蹴りたいと思っているうちにとっくに先に行っていた背中
2010年7月21日
カテゴリ : 多読, 多読的ライティング
タグ: tadoku, 「正しい」と「楽しく」, マッサラな広大な大地, 多読の先にあるもの, 多読的ライティング, 溢れる, 蹴りたい背中
これはやはりtadokuの金字塔でしょう。
わたしがみなさんの背中を蹴りたいと思ったのも、この人とか、あの人とか、
多読のはずが「それって多読?!」というところまで突っ走った人たちがいて・・・
・・・たーーーーくさんいて、
それぞれに収拾も付かないほど勝手な道を歩み始めた!
その一つの道をある人がこんな風に振り返ってくださいました・・・
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先生、おはようございます。
もうやだ。
書き出して、2年ぐらいたってるから、
振り返りだすと、きりがないんだもん。
この人はそういうわけで多読仲間の中でもある方面で先頭を突っ走っているので、
しばらく前からわたしは報告を書けと迫っていたのです。
非常にいやがっていたのですが、ついに書いてくださった・・・
それはいいのですが、まだ書き尽くしていない様子。
わたしはまだまだせっつきます。
一つ、英語でブログ書いてみようと思ったのは、
卒論以来のコンプレックス、
文章は書けない、を克服したかった、
プラス、単なるボケ防止です・・・----------------------------------------------
<Aha!だったこと、いろいろ>-メール交換をはじめた相手に、英語の先生のようなことをしていると
書いたら、あなたのメールを読んで、そうじゃないかと思った、と
返事があった・・・喜んでいいのか?フクザツ。
気軽なやりとりなのに、きちんと書こうとして、堅苦しいものになっていたわけか。
2年くらい前にわたしがはじめてこの方の書いた英文を見せてもらったとき、
ただ一言、堅すぎると言ったのでした。
「英語の先生じゃないかと思った」と言われたというのは、
わたしの忘れられないエピソードではアメリカ人の友だちがわたしをほかの人に
紹介するときに、
「サカイさんの英語はとてもきれいなのです」
と紹介してくれたときと同じですね。わたしも内心非常に恥ずかしかった。
要するに頭の中で英作文しながら話しているものだから、
きれいに整っていたのですね、「ネイティブ・スピーカー」ではありえないくらいに!
-2,3行書くのにも、すごーく時間がかかった。
ネット上のメール交換や、コメントのやりとりは、即答しなくちゃ盛り上がらないのに、きちんと書こう、って思うと、どうしても返事が1日おくれ、2日おくれ・・・となってしまう。
相手は、返事がほしくて書いてくれいることも多いのだから、
ともかく、ちゃちゃって返事しなきゃ。
そうです。
対話の場合はタイミングをはずしたらなかなか取り返せないものです。
意味のあることは言わなくてもいい! とにかく「あー」とか「うー」とか声を出して、
「言いたいことがあるのだ、しばし待たれい!」という意思表示をしたほうが
いい場合があります。
-英語を第二言語として使う人とやり取りすることで、気づくことがあった。
相手の英語だって完璧じゃない。
だったら英語の質にこだわるより、意思疎通を優先。
大きな誤解が生まれない程度に書ければいい。
誤解されることがあっても、すぐに!訂正すればいいことだし。-どんなに稚拙でそれっぽくない英訳でも、そこに流れがあれば読むよといわれた。
これは英語を第二?三?言語として使う人からのメッセージ。
"I'd love to read your translation about ***. Don´t worry too much. Just do what you feel about the flow of the translation. .... Go with the flow. "
このごろわたしが強調すること-- 流れ!
どんなに間違っていようと、つたなくとも、話したい勢いで流れていれば、
読む人はとにかくついてきてくれる!!
ついてきてくれている間のどこか、「ああそうか、これを言いたいんだな!」と
わかってもらえればいい。
-日本語学習者の人と話したりチャットしてみて気づいたこと。
正確だけど時間がかかる人よりは、
めちゃくちゃでもすぐ反応のある人のほうが、相手をしていて楽だし楽しい。
ということは、こちらの英語も、正確さよりスピードだよなと。
「楽だし楽しい」これはほとんどキーワードですね。
「正しく、正しい」をめざしている人には自由はありませぬ・・・
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<最近感じる変化>-多(読・聴)して、アウトプットがはやくなってくると、
自然と正しいか正しくないかは、気にならなくなった。
どう話しをつなげよう、みたいなことは考えても、
間違っていないか、どんな表現を使おうか、なんて考えないようになった。
-少し前までは、英文を書いていても楽しくなかった。
できあがったものを見ても、その余裕のなさにうんざり。
今でも読み返しては、げんなりするけれど、
それでも書いている最中、けっこう楽しかったりする。
気がついたら、数行書き終わってたりするし。
こういう感覚は、最初、なかったなあ。
なかなかここまで行くのは大変でしょうね。
いや、わたしにしても、「サカイさんの英語はキレイです」と言われてから、
「間違っていようとなにしようとかまうもんか」になるまではずいぶん時間がかかった。
いまは先がどうなろうと、とにかく話し出してしまう。
話し出したことばが次の言葉を引っ張り出してくれることを祈りつつ・・・
そうすると、たまに「溢れる」感じがする・・・
-今は、書くって、英語が溢れてくるという感じ。
英語の本をたくさん、PB1,2冊を1週間ぐらいで読んだりした後は、違う!
以前は、一生懸命搾り出して、さらにそれを組み立てて、
という作業していたんだと思う。そりゃ疲れるはずだ。
そうですよ!
だから、「瞬間英作文」なんていうことばにひっかかってはいけない!
話すことはもちろん、書くことだって、「作文」ではないのだ!!
-今でも、ツルツル書けない日はしょっちゅうある。
でも、書けない原因は、英語の読書が少なくなっているから。
PB1冊読めば、また戻るさー。
ので、書けない日はかかない。
これは「独眼龍」さんが「英語で会議をする日の朝はシャドーイングをする」と
言っているのとおなじでしょうね。
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<他>-会話より書けるほうが楽しいかも~
会話って、その瞬間に相手が必要だし、初対面から深い話しはできない。
探りあいの時間がいる。
でも、趣味や価値観がぴったり合って、話の弾む、本音で語り合える友にめぐり合えるなんて、そうめったにあることじゃない。
でも、書くこと、ブログ、メール、フォーラムとかなら、
その匿名性を生かして、年齢、国、性別、階層等々、関係なく、
国境を越え、いろんな人とやり取りができる。
すぐに真剣な話しだってできる。
↑ これはこの人の負け惜しみ、というか、腰の引けているところだと思いますね、
信じがたいことだけれども。
会話だって、楽しいに決まっています!
書くのだって、そう深い話が簡単にはじまるわけではないでしょう。
書くのとおなじくらい話していれば、きっとおなじことだとわかるはず。
例えば、これはルーマニアからイタリアに移り住んだ人のメッセージ。
趣味の話ついでに、こんなやり取りもする。
東欧のほうは、やっぱり大変なんだろうな。
”i have to say that life in romania is much worse now (in the economical and social aspects of it).
i got back home after more than an year of being away and the 1st thing i thought when i crossed the border in romania was "i want to go back to italy right now"
it's not fair to be unable to make a decent life in your own country(i wouldn't have left otherwise) romania indeed had a troubled history being surrounded by 3 powerful empires:the russian empire at the east,the austrian-hungarian empire at west and the ottoman empire in the south.
but enough with the history of my country...
italy is indeed beautiful and there are lots of wonderful things to see here,・・・"
こういうやりとりができるというのは、さすがだと思います。
こういうやりとりは一朝一夕にできるものではない。
とはいえ、これが会話(対話)ではチャットより巡り会えないということはないな。
-英語を上手に書くために、一般的に常識とされている方法は、
むしろ書こうとする意欲を削ぐことが多い!・英語の表現集、英語日記を書くためとか、山ほどあれど、
あんなものを覚えたところで、英文は書けない。
人はみな、思考回路が違えば、表現方法だって様々。
誰一人として、どんな簡単な一言だって、違った言い方をするもの。
物まねみたいに、誰それさんになりきって文章を書くなんてこと、できるはずがない。
表現集は著者が使いやすい表現を集めたものであって、
決して私の言葉になることはない。
わたしの意地悪な見方では(そねみとも僻目ともいう)、
そういう本を書いている人たちは表現集なんぞは使わなかったと、確信があります。
・英文は添削してもらって、復習しないと上達しない?
添削は必要ない。
自分で気づくのではなく、
人に指摘されて添削、訂正したことなんて、どうせすぐ忘れる。
それよりも、どんどん、書く。
そして、自分の書いたもので、人と交流していくなかで、
誤解を招かず、相手に負担を感じさせない程度の、通じやい文章が書きたい、
と思うようになる。
すると、今度は本の読み方が変わってくる。
”あ、こんな表現いいな”
”この前まどろっこしく説明書いたけど、これだとわかりやすいな”
この印象が頭の隅っこに残っていて、
次のアウトプットの機会に、ふっと浮んできたりする。
アウトプットすることで、インプットの質が変わり、
大量の、そしてちょっとだけ意識的にするインプットが、
アウトプットを変えていくんじゃないか。
いいぞぉー!!!!
そうだ、そうだ! 添削されたことなんて覚えているわけがない。(自分比)
どんどん書く、どんどん忘れる、どんどん読む、どんどん聞く--
そのうち体にリズムがたまって、We Got Rhythm. という状態になる!
(このへんは「そふぃ」さんのいうシャドーイングの効用から拝借)
-私が書きたいのは、"everyday people"な英語
今は誰でも英語を書いて発信するチャンスがある。
でも、この環境って、ネットの普及とともに、つい最近可能になったもの。
これまでは、英語を書くといえば、仕事で必要だったり、論文書いたりと、
正確さが求められることが多く、気軽にするものではなかった。
だから、すでに世に出ているライティングについての本や教材は、
ごく一般の人が、ブログをつけたりするのには、役立つはずがない。
どこにもお手本はないのですよ。
だったら、自分で試すしかないだろー
というのが、ブログでした。
これが 時代の先端を突っ走る人の覚悟・気概・意気 でしょうね。
わたしは先ほども挙げた、こういう人たちがこれからの外国語獲得を
引っ張っていくと思います。
・・・
最後に、多読三原則とからめて、英文多書三原則?
・辞書は使わない (辞書はひかない)
・さっと書けない時は、単語だけでも並べて、先へすすむ (わからないところは、とばす)
・書けない日は、書かない (つまらない本は、やめて、後回し)以上
英文多書三原則・・・ しっかり頭に刻みました。
716室のwikiにいただきます!
ありがとうねー!!!