使い方がむずかしい語の代表みたいに言われることもありますが、
たしかに a も the もむずかしい。
(機能語は頭で理解しようとすると、たいていおっそろしくむずかしい!
Tさんはしかし、’a’ の一つの側面をしっかりつかまえていると、わたしは思います。
わたしは文法にとても関心があるわけで、それは不可能への挑戦だからおもしろいという関心でもあります。文法の中でもとりわけ a , the には関心があって、すでに「さよなら英文法 多読が育てる英語力」(ちくま学芸文庫)の中でも、この二つの語について書きました。
Tさんの見方は、長年考えてきたわたしの見方と一致しています。
“a” ってたとえば”a boy”が出てきて次に”the boy”になったり、具体的に”Tony”とか、
名前になって、というような認識でしかなかったのですが、あるとき”a” “a”と二回
続くということがあって、この時はあまり気にもとめず、軽く流して読んでいました。あるとき、こども向け本の話の中で、学校にクリントン大統領がやって来ました。
はじめは”a man”とか書いてあったか覚えていませんが、とにかくクリントン大統領
が教室に入って来ました。そして次に” A president of US is coming to our school.”
みたいなことを言ったのです。”the”ではなく。また、学校に豚を連れて来た先生に向かって”Where did you get a pig.”と言ったのです。
“the”ではなく。これって実際そこにいる豚を見るかなにかして、「その豚どこから持って
きたの」じゃなくて「豚なんてどこから持ってきたんだ」というような気持ちで
言っているように僕には聞こえます。上の文も「何代もいるうちの大統領の一人が
来ちゃったよ」というような感じで読みました。”a”にはとても感情があるように
思えたのです。”a”を使って抽象度の上げ下げとでも言うのか、そういうことでニュアンス
が微妙に変わる楽しさを味わっています。“a”は酒井先生が本に書いていた(今の意見は分かりませんが)「いわゆる一つの」
というより、たとえば “an apple”なら「自分がよく目にしているリンゴ、自分の
イメージの中のリンゴ」”the”は「会話している相手と共通のリンゴ」かな?
だからこそ”a” を使うことによって”What colour is an apple?からそれぞれの、国や人々
の状況が、答えからうかがえるのではないかと思うんです。”a”あってこその質門だと
思うんです。たとえば、酒井先生に向かって「先生のくせに」というのも英語なら”a”かな?とか
考えると”a”も単数や複数がどうのよりも結構膨らむ言葉であると思っています。いまの所の”a”の感想でした。
これはすごいです。クリントン大統領の登場のこと、学校に連れてきた豚のこと、
(正しいかどうかは別として)わたしと同意見です。「何代もいるうちの大統領の一人が
きちゃったよ」という受け取り方、そして「抽象度の上げ下げ」という表現も
その通りだと思います。そして、それで微妙に変わるニュアンスを味わう、というのも
すごい・・・
わたし自身とくらべて「すごい」というしかないのですが、わたしは a について
いまの見方に到達するまで何十年もかかりました。(少なく見ても30年!)
それなのに Tさんがこの見方に到達するのにかかった時間は最大で10年くらいでしょう。
多読すれば本当の意味の「文法」が身につく、ということを示してくれたのだと、わたしは思います。
(Tさんの受け取り方が「正しい」とは言っていません。たまたまわたしの見方と一致している
ということです。ただ、わたしにはそれが「本当」の意味の「文法」に近づいていると思えるのです。)
Tさん、メールをありがとうございました。またいくつでも気がついたことをメールで知らせてください。
「いまの意見」と変わったら、それも知らせてください!