「絵=映像」から始まる

けんさんが実に鋭い評価をFacebookのコメントとダイレクト・ツイートで送ってくれました。

小 1年国語、初めの単元のこと、直近の教科書は確認していませんけれど普通のことと思います。問題点は、絵を見て話し合うのはいいのですが、絵の内容がイマ イチ。そしてその単元だけで終わってしまい、一貫して続いているわけではないと言うことです。1年生は文字を知らないのがタテマエですから、このように なっていると思います。しかし絵本の読み聞かせなどを毎日続けながら、同時に「あいうえお」(または簡単な文字の「し」や「つ」)から教えてもいいわけで す。歌やオノマトペの力を借り、お絵かきなどもして総合的に楽しく学べるのが1年生の楽しいところです。いずれにしても今の国語の教科書は昔に比べて質の 高い文学教材が少なくなっています。代わりに発表もどきと変な作文ばかり。子どもたちは正直です。教科書を開けるとまず面白そうな物語を探します。

なんでわたしは自分で気がつかなかったのかと臍を噛む思いです。
(普段から「物語、物語」と言っているのに、なんで気がつかなかったんだ!)

MIKIさんが知らせてくれました。

興味深いサイトを見つけました。一年生の国語の授業の進め方の例が詳しく掲載されています。
http://www4.plala.or.jp/higa/1nenkokugo1.htm

このページで紹介している「話し合い」はどうもある方向に連れて行こうとしていますね。
大事なのは小学校1年生一人一人が文字のない絵のページから、どんな物語を作るか、
ですね。そして、もちろん、どんな物語でもいい。そして、その絵だけの本は
たくさんなけりゃいけない。そして、おもしろい物語を作る種になる絵でなけりゃいけない・・・

やっぱり Oxford Reading Tree の絵本シリーズと同じというわけではなかった・・・?
みなさんの意見を求めます!

「絵=映像」から始まる パピイさんのころも

パピイさんから早速返事がありました。

酒井さん、

昨日のブログの話題を読んで、とても懐かしい気持ちになりました。

小学生になって(1962年)、これからどんなことを習うのだろうと、
わくわくしていたら、国語の教科書の最初のページには、
文字が一個も無くて、とてもがっかりしたことを思い出しました。

その絵は、公園で子供たちが遊んでいる風景でした。
そう、二つ目の写真のような感じでしたね。

腑に落ちない私は、後日先生に聞いてみたところ、
絵を見ながら、みんなでお話をするために文字が無いとのこと。

英国だけでなく、自国語の教育には、どの国も一生懸命取り組んでいるようですね。

☆パピイ

パピイさん、ありがとう!
1962年というとずいぶん最近まで絵だけだったのですね。
最初の記事の教科書は昭和30年というから、1955年だったらしい。
みなさんの小学校入学時の国語の教科書はどうでしたか?

今はどうなんだろう?

と思っていたら、MIKIさんからツイートがあり、
東京書籍の 「新しい国語 1年生上」でも、はじめのうちは絵だけだということが判明。

まてよ・・・? 字が読めないはずだから、ということか?
そんなすごいことではないのか?
いや あいうえお表から始めるなんていうことだってありそうだから、やっぱりすごい?

「絵=映像」から始まる 古き良き日本でも?

かつて、Oxford Reading Tree を初めて見たときに、
読書支援のために作られた絵本のはずなのに、
字のない絵本から始まっている! ととても驚いたのでした。

もちろんわたしが分かっていなかったからで、読書の楽しみは
自分から物語の世界に入っていく ことに始まるということを Roderick Hunt さんや
Alex Brychta さんはよく分かっていたのですね。
絵をよく見て、自分で物語を 作る ようにと、文字を入れていない!

最近になってやっとわたしも、そのことが分かってきたという気がします。
ことばは文字ではない・・・

NPO多言語多読の理事川本さんが
「弟が小学校の時の国語の教科書が出てきた」と言って、事務所に持ってきてくれました。

驚きました。国語の教科書なのに、Oxford Reading Tree の絵本と同じで、
はじめは文字がない!

1国語教科書

 

国語教科書2

こんなすばらしい国語の教科書を作った人たちは・・・

国語教科書3

いま小学校1年生はどんな国語の教科書を与えられているのか?

「絵=映像」 は多読の 「底=土台」? 

一つ前の記事で「わたしたちは多読の底にたどりついた」と書きました。
底というのはわたしの実感ですが、
(12年かけて、文字から音へ、絵へと、ことばに対する考えが 深まって
きたという気がするので)
普通には底というより土台のほうが分かりやすいかもしれません。

底か土台かはたまた基盤か--それはともかく、言葉は文字である以前に、
音であり、場面であり、気持ちであり、考えであるのですね。

けれども日本では漢語以来 外国語=文字 と思いこんできた。
(それ以外に外国語に触れる機会がなかったので)
最近 文科省では外国語の 音 をこれまでよりも重視しようとしていますが、
どうも不徹底に見えます。音を成立させている場面も気持ちも無視されています。
音声英語! というお題目を無理矢理唱えているだけのように見えます。
ことば全体を捉えた上で音の位置を意識しているわけではないのですね。

わたしが考えることばは氷山のようなものです。

*海面上に出ている部分が 音としてのことば

*海面下に広がっている全体の9割は 気持ち/考え/物語/世界観

*そしてことば全体が浮かんでいる海は 場面/世界/状況

文字はせいぜい氷山の上に降った雪というところ・・・

したがって、ことばを 世界 や 物語 や 場面 や 気持ち や 考え から切り離して
理解しようとしたり、仕組みを探ったりすることは非常に無理があると思われます。
(文法を探る試みがいまだに成果を挙げていないのはそのせいかもしれません。)

この「ことば観」は実に多くのことにつながっています。たとえば
*言葉の獲得を文字だけからはじめることはあり得ない
*「をさなごのやうに」外国語を獲得することが可能だとすれば、
音と絵や映像から始める
(ただし、をさなごではない人が「をさなごのやうに」なるにはさまざまな工夫や
仕掛けを必要とします。それがgraded readersであったり、劇薬シャドーイング
であったりするのですね。)
*文字ばかりの本が「読める」ためには、音と絵や映像をたっぷり体に染みこませて、
文字を見ただけで音や絵や映像が思い浮かぶようになっていることが前提

最後の点をこれからしばらく記事にしようと考えていますが、
一言で方向を書いておくと、graded readers には絵が足りない、ということですね。
お楽しみに!

わたしたちは多読の底にたどりついた katobushiさんの感想から・・・ 

katobushiさんのツイートを引用したら、katobushiさんからメールがありました。

ブログ拝読致しました!
引用していただいてほっとしています!あのころの報告は本当にまずかったです!

ブログの感想です。。。
現象的なことですが(そう、本当にしょーもない現象的なはなしです)、学校英語や歪んだ学習意識をどうかいくぐるか、という視点では、「年齢」という尺度はあっさり「レベル」に利用されるだろうと予想します。

参ったな、でもそうでしょうね、「あっさり「レベル」に利用される」でしょうね。
一つだけ希望があるとすれば、年齢は一人一人のもので、
「レベル」は一人一人の外にあるもの--

そういうことを周到に避けるにはどうするか?
僕はこんなふうに思います。多読初期の人に「辞書を捨てろ」というのと同じ意味合いで、「レベルを捨てろ」「(狭義の)言葉を捨てろ」といえばいい!だれも相手にしてくれないでしょうか。。。

「レベルを捨てろ」--なるほど、です。

先生は「氷山の一角」って言いますよね。字幕なし多観を「1%も聞き取れないもの」からはじめることが出来れば、文字や、文字に乗っ取られた音から離れて、海面下で起こっていることを感性でとらえられるかもしれません。慣れてしまえば、そんなに難しいことじゃないです。実はかなりの部分を受けとれます。音楽家と音楽で、絵描きと絵で対話できるのと同じことです!そこが一番大事!!

人によっては「大人向け」や「劇薬」の方がいいかもしれませんね。「子供向け」は「レベル」に組み込みやすいですからね。そして「多読」よりもより一層「投げる」ことを強調せねばです! YYさんが「Third star」で経験したようなことが起これば、「レベル」や「学校英語」に対する強力な対抗手段になり得ませんか??(やっぱり最後までしょーもない話でした。。。)

しょうもなくなんか、ないですよ。
多読のいちばん底にわたしたちはたどりついたのだろうと思います。
ここをわたしたちの新しい旅の出発点にするのですね。

追伸
「本当にまずかった」なんて心配は無用です。
いや、無用じゃないかもしれないけれど、あっちへふらふら、こっちへふらふらは
「未知の道」を踏みならして行くときは仕方ないんじゃないだろうか?

わたしなどはそういう「まずいこと」を山のようにしてきた。
100万語を提案しました--よかったような、悪かったような・・・
YLに関わってしまった--悪かったような、よかったような・・・
Graded Readers をみなさんに紹介してしまった--よかったような、悪かったような・・・
挙げはじめればきりがありません・・・ これからもいっぱい「まずいこと」をするでしょうね。