Tadoku三原則(仮) 「仲間」について・・・

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Tadoku三原則の ① 「仲間といっしょに」 についても意見が多く寄せられています。
(引用を許可してくださった意見は全部紹介します。)

いろいろな意味でこれまでの多読とは違ってきます。
実際にはこれまでの多読にもSSSという場があって、「仲間」がいて、
一人一人の多読を楽しみ、楽しさは何倍にもなったのでした。

一方ここ5、6年ほど、わたしは SkypeやTwitterやNPO多言語多読の講座を通して、
直接語り合う相手がいるとことばの獲得がとてつもなく楽しく、その結果早くも
なる様子をつぶさに見てきました。

そこで「① 仲間といっしょに」という原則が出てきたのですが、
SSS以来の変化を見てきたある古い「仲間」はどう考えているか・・・

こんばんは、酒井さん。

ブログ読みました。tadokuにおいて「仲間」の大切さをどれだけ重要視しているかが伺えます。しかし、仲良しこよしが全面にあるわけではないですよね?前にどなたかが言っていた「どうも集団は近づきにくい」みたいな方は少なくないと思われますが、「仲間」というのは「ゆるやかな英語圏」「ぬるい英語圏」と勝手に思っています。「留学」などのハード?な環境ではなく、TOEICなどの勉強でもなく、多読やバイトサイズなどで英語に親しんで(使って?)いる人たちの集まり。「仲間」ということばになってしまうと僕も少し抵抗があります(色々恩恵は受けていますが)。

その通りです。従来の意味でのエリートを仲間として認定しようというのではまったくありません。
もっとずっと「ゆるい、ぬるい外国語圏」を考えています。めざすのは留学でも、試験でも、資格でも
ありません。(あ、もちろんTadokuの結果としてそうしたことが「ついてくる」のはちっとも
かまいませんが・・・)

実際どういう「仲間」を求めているかは、数ヶ月くらいしたら少しずつ明らかになると思います。
楽しみに待っていてください。

で、「仲間」ということばですが、これにはいろいろ頭を悩ませています。
多読そのものにも「宗教じゃないか?」とか、「さかいは教祖か?」といった危惧がありましたね。
だから開けた呼び名にしたいと考えています。募集中です!

(ただし、多読時代からわたしは 「間口は広く、敷居は低く、天井は高く、奥行きは深く」 を
めざしているので、天井の高さ、奥行きの深さを犠牲にしてまで 「だれでもどうぞ」という
つもりはありません。試験や点数や資格や学歴や(要するに外にある基準ではなく)
自分の頭で判断して、自分の足で歩ける「真のエリート」が「仲間」になることを願っています。)

三原則、原則になってしまうとどうも縛られてしまう人も多くその弊害があるということをおっしゃっていた、という前提で書きます。そもそも原則は原則でしかないのだから、三原則(語数、YL含め)というより、縛られすぎる人たちを解放することば;「三つの提案」とかなにか違ったことばを使うという手はないのでしょうか?そのほうが「仲間」(できれば他の名前の方が個人的には良いですが、仲間では抽象度が高すぎて受け取り方も様々だと思います)に入る(つくる)ことについてもハードルが下がるのではないでしょうか?そして、自分で判断して仲間に入ったり、離れたりではダメですか?「仲間」ということばは人によっては強制される感じが強いのでは。

肚裡

ほぼ同感です。
「快読100万語 ペーパーバックへの道」以前には学校英語に疑問を持たない人が多かったので
原則という強いことばが必要でした。けれども Tadoku は学校英語の方法を抜け出して
さらに先へ進もうという人のためにあるとすると、原則ほど強い言葉は使わなくていいのかも
しれませんね。けれどもまだ学校英語に縛られている人にも声をかけたいので、
強い言い方にも惹かれます。さて、どうしたものか・・・

肚裡さん、ありがとう!
みなさんからの「提案」も待っています。
連絡先・・・
Twitter: @kunisakai
Facebook: 酒井邦秀
メール: tadokuorgあっとまあくgmail.com (NPO多言語多読事務局宛て)
sakaikunihideアトマアクgmail.com (さかい個人宛て)
LINE: さかい@多言語多読 (まだ使い方が分かってませんが)

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