学校英語を洗い流すために・・・ 「it = これ」!?

学校英語のしつこさにてついて引用したモーリンさんから、その前に来ていた
メールです。

酒井先生、こんにちは。モーリンです。

it は「それは」ではないで気付いたことをもう1つ書きます。

今まで気にしてなかったのですが、話題になったものを次の文で it で受ける場合
「これは」と訳している場合が多いようです。

たとえば、次のような文です。

The CTRL+X short-cut command can remove the selected data.
It also copy the data into the clipboard.

日本語の場合は時間的に近い場合は「これは」を使うので英語とは感覚的に異なるのかもしれません。

では、「it = これ」?

もちろんそうではありませんが(そしてそれはモーリンさんもわかっている)、
it の役割と「これ・それ・あれ」の役割のちがいを意識していない学校英語では、
「it は「これ」と訳す場合もある」などといってごまかすのでしょうか?

モーリンさん、ありがとう!

多読的ライティング やさしい英語が荒々しく溢れるとき・・・

多読的ライティング という題名で中学2年生の男子たちの書いた英文を紹介しました。
それにモーリンさんが自分の「書きたい衝動」について書いてくれて、
もう一つ、体に溜まった英語が溢れた時のことを綴ったメールが来ました。

そういえば、電通大に研究室があったころ、たくさんの人が研究室を訪ねてくれましたが、
たまさか来訪希望の日時にわたしが大学にいないことがありました。

そういう時、わたしはたいがい「どうぞ来てください。ただ、ぼくはいないから下の事務室で
鍵を借りて、勝手に入って好きなようにしてください」と返事をしたのでした。
で、「終わったら鍵は6階のメール・ボックスに入れておいてね」と・・・
事務室の人は次の日、メール・ボックスから鍵を回収して鍵箱に戻したのでした。

はは! のんびりしたものでしたね。そういうある日の思い出とともに紹介します。

電通大のあの本がいっぱいの研究室に、ひとりで、朝から晩まで居座らせてもらって、かたっぱしから本を手にとり、よみつづけた夏の日のことを、おもいだします。せんせいも留守で、本とわたし以外、ほんとに誰もいなくて。その帰り道でした。モーリンさんのメールにあったみたいに、わたしの頭のなかも、みじかい、たくさんの英語がぐるぐるしてました。それが、あふれだそうとしているみたいに、書いたり、話したり、したくてしたくてしょうがなくなって。帰ってから、一気に英語でメールを書いた。楽しかった。あれは、宝物の一日でした。

ゆっくりと外国語に浸って、物語を静かに味わって、急がせることなく体の奥にしまっていくと、
逆にこういうことが起きるのかもしれませんね。わたしも時々そうやって、何の邪心もない
愉しみ方をしてみたいものだ。

マクドナルドの法則 日本語と英語は音の繋がり方がちがう

この話題の一つ前の記事のお題は・・・

1. 日本語で マクドナルド をできるだけ速く言ってください。

2. 英語で McDonald’s をできるだけ速く言ってください。

でした。

出来るだけ速く言おうとすると、おそらくマクドナルドの、
 も  も  も  も  も  も、一つ一つ全部短く、
速く言ったのではありませんか? つまり・・・

ゆっくり言った

  マクドナルド

に対して、

マクドルド

という風に言って全体を速く言ったはずです。
それが日本語の音の繋がり方の特徴だからです。

それに対して、英語の音の繋がり方は日本語と違うので、ゆっくり言うと

  McDonald’s

ですが、速く言うと

McDonald’s

(どうしてもこの記事の中では Don だけを大きく表示することができませんが、
速く言った Don は、ゆっくり言った Don と同じ大きさ(=長さ)だと思ってください。)

日本語は文字をすべて同じ短さにして、全体を速く言います。
これを 音節平等主義 というなら、
英語の特徴は 音節弱肉強食 とでもいいましょうか。
強い音節である Don の長さはどんなに速く言っても変わることはなく、
かわりに前後の音節を犠牲にして極端に短くしたり、消したりして速く言います。

これはとても大きな違いで、わたしたちが英語を聞いて何を言っているかわからない、
英語を言ってなんと言っているか分かってもらえない、そのいちばん大きな原因だと
わたしは考えています。

日本語の音節平等主義をそのまま英語に持ち込んだ学校英語がどんな風に
現実の英語と離れているか、そのためにわたしの聞く・話すにどんな影響が
あらわれているか、引き続き考えていきましょう。

多読的ライティング モーリンさんのメールから

多読的ライティングはまだちゃんと説明してませんが、一言で言うと
英作文ライティングの反対です。

英作文ライティングは 正しく! を目標にします。
したがって、テストで点数がいい。

多読的ライティングは 楽しく! を目標にします。書く方も読む方も楽しければ、それで満点!

で、そこがよく分かっている人たちから、一つ前の中学2年生の多読的ライティングに
賞賛のメールやtweetをいただきましたが、今回はモーリンさんのメールを紹介!

ブログを読ませていただきました。

非常に impressive ですね。
僕も多読を始めて数か月後ぐらいから頭の中を短い文(たぶん文法的にはめちゃくちゃな)が駆け巡って、思ったことを英語で書きたいという衝動が起こったことを覚えています。
書く文章は部分的に借用したものが多いのですが、日本語でも最初はそうですものね。
最初のタドキスト大会のコンテストで先生にほめられた文章もその前に読んだ本から借用したフレーズがいくつか入っていました。

多読を始めて数ヶ月で「英語を書きたいという衝動が起こった」というのは、
早い例だと思います。どういう場合にそういう早い反応があるのか、研究します。

そして、「書く文章は部分的に借用したものが多い」とのこと。
「日本語でも最初はそうです」ね。
多話・多書はとにかく「借りる・盗む・真似する」から始めましょう!

思えば、YL0~YL2 で読む本の短い文は読んだときの印象とともに脳に刷り込まれ、同じ感覚を感じた時に recall されるのかもしれません。ぜひ、どんどん読んでどんどん書いて欲しいものです。もちろん間違いもするでしょうが、間違いはそのうち「ああ、あの時間違ってたんだな」って自分で気づきます。引用されていた教室ではいいところを褒めることに重点が置かれているようでいいですね。学校だと間違い探しをされて書く気がなくなってしまうでしょう。先生によっては “very very” さえ否定されそうです。僕も、知識のついてしまった今よりも多読を始めたころのほうが生き生きとした文章が書けていたような気がします。

間違えることを気にするのは非常によくないと思います。
あの中学2年生たちも、そんなことは気にせずに書いたからモーリンさんに
impressive と褒めてもらえる文章になったのでしょうね。

(日本の試験は減点法です。そうではない例は見たことがありません。
唯一の例外はわたしが退職する前の電気通信大学の英語の自由英作文の試験ですね。
いまどうなっているかは知りません。)

引用した教室の支援はすごいです。先生が一人一人の伸び方をじっくり待ってくれます。
そしてよいところを見つけたら褒めます。何よりも生徒の間に信頼がしっかりあるのですね。

で、モーリンさんのメールは「声にならない文字」の話で終わっています。

そういえば、mitten の “tte” もそこに音はあっても聞こえないですよね。先日読んだ Junie B. #9 のAudible を聞いていて気づきました。

では、Happy Reading and Enjoy Writing!

mountain、Milton、suddenly など、「声にしない」文字はいっぱいありますね。
それについては マクドナルドの法則 と チャーチル・マティーニの法則 の説明を
楽しみにお待ちください!