英語育児はいかがなものか 再説 第3回 「haruharu」さんへ

2009年11月 8日
カテゴリ : 多読
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この話題で混乱して、すでに書き終わった記事の公開を忘れておりました!
話が前後する結果になっているやもしれず、冷汗三斗であります・・・

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「第3回 haruharuさんへ」となっていますが、この記事はharuharuさんへのメール
を記事にしたものではありません。haruharuさんからのメールにわたしが返信した
ような体裁で記事にしたものです。

したがって、引用部分はharuharuさんからのメールですが、
間にはさんだコメントはいわばharuharuさんに「ブログ上で返信」したものです・・・

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酒井先生
お返事をありがとうございます。

>> どうも意見の相違はほとんどないように思われます。

> そうでしたか。。それを聞いて安心いたしました。
> 『「英語育児」はいかがなものか!』の記事では、先生ご自身がどういう英語育児に警鐘を鳴らされてるのか、わかりにくかったものですから、
> 我が家の例を挙げて、お伺いさせていただきました。

「マサミ」さんの意見を中心に記事を書いたので、
ぼく自身の警鐘ははっきり鳴りませんでしたね。

二つあります。
一つはすぐに書きます。もう一つは最後に書きます。

>> ただ、違う点はぼくはいくつもの例を見て、
>> 「英語子育て」という言葉を口にする人たちには危険な場合が多いと
>> 感じていることでしょうか。
>>
>> haruharuさんの場合はまったく心配がなさそうで安心しました。
>> けれども危険が100例のうち一例であっても、
>> ぼくは警鐘を鳴らし続けます。親の強制を陰に陽に受けたこどもは
>> 非常に悲惨だからです。
 
> そうですね・・・私も強制的で自分本位な親により能力や精神を破壊されてし
> まった子供たちにはたいへん心を痛めております。。

一つは 英語へ英語へと近親者が熱心になりすぎる心配です。
この心配についてはharuharuさんと共有しているようです。

> > 先生のところに、極端に英語を与えすぎる親がたくさん集まってくるのは
> > 「多読・多聴」という方法を推奨されているからであり、大量に本を読んだり、聴かなければ英語を習得することができない・・・・と生真面目に思い込ん
だ親が我が子にもそれを実践していくからなのではないでしょうか。
> > そして、結果が出なければ、本の量が足りないのか、聴かせる時間が
足りないのか・・と不安に思い、もっと、もっと・・・と過剰になっていくのでしょ
う。

たくさん集まってくるわけではありません。すでにかなり前から「英語育児」に
対する疑問は公表しているので、そういう人は訪問しないと思われます。
熱心すぎる親御さんも少しいらっしゃりますが、さまざまなブログを読んだり、
英語学習雑誌のの出版社のサイトをのぞくと、そうした人たちはいまの世の中
全体の流れを代表していると判断します。

多読だからこどもたちはつめこまれるわけではないでしょうね。
どんなやり方でも(つまり多読・多聴でなくても)保護者の熱意が強すぎると
こどもは「英語嫌い」になるでしょうね。その意味でなら、多読もまた
こどもを英語嫌いにする役割を果たしている可能性は十分あります。

それは学校でおかしな「多読」がはじまったころから懸念していることです。
実際、今年は高校のときの「多読」でいよいよ英語が嫌になったという学生が
一人わたしの授業を受けています。

> > この多読という方法は、私は子供には適していないように思うのですが、
     どうな んでしょう?
> > やはり、小さいうち(小学校低学年くらいまで)はゆっくりじっくり少ない良質
> > の本を丁寧に読み進めていく方がよっぽど、子供に良い影響を与えるような気がしています。
> > うちでも、娘が求めるままに、一度にたくさんの絵本を読んであげたことがありますが、量が増えれば増えるほど、それぞれの本の印象は薄まり、結局、何も残らなかっ たという経験をしていますので、大量に本を読むという方法は子供には向いてないように 感じました。

そうかもしれません。そうでないかもしれません。
「多読でうまくいった」という報告もいくつか聞いています。

haruharuさんはどうやって「何も残らなかった」と判断なさったので
しょうね? 

多読による変化が測りにくいことはよく知られています。
わたしは多読を通じて触れた物語の力は簡単には測れない深いところに
影響している可能性があると予想を立てております。そうすると、簡単な
「チェック」では「何も残らなかった」ように見えることがあるかもしれません。

いずれにせよ、こども自身にも保護者にも多読がどういう影響があるか、
これからまださまざまな例を集めて慎重に見ていく必要がある段階だと
考えています。

> > そして、もし、大量に本を読ませることで子供がバイリンガルになったとしても・・・
> > それは果たして喜んでいいのかどうか・・・
> > その能力と引き換えに、もっと高度な能力である<思考力>や<創造力>を失っていたとしたら・・・・??
> > 怖ろしいことだと私は感じます。。。小学校高学年、中学、高校になるにつれて、どんどん伸びなくなってしまう脳を作ってしまったということになりますので。

ことばを使う「能力」よりも「思考力、創造力」の方が高度かどうか、
わたしには判断しかねます。それを言うなら、「思考力、創造力」ってどういうものか、
それもわたしにはわかりませんが・・・

また、外国語を使えるようになることで、「思考力、創造力」の伸びが止まるのか
どうか・・・ 
それもわたしには判断しかねるので、なんとも言えません・・・

そんなことがないことを祈りますが、数人の「ゆっくり」多読・多聴しながら大きくなった
こどもを見ると、とくに「思考力・創造力」が損なわれているようには思われません。

いずれにせよ、このこともまだ例を集める必要がありそうです。

>> >> なんだかブログで採り上げる意味がなくなったような気がしますが、
>> >> とても実りあるやりとりだったと思います。
>> >>
>> >> いっそ、このぼくのお返事までのやりとりすべてをブログに載せて
>> >> いいでしょうか?
>> >>
>> >> お返事を待ちます・・・
>> >>
> > もちろん、構いません。
> > これが何かのお役に立てるのでしたら。
> > たいへん長くなってしまったので嫌われそうですが(笑)、適当に抜粋していただければ・・と思います。
> >
> >
> > haruharu

haruharuさん、ご存じかもしれませんが、わたしのブログも長大な記事が多くて、
長いメールはちっとも気になりません。それどころか歓迎します。

    (短いメールも歓迎です!)

ここまでのわたしの返信(?)はharuharuさんもこの記事ではじめてご覧になる
ものです。

もし何か新たに感想があればメールでお送りください。
あるいは「いっしょに歩こ」の掲示板でも結構です。

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で、最後に残りの一つ・・・
haruharuさんは想定していないのかもしれない心配をもう一度書いておきます。
これについてはharuharuさんは何もおっしゃっていないので、
わたしが考える重大さを伝えきれていないような気がするからです。

そして「ほとんど意見の相違はない」ように見える中でいちばんの意見の相違点かも
しれないからです。

こどもが親の期待する通りに育っていくと、当然親の愛情は深まるでしょうね。
(いや「深まる」というよりも「高まる」というべきか?)
そのこと自体が問題を生む可能性があります。

こどもは自分のやったことで親が喜ぶと、親を喜ばせるためにいろいろする
ことがあるようです。

そしてそれが親と子のあいだに「必要以上」かもしれない親密さを作る?

わたしはharuharuさんにくらべれば少数の例(?)しか見ていないでしょう。
けれども、わたしが見た少数の中にも、こどもについても、おとなについても
「親密すぎる親子関係」あるいは「親密さが足りなすぎる親子関係」の影響を
いくつか見ることができたと考えています。

    (むしろおとなになってから表れるのか?とも思いますが、こどもの場合
     わたしは危険かもしれないと思うとはっきりそう言います。
     そのために何人かの保護者の方とはいわば「けんか別れ」のように
     なりました。しかしそれは本当に少数です。
     むしろ多く見てきたのはおとなにそうした親密すぎる親子関係の影響が
     表れている場合です。大学にはそういう「こども」が多いのかもしれません
     が)     

もちろんほとんどの親子関係は見ていてうれしくなるような「ほどよい関係」です。
(こどものことなんか、そんなにかまってられないわよ!と言い放つ親御さんも
 少なくない!そうした関係の中で見られる多読・多聴は親子ともにゆったり
 楽しんでいらっしゃる(あるいは「怠けている」)場合が多く、何も心配はしません。

しかし「英語育児、英語キッズ、英語子育て」といった呼び方には、どうも
英語そのものに対する過度な期待と、こどもに対する過度な期待の両方を感じて
しまいます。

    (どちらもそのうち裏切られ、どちらもいつかあきらめがつくでしょうが、
     一見うまくいっている場合には英語への期待もこどもへの期待も高まり
     (深まり、ではなく・・・)あきらめにくくなり、親も子も失望が深まりそうな
     気がします。)

「車は凶器だ」ということが言われましたが、家族もまたときに凶器になりうる
とわたしは思います。さらには、車とおなじで「快適に走っていると見えるときにも
凶器として働く」可能性があるかもしれないのです。

脅すつもりはありません。
そういう場合は数少ないのですが、わたしはたくさんの人が読むサイトを
運営しているので、ほんの少しの危険も避けたいと考えています。

わたし自身二人の子の親ですが、同じ危険を回避できたという自信は
ありません。まだ答えは出ていないし、いつ出るかもわからない、
わたしの生きているあいだには出ないかもしれませんが、
もし危険を冒したとすれば、わたしの場合はそういう危険を意識していたのに
冒したのだから、罪が深いというか、危険回避はそれほどむずかしいというか・・・

こどもが期待通りだからといって愛情を高めることなく、
ほのかな期待がはずれた場合も愛情を深めていける、
ほどよい距離を保ちたいものです。