【Skypeおしゃべり会】 なぜ日本語か?! 掲示板から・・・

2010年9月12日
カテゴリ : 多読, 多読的おしゃべり, をさなごのやうに, みんなの集まり
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オフ会の掲示板で、「emmie」さんが多読的おしゃべり会ではなぜ日本語を使って
いいのか、と疑問を提出してくれました。

非常によい機会だと思ったので、すこしくわしく返事を書きました。

書いている途中で、これはとても大事なことを含んでいると途中で思い始めました。

そこで、ここに、わたしの返信をそのまま転載しておきます。
なお、 > 印の行はemmieさんの投稿そのままです。

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emmieさん、みなさん、おはようございます。
さかい@tadoku.orgです。

>先生、みなさん、昨日は楽しい会をありがとうございました。

>それで、

>>まず実行するのは 日本語で何気なく雑談Skypeですね。

>ここは大賛成。

>でも、その先↓が、納得いかない。

  納得いかないというのは、納得いかない・・・

>>それでみなさん慣れたら、英語混じりで 幼稚園おしゃべり会

>>それでもうちょっと慣れたら、英語混じりで 小学校低学年おしゃべり会

>>それで・・・以下ほぼ同文

>>で、高校生レベルの 英語だけお話会もね!

>どうして、英語だけのおしゃべり=高校生レベル???

>多読三原則の最初には、
>辞書はひかない!ってありますよね。

>これを私は、日本語で考える頭から、英語頭に切り替えよう、
>みたいな意味で理解しているのですが、
>どうして会話となると、日本語OKなんていうのかな?

  じゃ、金曜日のおしゃべり会で、「日本語もどうぞ」の会の方が
  入りやすいっていう人には、emmieさん、どう言います?

  敷居を低くしたいということです。

  多読だって、最初辞書をどうしても引いてしまう人には引いていいと言うのです。

  いつも言うように、1000人に対しては 「辞書引くな!」っていうけど
  一人一人を相手にするとその人の様子を見ながら、別々の対応をするので、
  ひたすら「辞書引いちゃだめ!」一点張りではないのですよ。
  言い方を一つだけ例に出すと「そのまま辞書引きながら読んでいいですから、
  だんだん辞書を引く回数が減っていくかどうか、自分で意識してみてください」と
  言いますね。そのほかにもちろん、これは辞書依存症が進んでいると思ったら、
  辞書を取り上げることもあります。

  ただ、「あ、辞書引いていいんだ!」と考える場合があるといけないので、
  1000人に向かって発言する場合は、そのまま辞書引いていいとは滅多に言いません。
  誤解されるそうなことは相手を見ながら言わないとね。

  けれども「快読100万語!」をよく読んでくださいな。
  慎重な書き方ですが、辞書を引くならどういう風に、ということも書いてあります。

  従来のやり方とおなじ方法については非常に慎重にしないと、
  みなさんが「楽しく」ではなくて「正しく」の方へ戻ってしまいやすい。

>みんな英語がしゃべってみたいんだよね。
>だったら、

>赤ちゃん言葉でmumble英会話
>(みんなに助けてもらってしゃべろう、英語を発してみたい気持ちがあればOK)
>↓
>幼児言葉でtotter英会話
>(とつとつでいい、自分の力でなんとか伝えてみよう)
>↓
>園児英会話
>(ともかくしゃべろう。そしたら通じているかもよ)
>↓
>小学生低学年英会話
>(楽しく、相手にわかりやすくしゃべりたいな。)
>↓
>小学校中学年英会話
>(突っ込んだ話もへっちゃら。)

>というように、高校なんてとんでもない!、
>小学校中学年までこれれば、もう世界中どこへ行っても大丈夫じゃない?

>日本語に頼る(大人の頭で考える)ことはせずに、
>赤ちゃんに、子どもになりきる、”おさなごのように”というのが、
>多読的なんじゃあ?と思うのでした。

  その通りですね。

  その辺も考えましたが、話を単純にして、高校としました。
  そんなに細かく分けてもやはりこどもは一人一人別々に「成長」するので、
  あまり意味はないと思います。

>そうはいっても、外国の人と話した経験は皆無、
>そういう方には、日本語OKってしないと、
>どうやっても敷居はまたげないのかな。

  今回の 「日本語もどうぞ」 は大学の授業や南南南会ですでに試しています。

  そうしたことをいろいろ考えた上で、呼びかけました。

  話すことについては、敷居はひじょーーーーーーーーーーーーーーーーーに
  高いということが、これまでの実験でわかりました。

  読むのは黙っていればわかっているか、わかっていないか、
  試験されるまではだれにもわからない。

  とりあえず続けること が 可能なわけです。

  ところが 話すこと は、そうはいかない。
  いきなり相手に、いろいろなことを 判断される と思ってしまう。

  学校英語の「正しく」がひじょーーーーーーーーーーーーーーーーに
  根深い影響を与えているのです。    

>今後の展開が楽しみです!

もう一つ、さまざまな実験からうっすら見えてきたことは、
相手から判断される(つまり「正しく」のプレッシャー)を抜ければ、
話すことはきわめてやさしいことらしいということです。

ぼくは非常識なことばかり言ってきましたが、
これもその一つ、これから検証していきたいことの第一番ですね。

emmieさんはじめ、みなさんが、話すのはむずかしー! とおっしゃるのは
よくわかります。ぼくだってつい1年くらい前までそう(漠然と)考えていた。

でも、どうもそうじゃない。「716室」の「多読的おしゃべり」の項で
書いたように、間違えてはいけない という気持ちさえ脱出できれば
(こどもは母語をしゃべるとき、最初から間違えちゃいけないなんて思っていない)
実は話すことは読むことより簡単な可能性があります。

まずはそこへ、つまりモゴモゴ・シャドーイングに行くまでには
間違えては「いけない」、正しくなければ「いけない」、
英語で話さなければ「いけない」、という無意識の縛りを抜け出す・・・
それがおとなの場合はどうしても必要なのです、をさなごのやうに なるために。

これまでの実験では 少しずつ日本語は減っていきます。
そこから、「・・・いけない」を忘れて、めちゃくちゃにしゃべり出す。

次に、しゃべることで、読んだり聞いたりするときに「アンテナが立つ」
(じゅんじゅんさんやJulieさんの言い草)
アンテナが立つといろいろ引っかかってきて、
徐々に、どこかで聞いた言い回し、どこかで読んだ言い回しを使うようになる

ここから先はまだ目撃していませんが、(書く方では目撃している)
高校生並みといえる作法を心得た話し方になるでしょう・・・

(「中学生並み」と言ってもいいんですけどね、人によって早熟、遅咲きと
 いろいろですから)

これからの発展をお楽しみに!

emmieさんのメールをきっかけに、非常に微妙でなかなか書けなかった
ある種の「まとめ」が書けました。ありがとー!

Happy talking in English!