11月5日にNPO多言語多読の事務所で開かれた特別セミナーから
珍しい駒が出てきました。
参加した一人の英語の先生から様子を聞いた松木久恒さんがさっそく
試したところ、とても楽しかった、とFacebookでメッセージが
送られてきました。
全文の引用を許可してくださったので、読んでください!
11月5日にNPO多言語多読の事務所で開かれた特別セミナーから
珍しい駒が出てきました。
参加した一人の英語の先生から様子を聞いた松木久恒さんがさっそく
試したところ、とても楽しかった、とFacebookでメッセージが
送られてきました。
全文の引用を許可してくださったので、読んでください!
*音は落ちると言ってきたけれども、どれもほど落ちるか分かっていなかった。
*わたしのシャドーイングは「音」単位だった。発音練習を高速でやっていたようなもの。
*改めてトップダウン、劇薬シャドーイングをやった方がよさそう。
*どうも、わたしは自分の言うことを自分ではやらない傾向がある。
*わたしのシャドーイングは無限にある変化を一つ一つ追いかけようとしていた。
*理屈で分かってから繰り返そうとしていた。だからとてつもなく時間がかかっている。
*Bitesize Shadowing とでも言うべきものを考えるべき?
*自分でも「劇薬シャドーイング」の標準処方からやり直し
(標準処方は今のところ「劇薬シャドーイング5分、速い英語10分」)
一つ前の記事を読んだ人は、ひょっとすると
「よし発音練習と消音練習を両方がんばるぞ!」
と考えた人がいるかもしれませんね。
発音練習は無理と言っているのだから、消音練習もあり得ないわけで、
この二つは一つの硬貨の裏と表の関係です。
じゃあ、なんで消音練習などと言い出したのか?
ディクテーションは無駄、発音練習も不可能と書きましたが、
先日の特別セミナー「多読的シャドーイング入門」で、
消音練習ということを思いつきました。
いったい何、それ?
発音練習は無意味です。
わたしは中学校1年のころから20年も30年も毎日何時間も
発音練習をやっていました。
わたし以上に熱心に発音練習をやった人には会ったことがありません。
で、その結果にまったく満足していません。
あるときわたしは教え子と米国人の友人といっしょに話していたときに、
「酒井さんの英語はわかるんだけなあ」と言われて、愕然としました。
何か違うんでしょう。何が違うかはいまも研究中ですが、
研究なんかしなくても英語独特の音を聞いて話せる道があります。
それがシャドーイングです。おとなの歴とした日本人が、短時間で、
日本語らしい音から英語らしい音へ飛躍するにはいまのところ
シャドーイング以外には見当たりません。
それでも辞書信仰や文法信仰とならんで、発音練習信仰もただ反対を
唱えてなくなるわけがありません。無意味な理由をもう一つ、
実例とともにお話ししましょう・・・