先日紹介した文科省の文書にはもうひとつ、
「いったいどういう頭をしているのか? 中を開けてみてみたい」
と思わせる用語がありました。
「日本人としてのアイデンティティ」
です。7ページ目に3回出てきます。
このことばのばかばかしさについてはすでに書いたので、
文科省の文書にあることは記事にしないつもりだったのですが、
今朝の朝日新聞に「日本史の必修化検討」という記事が載っていて、
文科省は「「グローバル社会を見据え、日本のアイデンティティーを学ばせる
必要がある」との意見が自民党を中心に強い」のだそうであります。
もう、自己矛盾もここに尽きますね。
そんなに日本、日本と日本の特性を強調したいなら、
なんで「アイデンティティー」なんていうカタカナ語を使うのでしょうね?
結局文科省も、自民党も、きわめて表面的にしか物を考えられないのでしょうね。
そういえば、電気通信大学にいた中島義道さんという「哲学者」が
わたしに「英語帝国主義」を批判する本を貸してくれたことがありました。
その本を書いた人たちは 「漢語帝国主義」はちっとも気にならないのでしょうね。
大和言葉を漢語が蹂躙したことは少しも気づいていないのです。
そもそも「英語帝国主義」という用語自体が漢語帝国主義に侵されているというのに・・・
ああ、我に日本人の大多数の狂気を遠ざける道を!