直前の記事で、間違ってもカタカナ英語でもなんでもいいからどんどん話しましょう、という提案と
伝わりやすいように(相手の負担を減らすように)外国語の音の特徴を手に入れましょう、という提案と
二つを書きました。するとこんなメッセージがツイッターで届きました・・・
Kakkoさんの意見を読んで、「伝わりやすい音」を手にいれるには、従来と同じような苦しい道のりが必要だっていう前提があるように感じるのと、もしかしたらカタカナ英語と日本語から離れた(でも英語からはまだ距離がある音)の区別がつかない?という現状があるのかなと思いました。
楽しいはずの tadoku が苦しかったら元も子もない!