字幕なし多観はこどものように、あるいは赤ちゃんのように
ことばを吸収していくのですが、その好例をさっきFacebookで見つけました。
すごいですよ・・・!
字幕なし多観はこどものように、あるいは赤ちゃんのように
ことばを吸収していくのですが、その好例をさっきFacebookで見つけました。
すごいですよ・・・!
大ブリテン島の最南端 Brighton で日本語教室を開いている
Fran Wrigleyさんについては、このブログや Facebook や
Twitter で何度も様子を紹介しています。
Franさんは日本語多読を採り入れているのですが、
その様子を読んだ Shania さんがこの夏 Fran さんの教室を
訪問して、三つのクラスの様子を知らせてくれました。
Franさんの多読クラスは二つ目の段落です。
英語の多読クラスとまったく変わりませんーーこうして
多読・Tadokuが世界に広がっていく!?
Shaniaさんについては報告の途中に書きますね。
いつもわたしは自分が言っていることを自分ではできていないわけですが、
今回のメモもそれです。
Bitesize は大事な単位
Bitesize が大きくなるには音がちゃんと落ちないといけない
わたしは音が落ちていない。子音で終わっている語はその子音が落ちなければいけないのに、落としていない。昔からほかの人には言っているのに自分ではそうなっていない。
音を落とすには聞こえたまま繰り返すシャドーイングをやるしかない。(劇薬をやればいいのに、自分ではやらない!)
Bitesize はそれぞれを一つの語のように一息で!
*自分が言い出したことを自分ではやっていないのは
すでに何度も書いたとおり。今回はそこに 劇薬シャドーイングと
Bitesize Speaking/Writing を加えてメモにしておきます。
*実はわたしの bitesize はきわめて小さいらしい
語数でせいぜい5語か6語。
*bitesizeにも「物語」がなければいけないかもしれない。
*bitesizeの背景にあるはずの世界や物語を無視して、
わたしは音だけのシャドーイングをやってきた、何十年も。
*わたしのシャドーイングはbitesizeではなく、文字単位だった。
*多読にたとえれば高速脳内和訳をやっていたようなもの。
*一つ一つの音を脳内で確認しながら口で繰り返す速さ、正確さは
日本屈指に違いない!
*実はわたしこそ劇薬シャドーイングで頭を通過させないシャドーイングを
やるべきだった。
*まだ劇薬シャドーイングを始めていない・・・
*とっくの昔に(数十年前に)耳と口を直結して、
その後ずっと物語を意識したシャドーイングをしていれば、
いまとは次元の違う話し方ができていたのではないか?
*耳と口が直結したら、Peppa Pigくらいから、場面や物語や
感情を真似する1拍遅れの(1 bitesize分遅れの)シャドーイングが
いいかも?
*そこから少しずつbitesizeの大きいアニメやドラマに移行?
物語のための、そういうシャドーイングを Bitesize シャドーイングと
呼ぶとすれば、それには朗読よりも映画やドラマの方がいいかも?
もうこのくらい、今晩は
わたしは自分で提唱したことを自分ではやってないわけです。
それはもう何度も言ってきました。NPO多言語多読の持っている多読本は
ほとんど読んでないし、劇薬シャドーイングもやっていないし、
多読だってできるようになったのはここ数年のこと・・・
で、ここ1年ほど、自分が提唱していながらやっていない、できていないことが
いくつも気になって、「やっぱりやらないといけないんじゃないか」と思うこと頻りです。
そのいくつかをメモとして書き留めて、忘れないようにしようと・・・