法を習いますから、多読が進んでから文法書を読んで自分の中で覚えたことを整理するということも自然な学習ではないでしょうか。

はい、そう思います。

覚えたことの整理(=作法の文法でしょうか)はとにかく使ってみることのあとにくると
わたしも思います。

学習と考えて多読をはじめる人が、来やすくないとは具体的にどういうことか分かりませんが、従来の英語学習に不満を持っていた人たちの情報を集めると、学習と考えて多読を始める人たちを、うまく誘い込む糸口が見つかるのではないでしょうか。

まったくそのことがここ数日の関心事なのです。

上に書いたようなわけで、多読村が「学習と考えて多読をはじめる人」にも気安い、
来やすいところになるにはどうしたらいいでしょうね?

たとえばKindleの話も、イギリス文学散歩の話も、時々掲示板に投稿される
英文も、ほとんど何もかも、多読村に集まる人たちはおっそろしく英語のできる
人たちだ、

  きっと多読をはじめる前から英語をたくさん学習した人たちなんだろう!

と思われたら、うまく誘い込めませんよね?

じゃ、どうしたらいいでしょう?

これは今後、非常に大きな課題になると思います。
いや、もうすでになっていたのですね。
わたしがしばらくその掲示板を読んでいなかったので、気がついていなかった・・・

さあて、多読の先にあるものを主に追いかけてきましたが、
多読を「学習」と考える人にも来てもらって、そうか、多読は読書なんだと
気がついてもらうにはどうするのか?

パピイさんも考えてくださるでしょうが、みなさんお知恵を貸してください。

従来の英語学習にどんな不満を持っていたか、どんな風に英語と疎遠になったか、
どれほど英語ができなかったか・・・ そういったことを知らせてくださると、
初めて来た人たちが「そうか、みんなはじめはたいしてできなかったんだ!」と
安心して村人になるかもしれません。

ご協力をお願いします!

で、単数・複数、前置詞、冠詞などの使い方はだんだん染みこんできましたか?

どうでしょう?

In any case, パピイさん、ありがとう!! 非常に重要なきっかけでした!!!