流されないために・・・ あいでんてぃてぃー について

先日紹介した文科省の文書にはもうひとつ、
「いったいどういう頭をしているのか? 中を開けてみてみたい」
と思わせる用語がありました。

「日本人としてのアイデンティティ」

です。7ページ目に3回出てきます。

このことばのばかばかしさについてはすでに書いたので、
文科省の文書にあることは記事にしないつもりだったのですが、
今朝の朝日新聞に「日本史の必修化検討」という記事が載っていて、
文科省は「「グローバル社会を見据え、日本のアイデンティティーを学ばせる
必要がある」との意見が自民党を中心に強い」のだそうであります。

もう、自己矛盾もここに尽きますね。
そんなに日本、日本と日本の特性を強調したいなら、
なんで「アイデンティティー」なんていうカタカナ語を使うのでしょうね?

結局文科省も、自民党も、きわめて表面的にしか物を考えられないのでしょうね。
そういえば、電気通信大学にいた中島義道さんという「哲学者」が
わたしに「英語帝国主義」を批判する本を貸してくれたことがありました。
その本を書いた人たちは 「漢語帝国主義」はちっとも気にならないのでしょうね。
大和言葉を漢語が蹂躙したことは少しも気づいていないのです。
そもそも「英語帝国主義」という用語自体が漢語帝国主義に侵されているというのに・・・

ああ、我に日本人の大多数の狂気を遠ざける道を!

学校英語を洗い流すために Good-bye は「さようなら」か? 三訂版

「流されないために」常識を疑ったり、
「洗い流すために」常識を疑ったり、
我ながらちょこまかと忙しい新年であります。

さて今回のお題は初出から簡単にして、次のようにします。

「始めて来社した取引先を見送るときに」Good-bye と言うだろうか?

です。

さらに簡単に、次のようにします。

あなたが別れ際に Good-bye と言うのはどんな時ですか?

こんなにころころお題を変えたら答えにくいかな?
ま、いいでしょう。なにしろ・・・

・・・新年発のお題としては奇妙なものですが、学校英語を洗い流すためにには
格好の話題と言えなくもありません。

来週の月曜日にわたしの意見を書きます。

(決して正解というつもりはありませんが、その点を確かめることも
来週みなさんに呼びかけます。ちょっとおもしろそう!)

ところで、記憶のよい人は 「現在形、過去形、未来形」のお題はどうなった?」
と不審にお思いかもしれません。あれは当分引っ込めます。
お題の出し方が第一非常にむずかしい・・・
(文法という代物の不定型さが原因です。)
そしてだれからも反応がない・・・

いつかもっとわかりやすい形でお題にできたら再度登場させます。
このたびについてはご容赦を願います。

流されないために 株はやめよう!

流されないためには景気の悪い話を書かなきゃいけません・・・

株はやめましょう。

株は「バブル」の典型です。
実質とは関係なく株価は上下します。

(一般に流通している「お金」もバブルつまり実体のないものですが)

経済最優先--このことばが日本の政治の何もかもを表しています。
その経済とは企業の利益です。わたしたち一人一人の利益ではありません。

そのためにいちばん注目される「株価」を操作したくて、
NISAとかいう新しい優先策を持ち出しました。
わたしたち余剰のお金のない人にも博打をさせて、
株価の表面を繕おうというのです。

流されないようにしましょう。

(ちなみにわたしは株は一度も買ったことがありません。)

流されないために・・・ 文科省の「人材」について

世の中どんどん金儲けの方へ流されております。

昨年12月13日に報道向けに発表された文科省の正式文書に
多読 の二文字が初めて入ったことはすでに書きました。

その後朝日新聞で「新しい教育」に関する特集が始まりました。
その第一回の記事には 「人材」 ということばが頻出します。

すでに何度も書きましたが、「人材」 は 「人間材料」 という意味でしょう。
文科省は教育を 経済的繁栄 の 材料を作るものとしか考えていないのです。
上の文書には人材ということばが頻出します。

そしてジャーナリズムの一端を担うはずの朝日新聞まで流されて、
「人材」ということばをそのまま使っている・・・ ああ、なんてこった!

(いや、それはわかっていたことです。
わたしが朝日新聞を紙で購読しているのは「ののちゃん」が読みたいからに
ほかなりません。いしいひさいちさんは暗夜の荒海を漕ぐわたしにとって灯台です。)

新年早々暗い話ですが、NPO多言語多読のフォーラムやブログに集う人もまた
わたしにとっては灯台です。なんとかかんとか闇の正体に灯台の光を当てて、
一つ一つ消していきましょう。いや、消えるものではないとしても、
衝突して沈没しないように、灯台を頼りに迂回航路を見つけていきましょう。

そういうわけでわたしにとっては、新年はみなさんとともに「明ける」のです。
今年もよろしくお願いします。

「字幕なし多観」へ向けて新しい旅立ち 年賀に代えて

あけましておめでとうございます。

年賀状も書かない、新年の挨拶回りもしない、年に二度のお歳暮も欠かさなかった
年がない--浮き世の義理をほぼことごとく欠くわたしが、新年を機に、
昨年末から兆した「字幕なし多観」へ、脱学校英語へと、新しい旅立ちをします。

なんて難しいことを書き出しましたが、実は年の瀬に
水曜講座受講生のYさんからメールをいただきました。
その引用をもって、新年の挨拶に代えようというだけのことです。

酒井先生

水曜午前講座の Y です

BooKTalkの原稿をお送ります

(Yさんの book talk の原稿はほとんどいただいてコピーしてあります。
はじめの頃からの変化についてはまたいつかじっくり、多読的スピーキング・
多読的ライティングの話題として書きます。)

追伸:
 最近の先生のブログや講座報告に関しての感想です

大変参考になっています

・自分と似たような体験をされている方を知り、驚いています

多読開始3ヶ月で、英語を話してて仕方がなくなった
(私の場合は、5ヶ月目位でした)

Jack Frost を見て、[強く動かされた]金曜講座の方
(私の場合は、涙がでそうな程度でしたが)

Kotobushiさんメール  話すことができないのは、心の問題
(ありようと言うべきか?)だとの指摘
(私は、英語を間違うことの恐怖心、羞恥心が無くなったので
教室では英語を口にすることができるようになった)

・多観について
自分の見方は、とにかく英語が聞こえなくちゃ、判らなくちゃ
と言う意識が強かったようです

Kotobushiさんのメールで、改めて多読の基本を思い出しました
人に話していながら、本当の所、判っていなかったのかと反省です

今週借りたDVD2本は、「らくちん」に「たのしんで」で観たいと
思っています。

「らくちん」に「たのしんで」--新年の見通しがぱっと明るくなりますね!

わたしも実は「人に話していながら、本当の所、判って」いない口です。
今年はしかし違いますよ、わたしは。

今年の New year’s resolution は「スロー・ダウン」と決めました。
「本当は判っていない」ところをじっくり見つめ直して、足固めをします。
自分のことも、NPOのことも・・・

Wish me luck, みなさん. I certainly need a big one.