多読亭日乗

ニューヨーク市立図書館のトートバッグ!

わたしは紙の本をほとんど読んでいないわけです。
ここ6、7年は kindle で読んでばかり。
両手で本を持つことを考えただけで読む気が失せます。

kindleでしか読まないのに、わたしはなぜか本屋と図書館が大好き。
で、今回は世界の図書館何十選などにも選ばれるNew York Public Library です。
この名前で画像検索してください。

NYPL bag

 

 

 

 

 

 

 

左下隅の物体については続きをどうぞ!

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米国ノースウェスタン大学のNPO会員からお知らせ・・・

お正月早々、米国からニュースが・・・
ノースウェスタン大学の「境を越える想像力」プロジェクトが拡大され、
日本語版のページもできたそうです。

差出人の Laura Hein さんは古い友だちです。
ノースウェスタン大学(シカゴ)の教授で、日本史を担当。
なんというか、考え方や体温?がよく似ているというか、
互いに一家を訪問したり、高尾山や谷根千を歩いたり、
貴重な付き合いが続いています。

その上、多読に共感してくれて、NPOの準会員でもあります。
今回のお知らせは、日本でも米国でも人と人を分断する傾向が強まっている中、
あらゆる境を越えようとする4人の視覚芸術家の作品を紹介しています。
外国語を身に着けるとさまざまな扉が開きますが、すべて自分以外の人と
つながることだとも言えます。その意味で、このプロジェクトの題名
「境を越える想像力」はわたしたちと同じ方向を目指していると言えるかも
しれません。

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「春の日の花と輝く」 YouTube映像が送られてきました。

Let it go の話から Eleanor Farjeon さんへ、そこからアイルランド民謡へ・・・

Let it go で Eleanor Farjeon さんの Panycchis という短編を思い出すというHさんから
リンクが送られてきました。みなさんにもお裾分けです。

https://www.youtube.com/watch?v=aLQ6m6L6POw

(堀内敬三さんの詩は見事なものですね。
普通に話しているのと少しも変わらない音調で訳している。)

Unlearn: Let it go は「ありのままで」か? Hさんのメール

このメールをいただいたのは少し前のことになります。(だいぶ前かな?)

「カイさんからのメッセージ」というブログを読んで、ふと、思い出しました。
let it go という表現にふれるたび、わたしが心の底に、おもいだすのは、
Eleanor Farjeon さんの、Pannychis を読んだときの、感覚なのだ、ということです。

Eleanor Farjeon さんの The Little Bookroom という本はわたしにとっては
とても特別な本です。かなり読みやすい英語で書かれた短編集ですが、
ほかのどんな作家のどんな作品にも代えられない大切な短編がいくつも収められています。

石井桃子さんの訳で「ムギと王さま」という短編集の掉尾を飾るのが Pannychis です。

Pannychisのことが、大好きで、大好きで、ずっと自分のそばにまもっておいておきたいと、ぎゅっと、握りしめるCymonの、手を、Pannychisが、さっと、ふりほどいて、笑いながら、森のなかに走って行ってしまう、あのときの、感覚。
行かないで、って、追おうとするのに、Pannychisは、すっかり自由で、笑いながら、木々の向こうへと、消えて行ってしまう。
そして、そのあと、Cymonが手にすることになったものまで、すべてふくめての、ものがたり全体が、let it go ときくと、心の中に、思い出される感覚の、ひとかたまりに、なっているなあと、なんか、いつも、感じていたもので。それを思い出して、ちょっと、メールしたくなりました。では。

そういえば、Eleanor Farjeon さんのこの短編集には大切なものを手放す作品がいくつもある・・・
それなのに、どれも、まるで春の日のようなおだやかな日差しを感じます。

(「春の日の花と輝く」)

いつかぼくも The Little Bookroom のことを心ゆくまで語りたいと思うけれども、
果たしてことばにできるだろうか?

なお、この本はNPOの事務所に2冊くらい買っておいてあります。
まだ誰も読んでいないかもしれません。

Hさん、メールをありがとう・・・

多読支援はつらいよ いや、それでいいんですけどね・・・

多読・Tadokuの手伝いで厳しいことが一つだけあります。

(多読・Tadokuそのものにはほかにはほとんど厳しいことなどありません。あるとすればそれは外側の要因がもたらした障害です。)

それはずばり 進歩を実感しにくいこと 。
「多読のパラドックス」の中でも支援ではとても大きな項目ですね。

「続き」に実例を挙げますが、結論を言っておくと、
道の途中で進歩を実感できないことこそ多読の本質なので、
多読・Tadokuのお手伝いをする人は、それは大前提と考えなきゃいけない。

多読・Tadokuのお手伝いはきびしーのです・・・

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