学校英語批判ふたたび その2 その2
2013年3月19日
タグ: 学校英語批判
今回の学校英語批判は「先生批判」になりかかっています。
・・・しかしそれは避けられない。先生は学校英語の大事な構成部分。
ただし、先生という役割を持った人たちへの批判は、個人の批判なのか、
役割の批判なのか、わかりにくくなって、後味の悪さが残ります。
舵取りは難しいけれども、できればそうした先生が「出てくる」背景に焦点が
当たるようにしたいと思っています。
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わたし自身、生徒や学生を傷つけたという苦い反省があります。
(今も傷つけることがあるけれども、それはわたし個人が原因だろうと思います。
多読そのものは傷つける仕組みになっていないと考えています。)
その反省は実はすぐに「教育、学校、教室、先生対生徒」といった、
英語を越えた大きな問題に結びつくように思います。
そうした結びつきはおいおい明らかになり、もっと詳しく書くとして、
表題の話題に戻りましょう。
学校英語批判ふたたび その2からちょっと。
「私のクラスの生徒達は社会を熱心に勉強します」
この日本語がすぐ分かる人は、その先生とその元で素直に英語のお勉強をしている生徒くらいじゃないのかなあ。私も最初意味がわからなかっ
た。社会を熱心に勉強する??社会ってなに?
でも、一応トライしてみる。
my studentsと出だしをつくろうと思ったら、my/the studentsと言われちゃったので、ありゃ、だめだ。そうした
ら、その先がもう出てこない。そーか、私の”クラスの”生徒達ってきっちりやらないといけないのね。「私のクラスの生徒達」は「私の(かわいい)生徒達」と違うのね。。。 アホらしい。
社会を学ぶ、はよくわからないけれど、まあ100歩譲ってそれをよしとしたとして、「社会を熱心に勉強します」という状況はどんな状況だ
ろう?「勉強しています」と言ってくれりゃまだ100歩譲って許す。でも「・・・しています」にしたら、今度は現在系と現在進行形の学校
英語ルールからはみ出すのだろうか?(しています、は現在進行形の語尾だと、言われそうだ)
結局ブログの最後まで読み終わり、社会が社会科のことだとようやく気付いた。
societyが社会科は、明らかに間違いでしょ。ウソはダメでしょ。それ以前に、英語の先生だって、日本語をおろそかにしちゃいけない
でしょ。英語だって日本語だって生きた言葉でしょ。。。
はは! あの記事は最後に種明かしになっていたんだっけ?
それはおもしろい仕掛けだ。(書いた本人はすっかり忘れている)
ああ、でもこのメールは英語の時間の大事な問題--日本語がおかしい!--に
触れていますね、chicoさんも触れていましたが。
「英語」の時間は、英語もおかしい、日本語もおかしい・・・
(それは何が原因か?)
みなさん、何かエピソードを思い出しませんか?
思い出したらご一報を!