「学校に戻すことがゴールじゃない」! 文科省の方針転換?

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ここで一気に、多読・Tadokuを通してわたしがひそかに目指してきた
ことを書いてしまいます。

きっかけはNPO多言語多読会員でもある石田さんがシェアして
くださった・・・

不登校新聞の記事

この記事をFacebookでシェアするときに、わたしは自分の意見を
こんな風に付け加えました。

本当なら大きな変化ですね。
じわじわと溜まっていたストレスで文科省そのものがポキッと折れた?

だいたい文科省の考える学校というのは「経済のための人材育成」ですから、学校からはできるだけ距離を取った方がいい。

(「人材」は文科省の大好きなことばですが、要するに人を金儲けの材料としか考えていないということです。)

察するに、これまでの文科省の方針ではどうしても不登校が増えていく、そして(当然のことながら)文科省には打つ手がない。そこで、学校以外に助けを求めざるを得なくなって学校に戻ることを第一義としないことにした、つまり、あきらめて投げ出した、ということでしょう。

150年かかって巨大な無駄をしてきた文部科学省が学校を投げ出すのは、
(たとえ部分的でも)大歓迎です。

(ただし、「人材育成」を放棄してはいないので、安心はできません。
今後もできるかぎり学校とは距離を取るようにしましょう!)

石田さん、ありがとう!

ちょうどこの6月に、あるフリー・スクールで多読の話をしたときに、
生徒に「せっかくフリー・スクールにいるのだから、普通の学校に
戻ろうと思わないでほしい」と付け加えたのでした。
多読も、フリー・スクールも文科省の考える人材育成と無関係な
ところで人の役に立とうとしていると思います。

人材育成についても学校についても、
文部科学省や納税者(全員?)はもちろん肯定的な見方をしていて、
学校に行くことはよいことだ、学校で教えられていることは世の中の
役に立つはずだと考えていると思われます。

でも、それはちがうとわたしは考えています。
普通の人にとって、学校は決していいものではないと思います。
学校は文部科学省や自民党のの考えでは、
「経済のための人材育成」です。

文部科学省の文書の中には「人材」ということばがいっぱい出てきます。
人材、つまり経済のための材料の一つです。
木材が家を建てる材料であるように・・・
人間が人間として見られることはなく、経済のための材料とされているのです。

そこから、人間を育てるということは非常に簡単になります。
数字の支配です。なんでも数字にして材料として品質を測る。
とんでもない話です。

先日の支援セミナーで、わたしは理事長としては最後の挨拶になると
思ったので、みなさんに「多読・Tadokuの良さは数字では測れない」
ということを忘れないでくださいと言いました。
多読・Tadokuは人材育成などとはまっtく関係なく、
自分とまわりの人を豊かにすることができるのではないかとわたしは
考えています。

この話題は長くなるので、今回を皮切りに少しずつ書いていきましょう。