流されないために・・・ フォニックスについてのメモ その1

英語ごっこの大物を忘れておりましたので、急いで追補。

フォニックス Phonics は、小学校への英語導入とともにかなり注目を
集めているようですが、先日参加したシンポジウムでは、
文科省に近いと思われる大学の先生が「フォニックスではなかなか
成果が上がらない」という意味のことを言っていました。

それは無理ないだろうとわたしは思います。
そう思う大きな理由が二つあります。その二つを無視してフォニックスを
続けるのは英語ごっこの空回りになる恐れがあります。

*一つ目はフォニックス活用の環境です。
アメリカやイギリスやオーストラリアなど、英語を主な母語とする国で、
こどもたちが音と文字を結びつけやすいように利用されています。
つまり、こどもたちは日常生活の中ですでに音は使っているわけです。
つまりすでに知っている音を土台に、文字の読み方を覚えていくのですね。

でも、日本にはそもそも英語の音がない。
したがって、フォニックスを利用できる土台がないわけです。

*二つ目は、フォニックスそのものの矛盾です。
英語国の文字学習にはフォニックスが利用されますが、
同じようなアルファベットを使っている国がすべてフォニックスのような
教授法を使っているわけではないようです。

なぜか? 英語以外のヨーロッパのことばにはフォニックスはいらない!

英語にはフォニックスが必要なのは、英語の綴りとその音声化が
一筋縄ではいかなくて、「音を知っている=文字が読める」とはなりません。
ヨーロッパ大陸の言葉はわたしの知る限りたいてい音と文字のつながりは
「一対一対応」していて、音を知っていると、それを文字と結びつけることは
とても簡単で、文字を見て音声化することも簡単です。

ところが英語は音と綴りの間に一対一対応なんていう規則性がないので、
「音を知っている+文字が読める」という風にはならない。
そこで、音と文字を結びつけるためにフォニックスが利用されるわけですが、
これは矛盾です。

規則性が十分ではないのでフォニックスで規則性を教える?

以上二つの理由から、フォニックスを日本で利用するにはかなり限界が
あることを覚悟しなければならないと考えています。その点は実は
英語国でも反対があるようです。

また、限界を心得れば、ある程度の利用は可能かも知れません。

英語国の反対意見と、日本での利用の可能性についてはあした・・・

 

流されないために・・・ 英語ごっこについて

外国語を教えるなんて、できません。
やってしまうとひどいことになる・・・
つくづく「すまじきもの」にして「すさまじきもの」だと思います。

どこがすさまじいかというと、鳥肌が立つほど「ごっこ」なのです。
ちっとも気がつかずに25年もやって、こんなことを言い出すこと自体、
「すまじきもの」だと思いますが、しょうがない。
やっちまったことをちょっとでも帳消しに近づけたい。

英語ごっこの典型いくつか並べます。
ロールプレイも日本の「英会話ごっこ」の主流ですね。
何の足しにもならないと思うけれども、何かやっている気にはなれる?
「チャンツ」とかいうものもよくある。
キャサリン・グレアムさんの言い出したchantsは全然違うものです。
日本ではリズムも音遊びもない文章をわけもなく区切って音読することを
チャンツと呼んでいて、NHKの英語講座だけじゃなくて学校でもよくある「ごっこ」。
*それからパターン・プラクティス
これは形を変えて、今でも英会話学習の主流かもしれない。
少なくとも30年前のベルリッツはそうだった。

そんなことを言ったら、英和辞典単語暗記問題集発音記号
英作文も、試験試験対策資格資格取得も機械的作業の積み
重ねであって、実益はなにもない、すべて「ごっこ」でありますな。
世の中では実益が「あるかのように」暗黙の了解があって、
こぞって「ごっこ」にいそしむわけです。

そういう「ごっこ」は架空の人工物で、「世界と物語」から切り離されていますが、
対する多読・tadokuのよいところは、実際に使われている材料で外国語を
それぞれが勝手に吸収獲得することですね。実際に使われている材料
すなわち本や放送やドラマや映画には世界があり物語がある。現実とつながっている。

ごっこと多読・tadokuは、箱庭と実際の世界くらい違うのですね。
楽譜と実際の音楽くらい? レシピと実際の料理くらい?
スポーツのルール集と実際の試合くらい?
いやそんな比喩は楽譜やレシピやルール集に失礼ですね。
そもそも外国語の学習に使われる教科書や単語集や問題集は
比べものにならないくらい「架空」のものであります。

ごっここそが楽しいのだという人は別ですが、できれば「ごっこ」に
流されないようにしましょう。流される時はそのことを意識して・・・

gmail がおかしい・・・? 追補?

ほかのサイトはcookieが有効なようで、facebook も、twitterも、
すぐに自分のアカウントの画面になります。
gmailだけが入れない! 困る!! なぜ???

*****以下前信(?)*****

なぜか、gmailに入れません。
Googleのトップには行けるけれども、自分のgmailに入ろうとすると

「ページの自動転送設定が正しくありません

このアドレスへのリクエストに対するサーバの自動転送設定がループしています。

Cookie を無効化したり拒否していることにより、この問題が発生している可能性もあります。」

というメッセージが出て先へ行けません。
というよりも、使い始めたばかりの Firefox であらゆるユーザー名や
パスワードが毎回消えてしまい、cookieの設定がどうしてもonにならない。
このメッセージを見るたびにcookieを有効にしているつもりなのですが・・・

なんなんでしょうね。しばらくご迷惑をかけるかもしれません。
一生懸命直しますので、少々(?)お待ちください。

緊急のメールはいつもの infoあとまあく tadoku.org に送ってください!

みなさん、よい連休になりますように・・・

一口大って、どんな大きさ?

今まで書いたことで、みなさんだいたいどういう大きさか
分かっているかも知れませんが、書いておきます。

一口サイズ、一口大、bite-size は、いったいどんな大きさなのか?
気持ちよくリズムを作って読める最長の長さとでもいいましょうか。

たとえば Mum and Dad. は言いやすいとしましょう。
The magic began to work. も、さらっと言えるとしましょうか。
でも、It took Kipper inside the magic house. はちょっと言いにくくて、Kipper went to find Chip but he was out.  はどこかでつっかえると
します。

そうすると、非常に粗い言い方ですが、The magic began to work. の
5語くらいがbite-sizeのぎりぎりの大きさということになります。

何語くらいまでならリズムよく口にできるかは、音への慣れ具合によって
違うと思われます。(まだあまりはっきり分かっていない・・・)したがって、
一人一人違うし、同じ人でも慣れてくると違ってくると思われます。

慣れだけでなく、何を言っている文章かによっても変わってくるの
ではないかと予想しています。目が口より少し先まで見ていないと
リズムよく読むのはむずかしいかもしれません。

というわけで、まだほとんど何も分かっていませんね、一口大については・・・
お粗末な結末でした。何か考えたり、見つかったことがあったら、また書きます。
さかいのもがきぶりをどうぞ見守ってください!

字幕なし多観についてツイート

ある人がツイートしていました。
とても簡潔に字幕なしへの道、そして楽しみを伝えてくれます。
そこで紹介・・・

多読始めたばっかりの頃は一生懸命文字を追いかけて挿絵はほとんど見てなかったんだけど、絵本をたくさん読むようになったら逆に文字なんかどうでもいいや~てなってきた それはそれで問題あるのかもしれないけど、そのおかげでか字幕なしで映画みるのも特に苦にならない 絵でわかるわかる~てなる

これ以上は短くならないことばで自分の多読からtadokuへの進化を
語っているのですが、実はそのままわたしが言い出した多読から、
みなさんが道を開いた tadoku への進化を言い表していると思います。

Hさんと同じように、多読も挿絵だけのGRから始まって、
聞き読みや絵本へ、そして字幕なし多観へと進化してきました。
その過程は文字だけでなく、音も絵(場面)も同じくらい大事だという
分かってきた道程です。

そしてわたしが言い出したのは多読(とシャドーイング)だけだったと
言えます。聞き読みも、絵本も多読も多読仲間が発掘したのです。

別に試験受けるわけでもなんでもないし当分これでいいかな~何より楽しい

「何より楽しい」のだから問題はないでしょうね。
楽しんでいるうちに描写の細かいところや、感情の機微や、
情景のスケールまで楽しめるようになります。わたしは

「そのまま Enjoy English!」

と返信したのでした。Hさん、引用を許してくださって、ありがとう!
みなさんも、まずは「楽しむ」ところから出発を!