多読の人間国宝お二人のことは何度も書きました。
(また近いうちに書きます。)
実は最近70代後半以降で多読を自在に楽しむ人が増えて、
これは国宝にしては多すぎる、多読の無形文化財くらいに名前を変えなければ
いかないのではないかと思い始めているところです。
たとえば世田谷の I さん・・・
多読の人間国宝お二人のことは何度も書きました。
(また近いうちに書きます。)
実は最近70代後半以降で多読を自在に楽しむ人が増えて、
これは国宝にしては多すぎる、多読の無形文化財くらいに名前を変えなければ
いかないのではないかと思い始めているところです。
たとえば世田谷の I さん・・・
多読・Tadokuはこれまでの常識をことごとくひっくり返します。
あまりに常識に反するので、ついていくのがむずかしいほどですが、
実際に多読・Tadokuしている人はサラッとその「非常識」を口にします。
直前の記事と同じ金曜日講座の参加者が、つい最近こんなことを述懐したとか・・・
「飛ばし読み、飛ばし聞きの経験があるから分かるところが増えてきたと思う」
うーん・・・ 実際にやっていないとこの感想は信じにくいでしょうね。
語学学習は一つ一つの語と一つ一つの文法事項をきちんと理解して
それを積み上げていくことだ、と信じ切っていると、
このことばは無意味に聞こえるでしょう。理解不能に違いありません。
でもね、こんな矛盾したようなことばが真実になる Wonderland が
実際にあなたのすぐそばにあるのです。
その Wonderland で今も楽しく遊んでいる人たちの声を聞くことができます。
Tadoku新サイトの
「Q: わからないところを飛ばしていて、本当にわかるようになりますか?」
を見てください!
なお、Tadoku新サイトの次の更新は17日土曜日です! お楽しみに!!
金曜日の講座の古手、Sさんはこのごろ成長著しくて、
担当講師の粟野さんがいろいろわたしに語ってくれます。
ペーパーバックを楽しんでいるし、
映画やドラマは「基本的に字幕なし」だそうです。
そのSさんが実は多読のパラドックスの体現者でもあるという・・・
でも、Tadokuの三段階 の二段階目まできているのです・・・
図書館で多読の話をするときは「多読は読書です」といいます。
だから表題はよくある質問です。
日本語の読書だって好きじゃないのに、英語の読書なんてもってのほかーー
さいわいその後の「人気」が示すように、
どうも読書好きかどうかは関係ないようです。
ごく初期に多読がうまく行った例はわたしの甥です。
高校1年生からわたしの家に来てやさしい絵本から読み始めて、
大学生のころにはペーパーバックを楽しんでいたのですが、
ペーパーバックを10冊くらい読んだところでこんなことを言ったのです。
「おじん、おれ、日本語で読んだ本より英語で読んだ本の方が
多くなった」
おいおい、日本語の本をそれしか読んでないわけ?
ほかにも実例があります。次のページへどうぞ!
多読では「楽しんだもん勝ち」というのはよく言われます。
いやたぶんほかのことでもたいていはそうなのではないかな?
捻り鉢巻きで血相変えて余裕のない場合よりも、
一歩下がって自分を冷静に見られる場合の方がうまく行く?
「ノルマ」ということば、みなさん好きですね。
その結果、ノルマばかり気にして目的を失ってしまう。
いつか疲れだけが残る・・・
多読はできるだけ心も頭も体も疲れないように、
ベスト・コンディションで外国語を迎えます。
きょうの新ページはわたしは「ノルマ」の話だとみています。
またしても、心の赴くまま、ゆったり歩んだ人たちのことばが身に沁みます。