TOEIC対策 西澤さんとの対話 其の二

2010年7月23日
カテゴリ : 多読, 多読と受験
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「其の一」で書き落としたことがありますが、それはそのうちまた書くタイミングが
あると思われます。

「其の二」へ進みましょう。西澤さんによるTOEICの見方です。

TOEIC を絶対に近い基準と思っている人たちには目から鱗のはずですが・・・

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1)TOEICで測定しているのは低水準のFluency

外資系企業でTOEICが相手にされない理由は、TOEICで測定しているFluencyの水準が低すぎるからであって、TOEICがAccuracyを測定しているからではないと思います。(そもそもTOEICは、日本人の英語に関するFluencyが低すぎてTOEFLでは測定できないから、より低水準のFluencyを測るために作られた試験で、その低水準であることをかっこ悪いと考えた実施者がビジネス…という名前を思いついた、のではなかったのでしょうか?)

いきさつは知りませんが、TOEICが看板倒れ、あるいは羊頭狗肉であることは
否めないと思われます。

  (西澤さんのメールをいただいて、あらためてTOEICのサイトに行ってみました。

   そしてあちこち読んでみたのですが、そして前ページを見たわけではなく、
   ごく一部だとは思いますが、わたしが渉猟したページには、TOEIC何点で
   どういうことができるようになるということは書いてありませんでした。

   かつてはそれはあったのだと思います。いまでも 640点とか、730点とか、
   860点というようなことを言ったり書いたりする人がいるようですが、
   あれはおそらく 以前TOEICが公表していた「何点なら何ができる」という
   表がそのまま記憶に残っているためだと思われます。
   現在のTOEICのサイトにはそうした対応表はなさそうです。
   (少なくとも、だれでも探すだろうと思われるようなページには書いてない!
   その程度にはわたしも探したのです。)

   いまなくなっているのは、TOEICの運営者がそういった対応は不可能なことを
   認識して、公表することをやめたのだと思われます。

   こうした「無責任な」態度がより露骨に表れているのは、次のページです。

   http://www.toeic.or.jp/first/?eno=1130

   このページには「初級レベル」、「中級レベル」、「上級レベル」と
   TOEIC Bridge、TOEIC Test、TOEIC Speaking and Writing Tests 
   との対応関係が図にしてあるのですが、肝心な 初級、中級、上級レベルの
   内容はどうもどこにも定義してないようなのです。

   もっともこれがわたしの言いたいことではなかったのでした。)

いま西澤さんの意見との関係でわたしが言いたいのは、低レベルとはいえ、
TOEICはfluencyの物差しにはなっていないし、その意図もないとわたしには
思われるということでした。

その理由はいくtかありますが、一つだけ書きます。

* 回答が択一式であること。
 択一式ということは 正解が一つだけ ということです。

 これはaccuracyを計るための試験方式ですね。
 fluencyを計るのであれば、
 「途中がどんなに間違っていても、そこで減点せずに、
 全体として伝えたいことが伝わっているかどうかを、
 伝える道筋を限定せずに判断する」
 はずです。

つまり、択一式の試験でfluencyを計ることは、不可能で、
複数解答複数正解または複数解答かつ無正解を可能にする、
あるいは一つの正解でも、不正解に重みをつけるなどして
たった一つの正解(accuracyの極致)を避ける努力が必要でしょう。
(けれどもそれは経費がとてつもなく膨れあがるでしょうね。)

その証拠に英語圏での生活経験のある子供たちは、ビジネスの知識も無しに高得点を取ると聞きますし、豊田高専の留学経験者も(ビジネスの知識無しに)平均約600点取ります。受験対策をしない学生は、多読経験とともにTOEIC得点が順調に伸びることを、(自己評価能力が育つまでの)一つの安心材料としています。私は多読の成果を測る試験としては(受験料は高いが)悪くないと思っています。

この後半の部分はまったく賛成です。
ただしあくまでドーピングをしないで受験した場合の「安心感」ですよね。
この点は西澤さんも何度も強調しています。
みなさんもぜひそこをよくお考えになってください。

  (ふっと思いついて受けるときに公式問題集でドーピング、というのは、
   習慣性がないので、かまわないと考えています。)


ドーピングなしの場合を再現性とおっしゃたのだろうと推察しますが、
最初に書いたように、「英語のできる人」は点数が高いことから、
わたしもその意味でTOEICは「安心感」のある試験だと思います。
でしょう。

けれども、試験の本当の安心感、信頼性は、
その逆の「点数の高い人は英語ができる」も成り立つことをいう
のではないでしょうか?

その点を満たすにはおそらく受験料をいまの数倍にしてもひょっとすると
たりないかもしれないくらい経費がかかりますね。

「ちなつ」さんと「グリーン」さんの経験した外資系企業だって、
上の(逆方向の)信頼性があれば、面接などという経費のかかることは省略して、
TOEICの点数を提出するように求めたことでしょう。

現在のTOEICのような試験はかならず準備が可能で、
そのために、「点数から英語力」への信頼性がないわけです。

これを 

  TOEICはいい試験なのだが、ドーピングが信頼性を下げている

と見るか、

  ドーピングで信頼性が下がる試験だからいい試験とは言えない

と表現するか・・・

西澤さんとわたしの意見の違いは 例のコップに半分入った酒を見て、
「もうこれしかない」と見るか、「まだこれだけある」と見るかの違いに
似ているかもしれませんね。

わたしがいい試験と思わないのは、社会人はほとんど全部ドーピングしていると
思われることから、TOEICそのものは悪くないが、TOEICをその周りも含めて
全体を見るとよいとは言えないためですね。

ただし、TOEICはインプット(聴く、読む)の処理速度しか測っていませんから、高得点でもアウトプット(話す、書く)能力は読めません。また、TOEIC得点とFluencyとの相関があるのは、おおよそ350~800点の得点領域で、低得点(350点未満)、高得点(800点以上)では、測定確度が落ち、Fluencyとの相関が弱まるように思います。その意味で普通の中学・高校生には受験意義が乏しく、また、(TOEIC 800点程度では、まだまだ他者の発言を十分聴き取れないので)業務で日常的に英語を使う人の能力は測定できないのだと理解しています。

アウトプット能力は読めません、というところには、まだ確証はないものの、
すぐには肯んじられない点があります。

というのは、アウトプットの能力とインプットの能力はそれほどかけ離れている
と思えないからです。でも、これにはまだ言い切る材料が足りません。

また、TOEICが中間部分についてしか信頼性がないということはわたしも
感じています。

TOEICで測定できるのは、英語を使える状態からどれだけ遠いか、どれだけ近づいて来たかであり、その意味で日本人学習者には、(ドーピングせずに受験すれば)意味のある試験だと思います。

100%賛成です。
ドーピングなしに受ければ、その点数にある意味を認めることができます。
ただし、その意味はかなり限られるように思われますが、
なにしろドーピングなしで受験した人の数が少なく、
その点数と「英語を使える状態にどれだけの距離があるか」の判定がまだ
わたしにはできないでいます。その点はこれからの課題としましょう。