多読亭日乗

流されないために・・・ 一人一人はがんばれ! 国旗と国歌はいらない・・・!

ソチ・オリンピックが終わりました。
わたしはほとんど競技を見ませんでした。

感動的な場面がいくつもあったと聞くと残念な気がしますが、
それ以上にわたしは国家が前面に出てくるのを見るのがいやだったのです。

オリンピックは世界の平和のために行われるという話があります。
音楽やスポーツや芸術に国境はないと言われているからでしょう。
(古代ギリシャのオリンピックでは戦争を中断して競技に興じたのではなかったか?)
けれども、わたしには国際オリンピック委員会は強大な営利組織に変化していて、
さまざまな利権にまみれているように見えます。

国内のオリンピック委員会もわたしには多くの利権を抱えて、
ちょうど原子力ムラのように、利権から収入を得ることがスポーツの喜びからは
すっかり独立して一人歩きしているように感じられます。

純粋にスポーツの喜びを追求している選手一人一人はがんばってほしいと
思っていました。けれども、国境を越えるという意識があまりない
選手や観客もいるようで、国旗を体に巻き付けたり、ほっぺたに国旗を
ペイントしている人がいて、日の丸飛行隊なんていうことばまで聞かれました。

日本はいま危ない方向へ向かっていると思います。
日本は過去の歴史で悪いことはしていない、あるいは悪いことをしたとしても
他の国だってやっていることだから反省などする必要はないという議論が
勢いを増しています。

そうした日本国賛美の流れを作るために、オリンピックは見事に利用されている
のではないでしょうか? このまま行くと、「天皇陛下万歳!」を叫ばないと
非国民扱いされる日が早晩来てしまうと心配しています。

10年くらい前に、電気通信大学にいた西尾幹二さんという先生に、
「このまま二世議員が国会に増えると、日本は封建制に逆戻りですね」と
言ったことがあります。西尾さんは「封建制じゃなくて、封建的でしょ」と
修正しようとしました。わたしは修正に応じませんでしたが、
まさかこんなに早く封建制が戻ってくるとは予想していませんでした。
国民主権という考え方は結局根付いていなかったのでしょう。

このところの選挙や政府や国会議員やNHK経営委員会や仲井真知事の
振る舞いを見ていると、日本の「民主主義」は非常に根が浅かった
という気がします。

形だけ民主主義で、中身は封建制ということが、日本では可能だったのですね!

そして、韓国との竹島問題、中国との尖閣列島問題程度で人々の
気持ちは一気に日本万歳、外国排斥の方向へと大きく変わりました。

日本人はまた外国人や外国との付き合い方が幼いとわたしは感じています。
自分をえらいと思わないと不安だというのは、まだ自分の生き方がしっかり
していないということなのでしょう。

その点、ある人のtwitterで知ったのですが、安藤美姫さんの次の態度は

報道ステーションSUNDAYに出てる安藤美姫さん、「女子フィギュア、日本人で表彰台独占してほしいですね」的な振りに対して、「ほかの国にもいい選手はいるから、いろんな選手にスポットライトを当ててもらえたら」と柔らかく反論。真っ当な人だなーと思った。

わたしにもまっとうなものに思えます。

国家を賛美し天皇制を賛美することで現支配層はやりたい放題のことができます。
自民党は大企業の経済的繁栄しか関心がなく、一般の日本人はそのための
「人材」にすぎません。人材を動かすためには日本人をまとめて同じ方向に
導く必要があり、そのためには国家賛美と天皇制賛美はきわめて手っ取り早く、
有無を言わさず、理屈を言わせない威力があるのでしょう。

「だって、生まれた国ですもの」

というあれです。

わたしたちは一人一人、なんとか流されないようにがんばりましょう。
国旗と国歌に目くらましをされないように・・・

学校英語を洗い流すために・・・ 別れ際の一言 Good-bye篇 続

この例も「もう会えない(かもしれない・・・)」場面です。

Downton Abbey は何人かはまっているひとがいますが、
(わたしも・・・!)イギリスのテレビ・ドラマで、なんともまあ巧みに作ってあって、
見所がいくつもあります。その話は最後に付け加えましょう。
いまは20世紀初頭のイギリス上流階級の一族を巡る大河ドラマとだけ理解してください。

先日、このGood-byeの話題があってから、

Downton Abbeyの未視聴分をひたすら見てたら、耳に飛び込んできました。

Series 2の第1話目。

フィアンセを連れてDownton Abbeyに戻ってきたMatthewが戦場戻るとき、駅に見送り
に来たMaryと交わされた別れ際の会話の中。(このシーン、かなり好きなのです)

自分に何かあったら、母親とフィアンセを頼むとMaryに伝え、Maryがもちろんよと答
えたあとで……。

Mary : Good-bye then. And such good luck.

Matthew : Good-bye, Mary. And God bless you.

その後、Matthewが汽車に乗り込み、ホームを出て行く汽車を見送るMary….。

Matthewは戦場に戻っていくわけで、その後、会えるかどうかはわからないというシ
チュエーションかなと思います。

見ていて、あっ!と思ったので。

お知らせまで。

「その後、会えるかどうかはわからない」ので、Good-bye. と言い、
God bless you. と祈ったのですね。

みなさん、こんな風に Good-bye が使われた場面を見つけたら知らせてください!

で、Downton Abbey の見所ですが・・・

*昔の領主屋敷の内部をつぶさに見ることができる!
(できればBlu-ray がいいんですが・・・)
*貴族の家庭と人間関係を覗くことができる。
*Upstairs, Downstairs つまり使用人の世界と人間関係を覗くことができる。
*Upstairs も Downstairs も人物像が多彩で「立っている」
*20世紀初頭の歴史を覗くことができる。
(タイタニック号の事件、第一次世界大戦、電話の登場、階級の変化、
アイルランド独立運動、女性解放への流れ、労働者階級の苦しさの一端、
荘園経営の変化 なんと盛りだくさん!)
*役者がうまい! これはもう絶望的にうまい・・・

ついでに・・・

*ことばはかなり明確に話しています。
*毎日、Dinner の時には着替えるんですね。知らなかった。
白い蝶ネクタイか、黒い蝶ネクタイかも意味が違うらしい。
*そういうわけで「字幕なし多観」の一つに加えてはどうでしょう?

なお、100年前が舞台だから Good-bye. と言ったわけではありません。
そのことは次の記事で・・・

流されないために・・・ あいでんてぃてぃー について

先日紹介した文科省の文書にはもうひとつ、
「いったいどういう頭をしているのか? 中を開けてみてみたい」
と思わせる用語がありました。

「日本人としてのアイデンティティ」

です。7ページ目に3回出てきます。

このことばのばかばかしさについてはすでに書いたので、
文科省の文書にあることは記事にしないつもりだったのですが、
今朝の朝日新聞に「日本史の必修化検討」という記事が載っていて、
文科省は「「グローバル社会を見据え、日本のアイデンティティーを学ばせる
必要がある」との意見が自民党を中心に強い」のだそうであります。

もう、自己矛盾もここに尽きますね。
そんなに日本、日本と日本の特性を強調したいなら、
なんで「アイデンティティー」なんていうカタカナ語を使うのでしょうね?

結局文科省も、自民党も、きわめて表面的にしか物を考えられないのでしょうね。
そういえば、電気通信大学にいた中島義道さんという「哲学者」が
わたしに「英語帝国主義」を批判する本を貸してくれたことがありました。
その本を書いた人たちは 「漢語帝国主義」はちっとも気にならないのでしょうね。
大和言葉を漢語が蹂躙したことは少しも気づいていないのです。
そもそも「英語帝国主義」という用語自体が漢語帝国主義に侵されているというのに・・・

ああ、我に日本人の大多数の狂気を遠ざける道を!

流されないために 株はやめよう!

流されないためには景気の悪い話を書かなきゃいけません・・・

株はやめましょう。

株は「バブル」の典型です。
実質とは関係なく株価は上下します。

(一般に流通している「お金」もバブルつまり実体のないものですが)

経済最優先--このことばが日本の政治の何もかもを表しています。
その経済とは企業の利益です。わたしたち一人一人の利益ではありません。

そのためにいちばん注目される「株価」を操作したくて、
NISAとかいう新しい優先策を持ち出しました。
わたしたち余剰のお金のない人にも博打をさせて、
株価の表面を繕おうというのです。

流されないようにしましょう。

(ちなみにわたしは株は一度も買ったことがありません。)

みんなのうた ニュー・オーリンズからではないけれど・・・

つい最近「みんなのうた」で書いた Just a Closer Walk to Thee を
ロンドンで演奏している映像が見つかりました。

http://www.youtube.com/watch?v=jK2MLRlDWzo

Abram Wilson というトランペット吹きを送るパレードです。
Wynton Marsalis がいます。途中に Down by the Riverside、
最後にはAmazing Grace も演奏します。

18分もありますが、わたしは原稿書きをしながら繰り返し聞いています。

Part 2 は5分。こちらはいよいよ乗ってきて、これが葬送かというほど。

http://www.youtube.com/watch?v=3HXFzkX8sOY

でもこういうのがニュー・オーリンズの送り方なのでしょう。