多読亭日乗

鋭く温かいユーモアの切れ味

似顔絵師の宇田川のり子さんは多読仲間でもあります。

いまはノーベル賞のアリス・マンローに手こずっている様子でありますが、
生きのいい有名人を三枚におろして、鮮やかな味付けで供するその包丁は
恐ろしいほどの切れを見せます。です。

https://www.facebook.com/noriko.udagawa.14

びっくりすると思う。じっくり味わってください・・・

楽しんだら、「いいね!」をお願いします!

流されないために 「字幕なし多観」に引っかけて・・・

字幕なし多観の後押しをしようというのではありませんが、
わたしは吹き替えがほとんど全部だめなのです。

偉そうにしているわけではないので、吹き替えより原語の方が正確だとか、
訳が下手だとかいうわけではありません。吹き替えの・・・

ささやき調がだめ!

なのです。誰が始めたのか、映画やドラマはもちろん、ニュース番組で
アメリカの町の人にインタビューなんていう時の吹き替えも、妙にもったいぶって、
不思議な間を入れて、息の音をしきりに夾む・・・ だれが始めたんでしょう?

そしてどうやって吹き替えの声優たちの間に広がったのか?
どうして吹き替えの演出家の心を捉えたのか?

あの「マナリズム」を外れようという声優はいないのだろうか?
いつになったら、普通の声の吹き替えを聞けるようになるのか?

流されたくないものです・・・

字幕なし多読に引っかからなかったですね。

流されないために・・・ ピップ・エレキバンの謎

数週間前に、テレビで「ピップ・エレキバン40周年」という報道を見ました。

40年前のことが一気に蘇ってきました。
大学院の時の友だちが当時発売されたばかりのピップ・エレキバンをわたしに
見せて、「酒井さん、これ効くよ。酒井さんも使ってみたら」と勧めてくれたのです。
あれから40年--そしてピップ・エレキバンはまだ売っているのか!?

わたしたちはいかにも流されやすい存在ですが、それにしても、
ピップ・エレキバンは売れ続けてはいけない。
それは無茶苦茶だ、とわたしは思います。

別に、ああいう磁気治療をうたう製品に効果はないから売れてはいけないと
言っているのではありません。ピップエレキバンは友だちのすすめにも
かかわらず、わたしは使いませんでした。その後も使ったことはありません。
だから、効果があるのかないのか、それはわかりません。

わたしが奇妙に思うのは、ピップ・エレキバンはこの40年間の間に一体
いくつ売れたのだろう? ということです。
ひょっとすると日本の人口の何倍もの数が売れたのではないだろうか?

それはおかしくないですか? ピップ・エレキバンの磁石は永久磁石だから、
もしよく効くのだったら、磁石の粒はそのまま取っておいて、
絆創膏だけを貼り替えればいい!

絆創膏が肌にくっつかなくなったところで、永久磁石の粒ごと捨てて、
新しいのを購入する・・・ それはどう考えてもおかしくないだろうか?
ピップ・エレキバンが永久磁石だということ、絆創膏がくっつかなく
なったあとも磁力線を発し続けていることには思いが及ばない。

(永久磁石はなぜ「永久」と呼ばれるのか?)

そこで、一気に英語の話へ・・・

わたしたちは流されていて、英語についても、
単語を暗記しなければ外国語は理解できない、
文法を知らなければ言葉は使えるようにならない、
英語の力はテストでわかる、
というようなピップ・エレキバンに囚われています。

そういう目くらましの絆創膏は目からはがさなければ・・・
そうか、それを「目から鱗」というのですね。

これからも流されないために記事を書いていきます。
おもしろい種があったら教えてください!

間違えること 多読アホリズム

Now stopping at Tokyo で始まった洗い流しに関わるアフォリズム集

* Now stopping at Tokyo の問題は「正しい表現は何か?」ではない。

* 洗い流すことで学校英語は実際使われる英語と別物であることが浮かび上がる。

* 学校英語という汚れはしつこい。何年経っても別物だということがわからないくらい・・・

* 外国語をしっかり使える人は「単なる道具」とは考えていないに違いない。

* 「外国語は単なる道具だ」という言い方には sour grapes の響きがある。
手の届かないところにある葡萄を「あれは酸っぱいに決まっている」というような・・・

* ことばはたしかに道具だ。しかし店で買ってきて終わりという道具ではない。
使って、磨いて、育てる道具だ。

* ことばは間違うことで磨かれる。

* こどもは何であれ間違わずに獲得することが出来る。

* おとなは間違うことでしか獲得できない。

* 洗い流しは間違いの確認ではない。さっぱりきれいにして吸収するチャンス!

半分は本気で箴言集のつもり

高校の時、現代国語の教科書に「ラ・ロシュフコーの箴言」というのが
入っていて、これがおもしろかったんですよ。高校の現代国語の教科書で
覚えているのはそれだけですね。

あれを真似したいもんだ!

目標はぼんやりと・・・ メールをもらいました!

多読支援というのは本当におもしろいと思います。

どっちがどっちを支援しているのか分からない!

多読には先生・生徒の区別はない、先輩・後輩があるだけだと、何度も言っていますが、 そうなんです、このメールも・・・

先生、こんばんは~。 ブログ読んで、メール書きたくなったので書きました。

「スモール・ステップ」っていう言葉は知らなかったんですけど
考え方は昔から存在するようなものだから一応わかっているつもりで、
あれ?なんで先生はこの考え方に否定的なんだろう?と不思議に思いました。

たぶん、多読も本質的には「スモール・ステップ」 なんじゃないかなぁ、と私は思います。
具体的な目標なんか立てないで、とにかくまず体を動かす。
そしたら、だんだん体があったまってきて トントン駆け足気味になって
階段を上ったり 疲れたら少しゆっくりのテンポになったりしながら、
でも完全に途切れてしまわないで上っていく。 するといつの間にか思いもして
なかった高いところまで 上ってきていることにあるときハタと気がついてビックリする、みたいな。

「スモール・ステップ」って特に、傷ついた経験があったりで 何かしようとするときに自信がなかったり、混乱してしまったりして 結果的に動くことが難しくなってしまった人に対して 有効な考え方っていう位置づけだったと思うんですよね。 結構、挫折体験からの再スタートっていうコースをたどる人が多い 多読にはフィットする部分もあるような気もするのですが。。。

↑ ここです。あとで感想を書きます。

それとも、私がただ「スモール・ステップ」って言葉の意味を 勘違いしてるだけだったら、
ごめんなさいー!! 何でもないです。

あと、私は啓発本大好きな人間です。たぶん、人間の器が小さい。(笑)
でも先生の記事読んでたら啓発ってそもそもどういう意味だったっけ って感じになりました。
結構、あーいう本読んでると inspireされるんだけどな~。啓発とinspireって概念として
共通項があるのかないのか考えてたら、頭がこんがらがってきた。。。 ので、
考えるの止めました。(^-^;

毎朝、仕事前にオフィスのそばの喫茶店に通って、ちょっとずつですが
前に言ってた「www」って小説の翻訳してます。
私なりの「スモール・ステップ」です。あぁ、書いてるうちにわかってきた。
私、結構「スモール・ステップ」信者みたいだ。(笑) ではまた、そのうちに!

いや、言われてみると、わたしが誤解しているような気がする・・・
ぼくは目標を立てて、そこまでの過程を細かいステップにして、 少しずつ
進んで いくのかと勝手に思っていた! ぎゃ!

「目標を遠くに立てる」っていうところにわたしは疑問を感じるわけで、
スモール・ステップ自体はそれとは別かもしれませんね。

「多読はスモール・ステップ」っていうのも、そんな気がしないでもなくもない。

そういえば多読は「挫折体験からの再スタート」っていう人は非常に多いしね。
いや、そういう人ばっかりか・・・ なるほど、ありがとう!

もしかしたら「階段」って言葉のイメージが良くないんですかね、
一段一段着実に…みたいなことばっかりみんな言うから。
駆け足で上ることも、一段飛ばしで上ることもできるのに!
ちなみに私はこの階段を上っていく感覚、多読で身につけ(or取り戻し?)ました。
英語だけじゃなくて、伸びること自体のやり方・感覚をつかんだのは多読のおかげ。
それって人生の中でもすっごい貴重なことだと思います。
だから多読ってすごいんですよ、先生。(笑)
そうです。階段を「一段一段着実に」っていうところに、わたしは辛気くさいものを 感じるんですね。
そこからあとはこのメールの主に教わるばかり!
だから多読ってすごいんだな・・・ うん。
Aさん、楽しくスモール・ステップを!!