流されないために・・・ 「グローバル人材」について

2013年7月16日
カテゴリ : 多読亭日乗

最近なぜかこの話題がはやっているようです。

だれかエライ人が発言したのかな?

で、「グローバル」というところに文句を言っている人はだいぶいるようなのですが、
わたしは「人材」の方がはるかに大きな問題だと考えています。

たとえば文科省の文書では・・・

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ま、このパンフレットを見てください。(拡大もできます。)

 

人材

いくらで文句をつけるところはありますが、きょうは2点だけ。

* 「人材」というのは、わたしたちを「材料」と見ている、ということですね。
なんの材料かというと、経済発展の材料です。

一番最初に
「個人の可能性が最大限発揮されるようひとりひとりの人材力を強化」
なんていう文がありますが、これはまったく気の入っていない空疎なオマジナイですね。
意味がわからない。


本音は二番目でしょう。「日本の経済再生や活力維持のため」
つまり、金儲けの材料なんですね、わたしたちもわたしたちのこどもたちも!
ああ、情けない・・・


* もう一つの文句は「日本人としてのアイデンティティー」のことであります。

矛盾してませんか、これ!

なんで、「日本人としてのアイデンティティー」を語るのに、英語を借りてくるわけ?
同じ表現はここ20年くらい大流行ですね。なんで、


「日本人らしさ」

とあっさり言えないんだろう? 
この程度の矛盾に・・・ 文科省の役人は・・・ 気がつかないわけだ・・・
何度も言いますが、情けなくて・・・

激しく笑ったのは、小学館の SAPIO という雑誌が同じ表現で
「日本人としてのアイデンティティー」について特集を編んでいた。
10年くらい前でしょうか?

じゃ、なんで、雑誌の名前が SAPIO なのさ!?
SAPIO の「日本人としてのアイデンティティー」はどこにあるのさ????
なんでアルファベットを使うわけ?

なお、「グローバル」ももちろん大問題です。

(でも、わたしには、「人材」を問題にしないで、「グローバル」を問題にする
そのうっかりさ加減は、やっぱり流されている!と見えます。)

「グローバル化」もおそろしく中身のない言葉で、ちょっと前までは同じくらい空疎な、
「国際化、国際化」が標語で、馬鹿の一つ覚えで繰り返していましたが、
でしたが、あまりに馬鹿なので早くも「国際化」というオマジナイは忘れてしまったのでしょうね。 


ところで、わたしはいまのような「アメリカ一辺倒」の「グローバル化」はもちろん
くだらないと思いますが、それこそ一人一人のレベルで、国家の枠を越えていくのは
とてもよいことだと思っています。


「グローバル化」が「アメリカ一辺倒」でなくて、国家を超えた個人がつながり合う--
そういう意味で使われるようになる日を目指しています。