みんなのうた

(旧ブログでも何回か書いた「みんなのうた」を復活させることに・・・)

ディキシーランド・ジャズ? ニュー・オーリンズ・ジャズ?
どっちと呼ぶべきなのかわかりませんが、英語と関係ないこんな映像もよいかと・・・

http://youtu.be/A91pY1L9meQ

Wynton Marsalis さんは、「トランペット吹きの子守歌」も大好きなのですが、
お祭り、ワイワイの好きなわたしとしては、こちらも大好き。

一人一人が勝手に演奏しながら、みんなが気持ちを通じ合っていて、
だから一つの曲になってうねっていく・・・ニュー・オーリンズの通りをゆっくりと
演奏しながら行進している感じがなんとも言えません。

わたしは神は信じていないけれど、こんな風に神を信じる人たちは信じてもいいと思います。

(意味不明か? 矛盾しているか? でも、やっぱりそうです。)

わたしもぜひこんな風にばいばいしたいものです。

学校英語を洗い流すために 今週のお題について追補

みなさん、もう the について考えて下さっているようで、
すでにメールが二通、届いています。

届いていますが・・・ お題の出し方が簡単すぎましたね。
ちょっとだけ具体的にします。以下の趣旨でメールをください!

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the の役割は日本語の 「その」 と同じだろうか?

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上のお題を見て、すぐに何か考えが浮かんだ人はぜひメールで送って下さい。

ただし、多読・tadoku歴の浅い人は考えないで下さい。

みなさんの意見や感想を楽しみにしています!

学校英語を洗い流すために -- as の役割についてメール!

とても意外な反響が帰ってきました。
いわば、これまででいちばん抽象的な、きわめてウンチク的な話題と思ったのに、
(したがって説明も中途半端で、でもあきらめるしかないと思ったのに)
英文がすっきり読めるようになった--という反響です。

もちろんどんな英文もっていうことではないでしょう、それは当然です。
それにしても、わかんないもんだ!

asの中心的役割って、なんだとおもいます?とか、ブログに、かかれたとき、もうこの話題(文法みたいな、蘊蓄っぽい話題)からは、お~りた!って、おもったよ。いやだ、こんなの、ややこしい。だいたい、なに聞かれてんだか、こんどのは、さっぱりわかんないや、って。
だけどさ、asの、あたらしくアップされた、あれ、asには動きがある、って、あれ、読んだら、ちょっと、たのしかった。ああ、なるほど、そうかもなあ、って。(でも、全部はちゃんとは読めてないので、すみません。)
で、よめて、よかったです。蘊蓄はきらいだって、おもってたけど、(蘊蓄にかかわると、たくさんの、説明調の日本語が、頭のなかに流れ込んで、ものごとがややこしくなって、動きが、ぎこちなくなっちゃう、読めなくなっちゃう、って、思ってた)、むしろ、今回は、asのはなしが、潤滑油になったみたい(笑)。話題がおわって、説明の日本語は、消えて、asの感触だけが、のこってる、みたいな。おかげで、いま読んでる本が、より、きもちよく、すっきりと、読めるように、なった、気がする。
いままで、asについては、なんとなくでしか、読んでなかった。いわば、もやのなかに、ただようものを、手探りで、読みとっていたような、かんじだった。でも、ブログみてから、本の続きをひらいたら、ははは、なるほど、そうね。状況が、クリアになったような…?どうもありがとう。

いや、お礼はこちらです。
こうやって「洗い流すために」シリーズを続ける支えになりました。
特にどこがって書くと自画自賛みたいになるからやめますけどね。
うれしかった!

もう一つ、こちらはtwitterから・・・
いくつかのtweetをつないでいます。

私もasには動きを感じます!キャタピラみたいに2つの丸がぐるんって

asに動きを感じる件、昨日はキャタピラの2つの丸って書いたけど、忍者屋敷のからくり扉かなあ。ぐるん。asが目に入ったときに「ぐるん」てして、意味の切れ目でパタンと決めると、新しい絵(景色?情景?)が出てきたり、それまでの景色に色がついていたり。

as うーん、やっぱりちがうかも。グルンとしてパタンと静止画、みたいに止まるんじゃないな。やっぱり動きがあるような気がする。グルンはいいんだけど、そのあとも併走してる感じ。

うーん、やっぱり私、asは掴みきれてないなあ。うむ、アンテナ立てておいて多読しよう。(話は飛ぶけど、静止画じゃなくて動いてるって、ハリポタの世界の肖像画みたいで、自分で笑っちゃった)

あそうそう、asといえば学校で一番に習う有名なアレがあるんですが、多読していてアレだって飛びつくと、その後違うのでオットットてなって、違う意味のコレじゃーってなるんだけど、それでもなかったコッチじゃーってなるんだけど(爆。さらに多読が進むと(続く)

(承前)いちいちそんなことをしてると面倒臭いので、asをみたら、だいたいこの辺じゃろとモヤモヤと受けて先へ進むようになる、自分なりのふわふわしたものができてくるんですね。でも、多読始めたばかりの人がいきなりasなんか目標にしちゃうと大変なので、まずは、やさしい単語から、

(承前)これ思ってたのと違うなっていうのに会ったら、その違和感を大事にして、丁寧に微調整していくというか、ふわふわにしてください。ああいう場合でもこういう場合でも出てくるから、帰納的にこんな感じ?というのが、その単語の核になるイメージです。

二つ大事なことを語っていると思いました。
一つは as を少しずつ追い詰めているところ
もう一つは、「違和感を大事にして、微調整、ふわふわ」というところ。

as について、もしこの記事が何かの役に立ったら、知らせてください。

役に立つどころか、邪魔になったという場合も知らせてください。
(ウンチクは害になることがあります。そのため、かつては「毒リンゴ」のマークをつけていたほどです。

それから、「学校英語を洗い流すために」で採り上げたほかの学校英語の知識、理解、または採り上げていないことについても、なんでも知らせてください。 宛先はいつものように、info あっとまく tadoku.org です!

学校英語を洗い流すために・・・ as の役割は? 次は the です!

今回はやはり難問で、メールは少なかった。
いえ、あることはありましたが、前のブログの時にこの話題に乗った人たちから
2通、新たな参加者から1通のメールでした。

それは無理ない。そもそも学校で文法をやったり、英和辞典に親しんでいる人は
as のことなんて、考えたこともないでしょう。機能語だから。
あることさえ忘れているのではないかな、多読している時は。

stop や belong は as にくらべたら具体的かつ内容語の面が大きいから、
反応しやすかったと思います。ところが、学校英語の害がいちばん大きいのは
機能語寄りの語でしょうね。

でもそれはまたおいおいということにして、まず第一便・・・

こんにちは。AKです。

先生の英語の問題、難しくて考えるの苦手だけど
たまには頑張って、回答してみようと思います!

“…as ~”は、今までの体験だと
“~”の部分のおかげで、”…”の情景が
頭の中にパッと浮かぶような気がします。

んでもって「あっ、そういうことなんだ。」
って納得できる感じになる。

それって、どういうことだろう??
うーん・・あっ、つまり具体化するってことだから
“as”の役割は
“…で与えられた情報をもっと掘って深くする”
ことだと思います!

以上、私の意見でした。

AKさん、ありがとう!

as って、たいてい、… as ~ の形で登場しますね。
で、その … と ~ がどういう関係にあるか、おそらく問題はそこだろうと
思います。

それで、 AKさんの … が ~ でもっと掘って深くする!
これは三つ目のメールにもそのまま出てくるので、そこでまた考えますね。

で、二通目のメールです・・・

酒井センせー、こんにちは

あえて、英和辞典を引いてみました。Eゲイト英和という辞典です。

冒頭に、コアイメージとして、天秤の絵があって、両方のさらにAとBがのっている。
その絵にならべて A as Bと書いてある。それに注のかたちで、「バランスが取れている」

後は、訳語(になりうる日本語)の羅列でした。

めずらしく、悪くないなと思いました。
私もasに対してイメージを持っていて、上記のイメージとは少し違うのですが、
でもよりうまく伝えられるかというと、できません。 やはり、単語単体の
役割を云々するのは、学者さんに任せておきたい気がしてきます。

なお、Eゲイトのイメージと、私のイメージの差を、雑にいってしまうと、
私のイメージには”動き”がありますが、上記の絵は静的に見えたところ、かな。

独眼龍

おー、たしかに! そう悪くはないですね。
とにかく 訳語の羅列 が英和辞典の 心臓(?) であり アキレス腱 なのだから、
訳語より先に いちばん核となる役割を説明しているのは、
大いに歓迎すべきですね。ほかの英和辞典も真似してほしいものだ。
そして、少しずつこの部分が大きくなるといいですね!

(いや、それでまたいろいろおかしな情報が入って、めちゃくちゃになるか?)

でも、独眼龍さんが書いているように、天秤のイメージではいかにもまずいと
わたしも思います。

わたしは独眼龍さんと同じように、as には 動き があると思います。
これは結構確信があります。 「同時進行」という感じですね、言ってみれば。
… as ~ の … も変化するし、同時に ~ も変化する--これが as の核となる

役割ではないかな?

で、二つの変化は片方が片方の原因であったり、単に偶然同時に変化している
だけだったり、二つの関係はいろいろですね。また、動作の変化もあるし、
状態の変化もあります。

その辺のところを理解するまでにわたしは40年くらいかかったので、
15年くらい前まではわたしはいかにも学校英語風な説明として、
「as には4つの大きな役割がある。つまり、「~として、~につれて、
~ので、~のように」のどれかだから、訳すときは(!)四つを順番に
当てはめて、いちばん意味が通るものにすればいい」などと言っていたのでした。

冷汗三斗とはこのことです。

ところが、次のメールをくれた人は、前回この話題を記事にしたときに書き
ましたが、「同時進行」という理解まで、ほぼゼロから多読をはじめて4年たった
あたりで、気がついていた!

負け惜しみですが、学校英語をあんなに一生懸命やらなかったら、
わたしだって、4年くらいで 「as の役割は同時進行を示すこと」という認識に
至っていたはずだ! というのは、「asの4つの用法」みたいなことを言っていた
身では恥ずかしくて言いにくいのですけれどね。

で、その学校英語の秀才だったわたしの10分の1の時間で as の役割を
見抜いた人のメール・・・

ある人から

酒井先生、こんにちは。
今日は懐かしい話題につられてメールを書いています。
取り急ぎ、asについての役割については、5年前(正確には6年前)のわたしに譲ります。
http://tadoku.org/old-blog/archives/2008/05/14_2343.html

わたしが as について「?」のアンテナがたったのは、海外ドラマや映画を観ていたときのことです。
よくオープニングやエンディングで「俳優名 as 演じている役名」で表記されてますよね。
それをみて「as って何だろう?」と思ったのがきっかけでした。

でも感じてしまえば答えは簡単で。

Benedict Cumberbatch (Google画像検索)

Benedict Cumberbatch as Sherlock Holmes (Google画像検索)

どうでしょう?このまんまですよね。もう説明も何も…って感じです。

「asって、要するにasの前と後が同時に起きているっていうことですよね!」です。
いまはもうちょいこねくりまわして「前に後ろが乗っかって起きている」って言いたいところです。

そして面白かったのが、この例えを多読友に話したときに、
「俳優名 as 演じている役名 って日本語にならないー!」って言っていたら、
「演じてる役名 ”としての(として)” 俳優名 でどうかな?」と瞬時に言われ、
すっごく感動したのでした。なるほど、ぴったりー!
(シャーロック・ホームズとしてのベネディクト・カンバーバッチってことですね)

で、思うのは。
今回、このメールを書くにあたり辞書とかネットをみてみたのですが、
as のことを「同じ」とか「同じくらい」的に説明されているんですね。ビックリしました。。
だって、シャーロック・ホームズとベネディクト・カンバーバッチは別人だし!同じじゃないし!
Martin Freeman と Martin Freeman as Bilbo Baggins だって違うよー!

はー。スッキリした!

書きっぱなしではありますが、まとめは酒井先生に任せます。
それでは!

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火曜日午後にNPO多言語多読の事務所ではブッククラブの人が通ってきて、
ウンチクを語っていました。その二人の洞察は学校英語をまったく感じさせないもので、
わたしは二人の話についてきくがやっとでした。

したがって、このメールの中の 「そのまんまですよね」というところも、
よく理解できないのですが、どうやら、最初のメールのAKさんと同じ事をいっている
のではないかという気はします。確信はありません。

たしかに言えることは・・・

*学校で習った「~として」や「ように」や「ので」といった切れ切れの理解は
まったく as の核となる役割に届いていない。

*英和辞典の バランス というのも、ただの中途半端。

*学校英語で覚えたことを洗い流すには何十年とかかることがある!

さて、次は the にしましょう。the はいったいどんな役割を持っていると思いますか?
わたしの意見と違っていてもいいのですからね、どんどんメールをください!
宛先は info あとまく tadoku.org です。楽しみにしています!

多読のパラドックス 子離れ熟成篇

去る者は日々に疎し--語学学習ではこれは特に実感を持って語られる
ことわざでしょう。けれども、「去るとも日々に親し」というパラドックス!

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多読支援は簡単な場合は、ひどく簡単で、複雑な場合はひどく複雑・・・

特に家庭内の場合は、複雑になるとどんどん複雑になって、
解きほぐすのは大変!ということがあります。

どういう場合には「簡単」か?

ある程度はっきりしていると思いますが、親が子どもを離れた自分の生き方を
持っていると思われる場合は、比較的親子多読がうまくいくようです。

そういう場合と思われる例をあるブログから紹介します。

【YYYの多読】支援三原則を守って、見守ることの大切さ。

ひょんなことから、今週末にNPO多言語多読(TADOKU Supporters)の事務所に遊びに行くことになりました。英語絵本の読み聞かせの会です。

で、もちろん私も絵本を1冊選んだのですが、一緒に行くYYYにも、「今回は絵本の読み聞かせの会だから、YYYも1冊選んで読んでね。」と言って選んでもらいました。

最初は、大好きなBiscuitを持ってきたのですが、7月にNPOの事務所に行って様子がわかっているからか、「この本だとちょっと小さいかな。もうちょっと大きな絵本がいいよね。」と言って別の本を持ってきました。

お~、この本は、私が10年近く前、児童英語の先生になったばかりの頃に教材として使っていた本ではないですか! YYYの部屋にあったらしいのですが、「なんか、懐かしかったから」と言ってました。

実は、ここだけの話ですが(笑)、YYYの多読は大停滞期に入ってます。体を動かすことが大好きで、もともとあまり本を読まない子です。図書館や書店で本を見るのは好きで、月2~3回は市立の図書館で本をかります。今は歴史まんがに凝っているようですが、かりた本を読むのは本当に時々。そんなYYYですから、英語の本は最近まったく読んでいません。去年の夏に33万語くらいまで読んでからは完全にストップしていて、とうとう6年生になってからは長期休みの課題にすら入れてもらえない始末・・・。

来年からは中学生になるし、母親としては少し焦る気持ちもあって、酒井先生にもお話ししたのですが、「放って置きなさい」のひと言で・・・。本当に今のままでいいのかな~と正直かなり不安になっていました。

YYYさんに限らず、こどもが「勉強」しないときに、放っておくのは、
かなり大変です。どうしてもちょっかいを出したくなる。それはわたしも同じでした。
--できるだけ子どもの生きたい道の邪魔にならないようにとは思うものの、つい・・・

でも、自分ではちゃんとできなくても、かなりの数の親子を見てきて、
放っておく、これは親の義務の第一ではないかと思っています。
「親はあっても子は育つ」場合もありますが、概して親が口を出していいことはない。

おっと、この話題は長くなります。戻りましょう。

で、最初にYYYに、「読み聞かせでさ、一番大切なことって何だっけ?」と質問してみました。返ってきた答えは・・・

「絵を見てもらうこと」

あ、なんだ、わかってるんだ。ちょっとホッとしました。

じゃ、とりあえず、一回読んでみて、と言うと、なんと、なんと・・・

実にすらすらと、実に普通に、読みました(驚)すごく久しぶりに開いたか、もしかしたら一度も自分では読んだことのない本を。まるで日本語の本を初見で読むような感じで。(発音できない単語が1個だけあって、すごく久しぶりに止まって私の顔を見ました・笑)

英語に関しては何も言うことがありませんでした。ここはもうちょっと間を取った方がいいよね、とか、この絵はゆっくり見てもらいたい絵だよね~とか、どちらかと言えば絵本の見せ方に関することだけで、そこだけ練習すればいいのかも・・・、と思いました。

自分自身も多読をしていて、何人かに多読の支援もしていて、今回のYYYの件も含めて多読って本当に不思議だな、と思うのは、例えば何かの事情でしばらくお休みをしたり、読めない期間があったとしても、直前まで読んでいたものはきちんと体に(頭に?心に?)残っていて、時間が経っても後戻りすることなくそこに戻れるということ。

中には、中断前より難しい本が読めるようになった、って言う人がいるということ。

読んだ語数が減らないように、体(頭?心?)に溜まった言葉も減らないのかな。

絵を見ること! うーん、子どもの直感はすごい・・・ すごい・・・

これはここ数年強調するようになりましたが(もっと前からだったかな?)
おとなはこれを分かるのに苦労します。わたしも、5年くらい前まではそこまで
絵が大切だとは思っていなかったのではないかな? 単に「絵が多い方が
入門しやすい」という程度の認識だったと思います。

NPOの多読講座でははじめのうちは字を隠して絵だけを見てもらいます。
英語の勉強に来たのに、英語を見せてもらえない!というわけで、
みなさん、半信半疑で講座に入って行きます。でも・・・

「ことばは白い活字の上に印刷した黒い活字ではない」

わけで、どうしてもことばの生まれた場面と、言葉を出す人の表情と一緒に
体に吸収する必要があります・・・ありますが・・・ 長くなるのでこれはまたいつか。

たぶん、YYYさんの場合も、頭ではなく、心と体と頭と、(ひょっとすると仮想的には
筋肉も使って)全身で絵本を受け止めたんでしょうね。そうすると、もう歩いたり、
走ったり、息したりするのに近くなって、かなりの時間離れていても消えたり、
忘れたりしない? だからこそ、しばらく停滞があっても、それはむしろ熟成のために
必要だったりする?

停滞期間の熟成--これは多読の謎の中でも相当大きい!

酒井先生の言うとおり、多読に関しては今後もYYYに言わないようにしよう、と思いました。YYY自身がいつか必要だと感じた時には、本はいつでもあるんだし。

何か、よかったな。YYYにはちゃんと多読の種が根付いているんだ。私が何も心配しなくても、枯れてないんだ、と実感できました。

ブログの引用を許してくださって、ありがとう!

最初に出てきた多読支援三原則については先生向けにいつも話していますが、
ブログではあまり言っていなかったと思うので、書いておきます。

<多読支援三原則>

1.教えない

2.おしつけない

3.テストしない

学校の先生に嫌がられるのも無理ありませんね・・・
けれども、多読三原則と多読支援三原則はことばとわたしたちの関係を
いちばん底から見直す機会を与えてくれるのだと、今にして思います。
そして多読はどうもかなりことばを身につける時の根本的な土台に関わっている
かもしれないと思います。

なお、次回のNPO多言語多読「絵本読み聞かせ会」は11月10日です。
詳しくは・・・

http://forum.tadoku.org/viewtopic.php?f=9&t=2022&p=7671#p7671