わたしとしては初めてでした。
おもに小学生から中学生が10数人と聞いて、「はたしてどうなるだろうか」と。
さいわいいっしょに絵本を楽しむことができました。
その報告ができあがってひきふね図書館の司書さんから送られてきました。
びっくり! こんな楽しげな報告は見たことがない・・・
クリックして詳しく見てください。
読みやすいし、雰囲気もよく分かるし、ひきふね図書館に感謝!
これからこういう形のワークショップをあちこちでやりたいと思いました。
ありがとう!!
わたしとしては初めてでした。
おもに小学生から中学生が10数人と聞いて、「はたしてどうなるだろうか」と。
さいわいいっしょに絵本を楽しむことができました。
その報告ができあがってひきふね図書館の司書さんから送られてきました。
びっくり! こんな楽しげな報告は見たことがない・・・
クリックして詳しく見てください。
読みやすいし、雰囲気もよく分かるし、ひきふね図書館に感謝!
これからこういう形のワークショップをあちこちでやりたいと思いました。
ありがとう!!
ここで一気に、多読・Tadokuを通してわたしがひそかに目指してきた
ことを書いてしまいます。
きっかけはNPO多言語多読会員でもある石田さんがシェアして
くださった・・・
やはり16年ぶりの波が来ているのでしょうか。
参加申し込みは100名を相当超えそうです。
中でも今回初めて図書館多読を支える人たちが多数参加するので、
新たに分科会を作ることになりました。
発表、講演は最小限で、ただ聞くだけでなく、みんなで語り合います。
多読も多読支援もはじめてという人の分科会もあります。
ただみなさんが語る様子を見るだけでも多読と多読支援が見えてくるはず。
2018年8月6日(月) 第7回 多読支援セミナー
「いま改めて多読とは?多読支援とは?」
https://tadoku.org/seminar/2018/06/04/5693
「続き」では、日本多読学会の成立経緯から多読支援セミナーの
成り立ちと仕事について少々理屈っぽい話を・・・
Bitesize という見方はもちろんわたしのでっちあげで、
本当にそうなのかどうかわかりませんが、また一つ傍証が・・・
年齢が4歳半、日本語で育ってきました。
3歳くらいからYouTubeで Peter Rabbit のファンになったそうです。
以前額の汗を拭う動作をしながら
Phew. That was close.
と言ったということを記事にしたあの子です。
最近また報告があり、それが(数少ないながら)Bitesize仮説(?)に
ぴったり当てはまっているので、メモ代わりに記事にしておきます。
ことばを吸収して、それを自分で使うのは、
今まで言われてきたように言葉を覚えて、思い出して使うことでは
ないと言い続けてきました。
じゃあ、どういうことなのか?
ある人のメールを「続き」で引用します。
この人の感想がわたしが考える吸収、再現をそのまま表現している
ように思うのです。
(このメールを寄せてくれた人はとても変わった人で、
多読関係には変わった人が多いのでそんなにみなさん驚かなく
なっていると思いますが、きっとびっくりすると思います。
まだくわしくは紹介できませんが、楽しみに待っていてください。)
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続き~by so doingという表現について~きっと以前どこかで見聞きしたのだろう。けれどもそれきりすっかり忘れていて、今回ひょっこりその記憶が引き出された。。。。ということ。。。そうだとすれば、この現象こそが、いつの間にか表現ができるようになっていることなのではないか。そうたいして気にもとめず、いつ使うとも知れない表現を覚えていて、ここぞという必要な時に本人の思いもかけずに出てくるなんて、不思議なことだ。この体験から思うのは、無理に覚えようとせずともいいのだということ。忘れてしまえとまでは言わないが、むしろすっかり忘れてしまったとしてもそれはそれでいいのだ。やさしくたくさん読む聞くを実践していると、表現が知らずにたまっていく。つまりそういう体になるのだ。そう、脳改革というべきか、体改革というべきか。テキスト開いて問題集を解く、机上のお勉強ではない。そういう意味では体育、図画工作、音楽、調理実習だ。
これまでわたしはずっと
「白い紙の上に印刷した黒い活字ではない」
と言ってきました。そうではなくて、
「生きた人間が生きた場面で生きた人間に使うものだ」
と。
make it two、 by so doingどちらも強い圧力の中から出てきたもの。お客様に確認しなければならなかった。伝えんがために書くことに没頭していた。言葉は、何らかのコミュニケーションをとおして身についていくのだ。外からの圧力、伝えたいという強い気持ち。では普段そういうことのない者がなんとか英語を引っ張り出すには。。。。?何かを真似すること、かな。…やっぱりここにたどり着く…けれども、考えやアイデアを力強く引き出す手もなく自発的に気軽に発信できるということが、どれだけ高度なことか!!!!!自ら進んで英語で発信している人たちに伝えたい、それは本当にすごいことだと思う。
最後のところ「自発的に気軽に出てくる」のが「溢れる」なのではないか?
いずれまたこの「ある人」については報告します。
とても興味深いのですが、いまはまだ全容(!)を報告できません。
楽しみにしてください!
追伸
月曜日の10時から11時はNPO多言語多読の英語多読講座卒業生の
Skype英語おしゃべり会です。きょう(月曜日)ちょうどこの話題に
関係あると思われる報告がありました。
以前読んでむずかしくてすぐにやめた Swallows and Amazons を
映画を観たあとで最近読んだらもう半分まで楽しんでいる、と。
ことばは活字ではないのです。
活字の向こうに景色や表情が見え、声や音が聞こえてこなければ
読書とは言えないのではないでしょうか?