多読

ORT マトリョーシュカ!

わたしたちの仲間 K2さん がこういう人形を作りました!

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とてもよいできばえだったので、作者に送ったらとK2さんに言いました。
で、Oxford Reading Tree の作者に送ったところ・・・

Alex Brychtaさん

いいでしょう!
仕事をしているのはORTの画家 Alex Brychta さん。
いま描いているのはKipperたちが日本に来る話だそうです。
楽しみですね。

上の画像はぜひクリックで大きくしてください。
Kipper も Floppy も、ぬいぐるみたちも生きているようです。
そして、Magic Key がいちばん奥に入っている!
そしてマトリョーシカの後ろに見えるのはKipper たちの住む町の地図!
実在の町がモデルだそうです。Googleで見ることもできるそうです。
町の名前は・・・ ORTの絵をしっかり見ると出てくるそうです。
わたしは知らない・・・

じゃ、メガネはどこ? と思った人、NPOの事務所に見に来てください!
来られない人はどこにあるか、メールで送ってください。
当たった人がいたら、答を明かします。

K2さん、ありがとう!!

追補
K2さんからわたしのfacebookページに新しい写真の投稿がありました。
これも壮観! やはり「多読は愛」なのではないだろうか? (ね、Kian!)

K2さんのKipperたち

日本でも大学の講義をインターネット公開?

今朝、朝日新聞にあった記事からの抜粋です。

講義を配信するのは「日本オープンオンライン教育推進協議会」
(理事長=白井克彦・放送大学学園理事長)。11日、東京で設立された。
略称はJMOOC(ジェー・ムーク)。ムークは大規模公開オンライン講座の通称。
現在は主に米国の3機関で世界の大学の550以上の講座が公開されているが、
(1)講義が英語で多くの日本人は学びにくい
(2)世界の著名大学に事実上限定され、多くの日本の大学は配信できない、という課題があった。

(1)の「学びにくい」は「学ぶことが不可能」ということを、また(2)の「事実上」というのは、
「日本の大学の先生は英語で講義ができない」ということを婉曲的に言ったのでしょうね。
はっきり言えばいいのに・・・

そうした課題があるのは重々わかります。でも、解決の方向が逆じゃないでしょうか?
その課題を解決するために、

(3) 日本は日本に(だけ)通用するオンライン講座を配信する

のではなくて・・・

(1)世界の(著名な)大学の講座を学びやすくする
(2)日本の大学を著名大学にする

そのために・・・

(3) 日本人が外国語で受講できるように、
また日本の大学の先生が外国語で講座ができるように、

外国語の授業を変える!

わたしは多読普及当初から、日本人は高校卒業時にはどんな外国語であれ、
その外国語を母語とする高校卒業生と同じようにその外国語の大学課程に参加できること
(つまり、スペイン語ならスペインの大学の講義を聴く、討論に参加する、論文を読む、
研究発表をする、論文を書く練習をするといったこと)を大学入学時の到達目標に
したいと言ってきました。

(別に大学で講座を取るつもりはないという人はもちろん別の目標をどうぞ!
読書でも、旅行でも、ボランティア活動でも、なんでも自分のやりたいことを
お望みの外国語でやりましょう。ここは大学の講座の記事なので、
こういう目標を掲げました。わたしが常々掲げる目標は町の八百屋さんが
お客さんのいない時に店先で趣味のペーパーバックを読んでいる風景・・・)

まさかそんなことが可能だとは日本の教育関係者はだれも思っていないでしょうね。
絵に描いた餅、または誇大妄想狂の譫のように聞こえるかもしれませんが、
上に挙げた目標はすでに部分的には到達できています。

NPO多言語多読のウェブサイトにあるフォーラムでは、オンライン大学について
最先端の情報交換が熱く、楽しそうに行われています。

http://forum.tadoku.org/viewtopic.php?f=21&t=765

をご覧ください。

たまたまこのトピックをきのう東中野に遊びに来た大学1年生に読んでもらったら、
何十分も食い入るように見つめたあと、来週の金曜日の講座にまた来て、
オンライン大学を受講中の人にくわしく聞くそうです。

ほら、pie in the sky と見えたわたしたちの夢に、もうすぐ手が届くのです。

10月、12月、2月、英語多読無料体験講座!

10月26日 と 12月1日 と 2月2日 に英語多読講座が開かれます!
また後半のワークショップでは実際に初めの一歩を体験できます。

くわしいことは・・・

http://tadoku.org/seminar/2013/09/25/918

講師にさかい@多言語多読あるいは独眼龍さん、助手にしおさんはじめ
多読と多読支援の経験者。

講演では10年を超えた多読支援の蓄積をもとに、多読支援の現在についてお話しします。
ワークショップでは現在の最先端の多読導入部分を体験できます。

10年前にくらべて今はとても始めやすく、続けやすくなっています。
絵から音へ、音から文字へと楽しく広がります!
あなたの身近に多読を勧めたい人はいませんか?
すでに多読している人も、日々進化する多読・tadoku をのぞきに来ませんか?

学校英語を洗い流す Now stopping at …

この話題は日本の学校英語を批判する目的で書いています。
みなさんの「英語」がどれほど自然かをテストするつもりはありません。

みなさんが東京駅に停車中の電車内で見かけた Now stopping at Tokyo という表示を変だと思わなかったとしても、みなさんが変だと言っているわけではありません。伝えたいことは「学校英語が stop =「止まる、止める と教えたことが変だ」ということです。

くれぐれもこの記事でわたしがみなさんのこれまでを否定しているのだとは考えないでください。むしろこれからの道を示そうとしていると受け取ってほしいと願っています。

お待たせしてごめんなさい。 ミュンヘンに旅立つ前に成田空港で送信した
「学校英語批判」は東京駅に停車中の「成田エクスプレス」車内で見た

Now stopping at Tokyo 東京駅に停車中

という掲示についてでした。

この掲示の写真を撮ったつもりでしたが、今は見つかりません。
でも、成田空港の駅についてからの掲示を撮ってあったので、
それを代わりに見てください。変な点は同じです。

成田2

 

ちょっと読みにくいのですが、

Now          Airport
Stopping at          Terminal 2

と表示されています。この時、成田エクスプレスという電車は
「空港第2ターミナル」駅に 停車中 でした。

で、どこが変なのか? まずそこから書きましょう。

この問いかけに対して二つの反応がありました。
一つは・・・

「わたしが、感じたのは、電車に乗ってて、Now stopping at … と聞こえてきたら、その電車は、その瞬間、動いていてくれないと、なんとなく気持ち悪いかな、という感じ…。」

もう一つは・・・

「もう止まってるのにね」

でした。どちらも同じ奇妙さを感じたのだと思われます。

ではどこが変なのか? ここからの「説明」はとてもむずかしい・・・
わたしには説明できるとは思えませんが、おそらく stop という語が状態を表しているのか、動作(この言葉もしっくりきませんが)を表しているのか、そこに stop = 止まる・止める という一対一対応のまずさがあるのだと思われます。

もう少し詳しく説明すると、 「停車中」 は 「動いていない状態」 を表し、
車内表示の Stopping  は stop という  「動作の継続中」   を表していると思われます。
つまり学校英語の言うように 「 ~ing は ~している」 だから 「止まっている」状態を表すかというと、そうはいかないわけです。 「止まる動作を継続中」 というわけで、「動作」 を止めてはいないのです。

ああ、もうめんどくさくて読む気がしないでしょうね。やめます。
結論に行きましょう。

一つ、「stop = 止まる、止める」 はそういうわけで、間違いを引き起こす。
二つ、「stop = 止まる、止める」と覚えてしまうと、それを反故にして、stop と 「止まる、止める」 の違いに気がつくのはきわめてむずかしいらしい。

ということです。「きわめてむずかしいらしい」というのは、9月28日以来のわたしへの反応が二つしかなかったことから判断しましたが、もし、「あ、そうじゃないかと思ったけど、メールは書かなかった」という場合は、お願いですから、メールをください。 info あとまあく tadoku.org へお願いします。

その際、多読歴を付け加えてくださると、学校英語の 「stop = 止まる、止める」 という一対一対応がどのくらい多読したら反故になるのか(リセットされるのか? 削除されるのか?)わかってくるかもしれないので、研究資料としてありがたいです。

ちなみに 上の「正解」(いや、正しいかどうかはむずかしい問題で、単にわたしと同じ意見だったというだけですが、わたしが「正しい」としての「正解」)を知らせてくれた二人の一人は多読歴のものずごく長い人ですが、語数は分かりません。冊数もページ数も聞いていません。もう一人はイギリス滞在1年3ヶ月の小学生で、1年3ヶ月に触れた英語の量は300万語か400万語くらいでしょう。

いずれにせよ、きょうわたしが批判したいことは・・・

* どんな外国語の単語や文法も、日本語の単語や文法とずれなく対応することはない。
* 一度覚えてしまった訳語 (この例では stop = 止まる、止める) は簡単には洗い流せない。

・・・でした。みなさんの感想を心から待っています。

(反応してくれたお二人に感謝! こうして研究は進んでいきます!!)