語数より冊数? スローガンの危険性について

2013年1月28日
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スローガンであれ、モットーであれ、旗印であれ、その役目は単純化です。
単純化にともなう危険は当然あることをわたしはわかっているべきでした。

多読フォーラムで軽率な発言をしたわたしは、反省とともにいろいろ考えています。
まずは今の段階で書き留めておきます・・・

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反省の第一はスローガンの危険性についてです。
とっくの昔に分かっていなければいけなかったのです、本当なら・・・

なぜって、多読はスローガンで広がった面があるのですから。
いわく100万語、いわく「辞書を捨てよう」、いわく「質より量」・・・

こうしたスローガンは常識をすっかり覆すものだけにかなり強力でした。
多読を印象的に知らせる役目は十分果たしたと思います。とはいえ、
スローガンは遠くの人に向けて、大きな声で何かを伝えようとするようなもので、
細かいことは言えません。他方、近くの人に時間をかけて何かを伝える場合ならば
微妙な点までじっくりと話し合うことができます。その違いが今回やっと身にしみました。

これまでも、折に触れわたしは言ってきました。

「1000人に向かって呼びかけるときと、一人に向かって話すときでは違う。」

1000人に伝える場合はいちばん数が多そうな人たちに向かって、
いちばん大事な点を印象に残るように、言おうとします。

それに対してNPO多言語多読の講座ではスローガンはほとんど口にしません。
同じように電気通信大学の授業では、100万語読みましょうとは言いませんでした。
一クラス40人だからか、多読三原則は伝えましたが、十分少なければ多読三原則さえ
伝えずに楽しくたくさん読んでいくことができます。

たとえば東中野の講座は最大で15人なので、みんなすぐ近くにいて、一人一人と
じっくり話ができます。昨年8月末の最初のクラスで、わたしは多読三原則の話を
しなかったそうです。(わたしはしなかったことさえ気づかなかった。)

スローガンを言う必要はないのです。なぜなら一人一人の受講生に、

「辞書を引く回数は減ってきましたか?」とか、
「読みながらどのくらい日本語に訳してますか?」とか、
「その本を読むのに何分くらいかかりましたか?」

といった質問をして、多読三原則の方向へ背中を軽く押し続けることが
できるからです。スローガンの内容を一人一人に合わせて、伝えられます。

これも昔から言ってきたことですが、多読を始めたからといって、
細かく記録をとらなければならないというものではありません。
掲示板上の読書相談で語数や、レベル別の冊数をたずねるのは、
いわば毎日顔を見ているわけではないお医者さんが、熱を計ったり、
脈拍を確かめたりするようなものです。
多読のおおよその「体調」」を知りたいのです。

電気通信大学の多読クラスではその週に何を読んだかは記録してもらいましたが、
語数を集計しろとも、冊数を集計しろとも言いませんでした。
東中野の講座は人数が少ないので、読んだ本の記録さえ必要ありません。
それぞれの人が今どんな風に読んでいるか、聞いているか、シャドーイングしているか、
その大事な点はわたしの頭の中にあるか、あるいはメモに書いてあるので、
本人は記録しなくてもtadokuを進めていくことができます。
(自己流で記録している人はいますが、わたしは滅多に見ません。)

たとえば先週の講座では、ある人に、読みながらメモを取ってもいいことにしました。
この人を毎週見続けることができるので、メモを取ることが英語読書の邪魔に
なっていないかどうか、しっかり見守ることができるからです。本人にも
メモを取ることがマイナスにならないかどうか、気をつけましょうね、と言いました。

1000人の人に言うのだったら、メモは絶対に禁止します。
それで読書が楽になるひとがほとんどなはずだからです。

で・・・

今回「語数より冊数?」が侃々諤々となったのは、
たくさんの人に向けたスローガンなのに、個人のやり方に対するコメントのように
わたしが書いてしまったためだと思います。その点を大いに反省・・・
わたしは「たくさんの人に向けたスローガンなのか、一人一人のやり方に対する
助言なのか」--それをもっと意識して発言しなければいけないのです。

スローガンにはスローガンの役割があります。
いちばん大事な点を、まっすぐ、わかりやすく、伝えることができます。
だからこれからもいろいろなスローガンを提案していきます。

「語数より冊数?」というスローガンの提案も、語数にとらわれすぎる人たちに
その害を知ってほしかったからでした。それには「印象的な提示」をしたかった・・・

(「昔はページ数だった」という投稿があって、わたしは「よしよし、いろんな
尺度が出てくれば語数にとらわれる人が少なくなるかもしれないぞ」と
内心喜んでおりましたが、その後、コストの問題へ、多読の入り口問題へと
展開していきました。)

この話題は大事です。「多読の尺度は語数だけか? 語数には問題がありえる」
という主旨に戻って、この話題はしばらく続けます。

長くなりすぎました。

最後に・・・

スローガンは呼びかけ効果が高いだけに、強制的な響きを持つようです。
そこもわたしは気をつけなければいけない。

ただ、スローガンにはその時々の多読の方向を大きく示す、つまり成長のしるしであり、
歴史の反映という面もあるからなあ・・・ やはり捨てがたい・・・