学校英語批判ふたたび -- 再開の弁

2013年3月 9日
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学校英語批判を再開します。

(以前はしきりに批判していました。
けれども学校英語に本当に苦しめられたと思われる人たちから
批判を読むとつらいという意見があって、あからさまな批判は避けてきました。)

学校英語の現状は悲惨の度を加えています。

内容も悲惨ですが、それよりも子どもたちを苦しませていることを
このまま放置できないと思います。

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おそらくいま学校に通う子どもをお持ちでない人はどれほど悲惨か、
わからないかもしれません。学校現場を多少とも知っているわたしは、
「学歴」に対する親の焦り、文科省の方針による「英語パニック」、
TOEICなどの試験や資格の蔓延といったこと影響して、

「とにかく試験でよい点数を!」

という流れがバブル崩壊以前よりもはるかに激越になったように思われます。

(昔は今にくらべれば良くも悪くものんびりしたものでした。ところが
バブル崩壊後、日本全体が自信喪失と混乱に覆われているように見えます。
具体的(に見える)点数や数字や資格に頼ろうとするのはそのせいかもしれないと
わたしには思われます。)

一言で言えば学校英語では、毎日毎日常軌を逸した「詰め込み」が行われて
います。典型的には中高一貫校という名の下に6年分を5年間、4年間(?)で
片付けるやってしまうなどという暴挙がまかり通っています。

詰め込みの内容は単語の暗記、教科書の暗記、暗記チェック、文法問題集、
模擬試験、分厚い教科書、朝勉、残り勉、親への圧力・・・

しかも、授業の内容がまともならそうした苦労の結果何かよいものが残るかも
しれませんが、教科書や参考書や問題集や、高校入試、センター試験、各大学の
試験のいい加減なこと、本当に砂上の楼閣を必死で作り上げているにすぎません。

できればたくさんの人が現実を見て、学校に、大学に、教育委員会に、
文科省に文句を言うようになるといいと期待しています。
その方向へ向かって、いつまで続くかわからない、いつまでも続けるぞ!の
連載を始めます。

(何であれ「悪口」を聞いたり読んだりするのは耐えられないという人には
申し訳ありません、というしかありません。「学校英語批判ふたたび」の
記事は読まずに飛ばしてください、とお願いするしかありません。
けれども、事態はやはり急です。こんな形でも子どもたちのためになると
思われる方向をめざすしかないようです。

多読が広がって、試験や点数や資格を押しのける結果になることを
期待していましたが、多読側の努力不足か、まだそうなっていません。

ただ、たしかに多読は広がっています。このサイトに集う人から見れば
とんでもない「多読」もありますが、広がりの核であり、出発点である「多読」を
広げる努力はもちろんこれからも続けます。批判だけではないことを
了承していただけると幸いです。)