外国語を教えるなんて、できません。
やってしまうとひどいことになる・・・
つくづく「すまじきもの」にして「すさまじきもの」だと思います。
どこがすさまじいかというと、鳥肌が立つほど「ごっこ」なのです。
ちっとも気がつかずに25年もやって、こんなことを言い出すこと自体、
「すまじきもの」だと思いますが、しょうがない。
やっちまったことをちょっとでも帳消しに近づけたい。
英語ごっこの典型いくつか並べます。
*ロールプレイも日本の「英会話ごっこ」の主流ですね。
何の足しにもならないと思うけれども、何かやっている気にはなれる?
*「チャンツ」とかいうものもよくある。
キャサリン・グレアムさんの言い出したchantsは全然違うものです。
日本ではリズムも音遊びもない文章をわけもなく区切って音読することを
チャンツと呼んでいて、NHKの英語講座だけじゃなくて学校でもよくある「ごっこ」。
*それからパターン・プラクティス。
これは形を変えて、今でも英会話学習の主流かもしれない。
少なくとも30年前のベルリッツはそうだった。
そんなことを言ったら、英和辞典や単語暗記や問題集や発音記号や
英作文も、試験や試験対策や資格や資格取得も機械的作業の積み
重ねであって、実益はなにもない、すべて「ごっこ」でありますな。
世の中では実益が「あるかのように」暗黙の了解があって、
こぞって「ごっこ」にいそしむわけです。
そういう「ごっこ」は架空の人工物で、「世界と物語」から切り離されていますが、
対する多読・tadokuのよいところは、実際に使われている材料で外国語を
それぞれが勝手に吸収獲得することですね。実際に使われている材料
すなわち本や放送やドラマや映画には世界があり物語がある。現実とつながっている。
ごっこと多読・tadokuは、箱庭と実際の世界くらい違うのですね。
楽譜と実際の音楽くらい? レシピと実際の料理くらい?
スポーツのルール集と実際の試合くらい?
いやそんな比喩は楽譜やレシピやルール集に失礼ですね。
そもそも外国語の学習に使われる教科書や単語集や問題集は
比べものにならないくらい「架空」のものであります。
ごっここそが楽しいのだという人は別ですが、できれば「ごっこ」に
流されないようにしましょう。流される時はそのことを意識して・・・