発音練習とシャドーイング 多読的禅問答?

きょうある講座卒業生がおもしろいことを言っていました。

「シャドーイングはやってみないと分からない」

ううう・・・ そう言われてしまうと辛い面も・・・
でも多読もそうだった。やってみなきゃわからないって、みんな言ってた。
それを乗り越えてきたんだからシャドーイングだってね!

ということは「やってみる」道をつけなきゃいけない。
多読のときは「とにかく3ヶ月多読しましょう。それで合わないと思ったら
やめて結構です」なんて言ってましたね。その伝で、だれでもふっと
始められる気軽な入り口を見つけましょう。3ヶ月? 5分? ゆっくり素材?

この人はもう一つおもしろいことを言ってました。

「話すときに内容を考えて、文法を考えて、音を考えてなんて、無理!」

言い得て妙ですね。発音練習は実用にはならない

多読・Tadokuを通じてわたしが了解したことの一つは

「下手な考え休むに似たり」

あ、もうこういうことわざは誰も知らないかな?
つまり、頭は使うな、感覚で行け ってことですね、多読・Tadokuに関しては・・・

発音練習は・・・無意味 「多読的シャドーイング」 はトップ→ダウン

「ディクテーションに続いて、なんてことを言い出すのか?!」
「発音練習は英語学習の必須項目だろう!」
「カタカナ英語のままでいいのか!?」

まあ、普通そう思いますよね。
でも、わたしが多読を言い出したときも、
「辞書を使うな、なんて、非人道的だ!」
「文法を知らずに英語が読めるわけがない」
非難の嵐でした。

音についても非難の嵐を起こさなければ(起こすくらい衝撃がなければ)、
世の中のカタカナ英語や学校英語式の音はなくならない・・・

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「町の名前をひとつ」という名前 -- もとになった詩をひとつ 

きのう 広島市現代美術館の「町の名前をひとつ」展のお知らせ しました。
よく考えたら、「町の名前をひとつ」のもとの詩を紹介しないのは
申し訳なかったと思いました。

この名前は旧多読村のブログで最初に使ったもので、
そのときのいきさつともとの詩は旧「町の名前をひとつ」ブログにあります。

このブログについて

この記事のトップから少し下ったところに全文があります。
もしよければどうぞ・・・

広島市で展覧会--「町の名前をひとつ」

うれしいですね。このブログの名前をお貸ししました。
広島市現代美術館の展覧会 今週末から3ヶ月あまり・・・

町の名前をひとつポスター

 

 

 

 

 

担当したのはふるーくからの多読仲間
(と言っていいんだろうなあ)
なにしろとんでもない破格破調の多読をやった人で、
その人がいつのまにかだれもが憧れる(?)学芸員になっていた!

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ディクテーションは無意味!? Aiさんから「ある人」へ共感のメッセージ

Aiさんは山形県天童市で児童英語教室を主宰しています。
わたしの知るかぎりいちばん若い先生ですね。

実はこれまでにも何度もわたしのブログに登場しているので、
名前を出すことをゆるしてもらいました。ありがとう!

きのうの記事の「ある人」にAiさんは共感してしまいました・・・

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