【新しい旅立ちへ・・・】 メモ8-? 多読的精読へ にメール!

2011年2月15日
カテゴリ : 多読, 永遠のFAQ, 多読のパラドックス
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「ペンちゃん」からさっそくメールをいただきました!

この話題は多読を支援する人たちのメーリング・リストで盛り上がっておりまして、
いろいろこの話題つきないと思いますが、学校に多読を定着させるには避けて通れない話題でしょう。

という意見が出ています。

さて、社会人多読仲間からはまだペンちゃんさんしかメールをくださっていませんが、
これは多読が新しい段階(新しい挑戦?)に入ったことを示す大事な話題だと
考えています。

ぜひ、どんどんメールをください!

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 さかい先生、こんにちは~
メモ#8-? 多読的精読へ向けて の中で経験談を募集していたので、私の体験をメールします。

私の場合は、センター試験(筆記のみ)を2年連続してやってみたときの感想です。
去年はようやく50万語を超えたくらいで、ハリポタの2巻と3巻をふうふういいながら読んでいたころ・・・
そして、今年は300万語を超えて、聴き読みしながらボッシュシリーズを読んでいますた。

ほかにもセンター試験をこのところ毎年やっている人がいます。

その人にも意見を送ってもらいましょう。

結果は、2年続けて、センター試験の点数がまったく同じ142点でした・・・。
長文のところはなんとか分かるものの、発音とか、文章作成とかは壊滅的なのは去年と同じでした。
唯一の救いは、長文の解像度が上がった(と感じた)ことくらいでしょうか・・・。

これは、私にとってはけっこうショックでした。。。少しは点数があがると思っていたので。

ゼロからはじめた「あずき」さんが、たしか300万語くらいで Basic Grammar in Useをやって、「なぜかわからないけれど正解だった」といういみのことを報告していましたね。

ペンちゃん、問題を解くときに「考え」ませんでしたか?

わたしは入試問題やTOEICの回答では、考えずに勘で答える ことをすすめるのですが、どうでしょう?

> >ちなみに、木が全然見えないというのは、語彙力が、全くあがらない。
> >(多読をやれば、自然と単語の感覚が分かるようになると酒井先生はいいましたが、私には全くないです。)
> >テストの文法問題も、全く分かるようにならない。
> >(前置詞の感覚も、動詞の感覚も全くかわらない)
> >フレーズも、全く残ってこない。
私の場合は、語彙力は初期のころは確かに「自然と単語の感覚が分かるようにな」ったと思います。でも、それは get とか take 
とかを含むような簡単な表現に限られていて、難しい単語はやっぱり分かりません。

「難しい単語」がわからない、というのは、どんな感じでしょうか?

たとえば「なんのことかさっぱりわからない」のかな?

それとも「だいたいこんな感じのような気がするけれど、ぴたっと焦点が合った気がしない」なのか?

それとも「雰囲気は感じられるけれど、日本語でぱしっとわかればすっきりするのに」なのか?

それともそれ以外の「わからなさ」なのか?

ペンちゃん、またメールをいただけませんか? おねがい!

文法は分かるようにならないですね・・・。ただ、副詞とか形容詞の感じがつかめてきたので、そういう語順とかは多少分かるようになったか
もしれません。

↑ ここは、わたしにとっては大きなヒントです。
どういうヒントなのかは、いずれじっくり・・・

  (申し訳ないです。いつもこんな風に先延ばしして・・・)

前置詞は、意味で考えると with かな、というレベルで、当たることもあり当たらないこともあり。。。

「意味で考え」ずに 「なんとなく、雰囲気で」選んだらどのくらい当たるでしょう?

普通、学校では「勘で答えちゃだめ、どうしてそうなるのか、ちゃんと理解しなければいけない!」と言われます。都立大田桜台高校の「せにょ」さんでさえ、多読を知るまではそう言っていたそうです。

  (せにょさんはいまは「勘で答えろ!」と言っているそうです。)

意味を考え、文法を考えることが当たり前になっているとなかなか勘に頼ることは難しい場合があります。そこでわたしは学生たちに「いままで君たちが溜めてきた文法の知識なんて貧弱なもので、多読で吸収した英文の量を頼りに勘で答える方がずっと正解できるはず」と言います。

今は、TOEICの点数が必要なので期間限定でドーピングしています。
単語なんかは、ドーピングしたものが多読でも生かされるので、効果を感じます。
文法は、正確に読解するという面ではやはり多読に役に立つ部分もある、という風に感じています。

だから、テスト対策っていうのは、私の場合は別にやった方が両方に効果がありそうな気がしています。

辞書を引いても、文法書を読んでも、多読中にそれにでくわすと、格別なうれしさがありますね。それはわたし自身経験しているので、よくわかります。 

一方で、ハリポタの1を読んでいたころより、5巻を読んでいるときの方が、上記のような問題を自分で感じているにも関わらず、明らかに解像度は上がっていると思います。
そこが多読の不思議なところですね。

「みちる」さんにもおたずねしたいことですが、「解像度が上がった」というのと、
「木が見えるようになる」という感じとは別ですか?

  (この辺がたとえの限界なのですが、こうしてときどきたとえの中身をたしかめる
   ことにすればたとえというのは非常に有効だろうと思います。)

多読のおかげで、英文に対する恐怖感が消えたことが一番の効果だと思っています。
私の場合は、300万語レベルではブレークスルーは感じられなかったですが、それは個人差もあると思いますので、今後も多読は続けていき
たいと思っています。

なんらかのお役に立てば幸いです。

英文に対する恐怖感が消えた--とてもうれしいです、恐怖感を与えた「英語の先生」として。

いまペンちゃんのブレークスルーへ向けて助言したいことがあるのですが、それはまたメールで問い合わせてください。

それにしてもぺんちゃん、本当にありがとう!

これでみなさんがもっともっとそれぞれの変化について発言してくださるとひじょーーーーに大事なことがわかってくると予想しています。