直前の記事で、間違ってもカタカナ英語でもなんでもいいからどんどん話しましょう、という提案と
伝わりやすいように(相手の負担を減らすように)外国語の音の特徴を手に入れましょう、という提案と
二つを書きました。するとこんなメッセージがツイッターで届きました・・・
Kakkoさんの意見を読んで、「伝わりやすい音」を手にいれるには、従来と同じような苦しい道のりが必要だっていう前提があるように感じるのと、もしかしたらカタカナ英語と日本語から離れた(でも英語からはまだ距離がある音)の区別がつかない?という現状があるのかなと思いました。
楽しいはずの tadoku が苦しかったら元も子もない!
従来と同じような苦しい道のり--そう聞こえますよね。でもそうでもない!
すでに学校英語の音(=極端形の音)やカタカナ英語の音が身についている人は
それをシャドーイングで洗い流す過程が苦しいと感じるかもしれません。
でも、耳から鱗が落ちることは気持ちいいはずです。
そうか、そういう音だったのか! という衝撃も快感に通じます。
耳から鱗が落ちると、聞いていて前よりもすっきり内容が入ってきます--
これはどんなに学校英語のファンでも驚きのはず・・・
Tadoku の第一歩はほとんどの場合 unlearn です。
学校英語、受験英語、学習法の英語をゴシゴシこすってきれいにする、
その道のりを通らないわけにはいきません。でも、その過程そのものを楽しむ方法だっていくらでもあるのです!
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ところで・・・ たどくらぶが始まります!