港区では初めての講演会+ワークショップです。
次のページを見てください。ポスターもあります。
多読からTadokuへの過渡期です。
最新の多読、これからのTadokuについてお話しします。
実際に多読用素材(一般には教材と言いますが)を用意して、
多読・Tadokuを体験してもらいます。楽しいですよ!
たくさんの人が来てくださいますように・・・!
港区では初めての講演会+ワークショップです。
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多読からTadokuへの過渡期です。
最新の多読、これからのTadokuについてお話しします。
実際に多読用素材(一般には教材と言いますが)を用意して、
多読・Tadokuを体験してもらいます。楽しいですよ!
たくさんの人が来てくださいますように・・・!
ことばを吸収して、それを自分で使うのは、
今まで言われてきたように言葉を覚えて、思い出して使うことでは
ないと言い続けてきました。
じゃあ、どういうことなのか?
ある人のメールを「続き」で引用します。
この人の感想がわたしが考える吸収、再現をそのまま表現している
ように思うのです。
(このメールを寄せてくれた人はとても変わった人で、
多読関係には変わった人が多いのでそんなにみなさん驚かなく
なっていると思いますが、きっとびっくりすると思います。
まだくわしくは紹介できませんが、楽しみに待っていてください。)
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続き~by so doingという表現について~きっと以前どこかで見聞きしたのだろう。けれどもそれきりすっかり忘れていて、今回ひょっこりその記憶が引き出された。。。。ということ。。。そうだとすれば、この現象こそが、いつの間にか表現ができるようになっていることなのではないか。そうたいして気にもとめず、いつ使うとも知れない表現を覚えていて、ここぞという必要な時に本人の思いもかけずに出てくるなんて、不思議なことだ。この体験から思うのは、無理に覚えようとせずともいいのだということ。忘れてしまえとまでは言わないが、むしろすっかり忘れてしまったとしてもそれはそれでいいのだ。やさしくたくさん読む聞くを実践していると、表現が知らずにたまっていく。つまりそういう体になるのだ。そう、脳改革というべきか、体改革というべきか。テキスト開いて問題集を解く、机上のお勉強ではない。そういう意味では体育、図画工作、音楽、調理実習だ。
これまでわたしはずっと
「白い紙の上に印刷した黒い活字ではない」
と言ってきました。そうではなくて、
「生きた人間が生きた場面で生きた人間に使うものだ」
と。
make it two、 by so doingどちらも強い圧力の中から出てきたもの。お客様に確認しなければならなかった。伝えんがために書くことに没頭していた。言葉は、何らかのコミュニケーションをとおして身についていくのだ。外からの圧力、伝えたいという強い気持ち。では普段そういうことのない者がなんとか英語を引っ張り出すには。。。。?何かを真似すること、かな。…やっぱりここにたどり着く…けれども、考えやアイデアを力強く引き出す手もなく自発的に気軽に発信できるということが、どれだけ高度なことか!!!!!自ら進んで英語で発信している人たちに伝えたい、それは本当にすごいことだと思う。
最後のところ「自発的に気軽に出てくる」のが「溢れる」なのではないか?
いずれまたこの「ある人」については報告します。
とても興味深いのですが、いまはまだ全容(!)を報告できません。
楽しみにしてください!
追伸
月曜日の10時から11時はNPO多言語多読の英語多読講座卒業生の
Skype英語おしゃべり会です。きょう(月曜日)ちょうどこの話題に
関係あると思われる報告がありました。
以前読んでむずかしくてすぐにやめた Swallows and Amazons を
映画を観たあとで最近読んだらもう半分まで楽しんでいる、と。
ことばは活字ではないのです。
活字の向こうに景色や表情が見え、声や音が聞こえてこなければ
読書とは言えないのではないでしょうか?
もうご存じでしょうが、多読も多読支援もずいぶん広がってきました。
けれどもその代償として、「おかしな多読」が増えています。
でもね、広がれば薄まるのは当たり前--最初から予想していました。
そこで、いまでも中心部分はぶれていないことをこのセミナーで確認します。
世の中にあまたある学会とは違います。業績のための発表はありません。
支援者一人一人の悩みや楽しみや迷いに焦点を合わせて語り合い、
だれもがほっこりと温かい何かを持って帰れる集まりにします!
https://tadoku.org/news/2018/05/24/5667
「続き」でいわゆる学会とは違うのだということを強調したいと考えます・・・
ごく短いメモです。
あるシャドーイングに入れ込んだ人が最近のメールで、
「きょう仕事であった外国人は、わたしが日本人だということを
なかなか信じてくれなかった」と。
見た目は間違いなく日本人です。仕事場も日本です。
でも「それまで聞いていた日本人の英語ではなかった」のでしょうね。
きのうも「怪しい東アジア人」と国立スタバ会で会いました。
NPO多言語多読の講座からもカタカナ英語ではない人が出ています。
一言でいうと、シャドーイングで新しい日本人英語ができつつある!
追記
なお、最初の人についてはいずれもうちょっとくわしい報告をします。
近くの多読仲間の温かい、いや、熱い応援に支えられて、
あした19日から21日まで、豊田高専、知多市立中央図書館、
おおぶ文化の杜交流図書館を巡ります。
高専の学生たち、知多市民のみなさん、おおぶの「英語を読み隊」の
隊員(?)のみなさん、どこでも盛りだくさんの予定が組まれていて、楽しみ!
豊田高専では授業を見せてもらいます。何か発見があるはず!
知多講演は、文字から音へ重心を移して、多読からTadoku的スピーキングへ、
楽しく発展します!
おおぶでは図書館多読を続けているみなさんの読書相談と、
多読用図書の虹色ラベル貼り--なんとただのラベル貼りが、
多読仲間といっしょだと手も口も動いてとてつもなく楽しいのです!
おおー、待ちきれないぞ!