多読的ライティング という題名で中学2年生の男子たちの書いた英文を紹介しました。
それにモーリンさんが自分の「書きたい衝動」について書いてくれて、
もう一つ、体に溜まった英語が溢れた時のことを綴ったメールが来ました。
そういえば、電通大に研究室があったころ、たくさんの人が研究室を訪ねてくれましたが、
たまさか来訪希望の日時にわたしが大学にいないことがありました。
そういう時、わたしはたいがい「どうぞ来てください。ただ、ぼくはいないから下の事務室で
鍵を借りて、勝手に入って好きなようにしてください」と返事をしたのでした。
で、「終わったら鍵は6階のメール・ボックスに入れておいてね」と・・・
事務室の人は次の日、メール・ボックスから鍵を回収して鍵箱に戻したのでした。
はは! のんびりしたものでしたね。そういうある日の思い出とともに紹介します。
電通大のあの本がいっぱいの研究室に、ひとりで、朝から晩まで居座らせてもらって、かたっぱしから本を手にとり、よみつづけた夏の日のことを、おもいだします。せんせいも留守で、本とわたし以外、ほんとに誰もいなくて。その帰り道でした。モーリンさんのメールにあったみたいに、わたしの頭のなかも、みじかい、たくさんの英語がぐるぐるしてました。それが、あふれだそうとしているみたいに、書いたり、話したり、したくてしたくてしょうがなくなって。帰ってから、一気に英語でメールを書いた。楽しかった。あれは、宝物の一日でした。
ゆっくりと外国語に浸って、物語を静かに味わって、急がせることなく体の奥にしまっていくと、
逆にこういうことが起きるのかもしれませんね。わたしも時々そうやって、何の邪心もない
愉しみ方をしてみたいものだ。