「絵=映像」から始まる 多読的精読にみなさんからメッセージ!

旧「町の名前をひとつ」以来抱えていて、公開しようかどうしようかと
逡巡を重ねた話題でしたが、投稿してよかった!
たくさんの人からメッセージをいただきました。
全部ではありませんが、お伝えします。

良くわかりました。私の場合、多読的精読ができるようになるまで、やさしい本でもう100万語ぐらい必要な気がします。

最初にいただいたメッセージです。
「多読的精読」なんていう「用語」をみなさんにはやらせてしまうと、それはそれでまた
さまざまな問題が起きそうですが、Yさんの場合、様子を時々伺っているので、
問題が起きないように、お手伝いしようと考えています。

どなたも様子を知らせてください。できるお手伝いはします。

次はSYさん。児童英語教室の先生です。

関係ないかも、ですが…。

小学生のときから、文法とかを中心に、いわゆる英検に向けて勉強してきた子が、中2でうちの教室に入ってきて、絵本を読んでいると、文字しか見ていません。絵本を楽しむことができない状態なんです。

先生のブログを読んで、ホント、納得です。

説明のしようがない、あの「英語の感覚」というものが、なかなか感じとれない。

大変なことです!

こんなにハッキリわかって、正直、ショックでもあります。

人が使う言葉を、そういうものとして捉えられていない、
しかも、まだ若いのに、もう絵本の絵を楽しむことができていないことが、まずショックです。

なぜなら、小学生からORTに親しんできた子供たちは、読めないレベルのORTでも、絵だけを楽しそうに眺めています。大きくなっても必ず絵を見てから読みます。

でも、ページのほとんどが絵なのに、文字だけを追って読む・・・悲しいです。

先生のブログにあったように、気楽にやって、いつでも絵本に戻れるような感覚がないといけませんね。

それには、やはり、多読のスタート時にどれだけ絵本の世界にどっぷりつかることができるか、が鍵だとはっきりわかったことが、なんというか、言い表しようのないショックなんです、私にとって。

小学生から文法や英検対策をやってしまうと、中2ですでに文字しか見なくなる・・・
たしかに大変なことですね・・・ うう・・・

私は絵本ばっかりです(笑) 恥ずかしながら、絵本にしか浸かっていません。今1歳の娘と今まで知らなかった絵本も読めたりして、更に絵本にはまっています。楽しいですよ~✩日本語の絵本もしかり、です。それに、絵本の読み聞かせ講座にも親子で通っていて、そこで先生から聞く、絵本の大切さ、絵を見ることの大切さを痛感しているところなんです。

だから、そういう最近入ってきた中2の子を見て、「あれ??なんで絵を見てないんだろう?」と思っていて、きっと、そういうことが「英語の感覚」に関係あるな~、と思っていたところに、この話がきて、ドンピシャ、というか、モヤモヤがクリアーになった感じ。それが、あまりにもクリアーで、ショックだったんですね、きっと。

大人目線で見ると気づかないことも、子どもが気付いて教えてくれます。だから、やはり「おさなごのやうに」、これが本当に鍵ですね、先生!!

親子で絵本にはまるなんて、なんとも言えませんね・・・
「をさなごのやうに」を日々体験しているのですね。

みなさん、読み聞かせというのも、非常によいものであります。
ぜひ近くにいるこどもたちに、もしいなければ親しいおとなたちに、
読み聞かせをしてやってください。聞く方も、読む方も、幸せな気分に・・・

最初のYさんから二通目のメッセージ・・・

私は、あまり物語に浸れないタイプで、新聞記事や、who was シリーズが好きです。そうすると、会話には繋がらないような気がします。いかがなものでしょうか?そこで思い付いたのが、絵本です。最近、絵本が良いと思い読み始めたところです。

ノンフィクションから会話につながりにくいかどうか・・・ それはなかなかむずかしい。
けれども、実はわたしもちょこっとそんな気がしていないこともないのですね。
リスニングでも、CNNのニュースなどはなかなかシャドーイングには適していないかも
しれないとも感じていて、メリハリのある、感情の起伏がはっきり現れた素材の方が
吸収しやすいかもしれないと考えていますが、まだわかりません。

そして次はShさん。SYさんと同じくふるーい仲間です。
(ただし、久しぶりではないんですよ、ちっとも。
Facebookでは頻繁にやりとりがあります!
あ、そうだ、この前知多に行ったときにもあったじゃないですか!!)

先生、お久しぶりでーす。ちょっと真面目に英語をやりたいかも。という事で知多図書館からORTのレベル1を借りた私(*^^*)私の場合、面白おかしく読むにはロマンス本、真面目に勉強するにはORTでーす。

↑ これはまた、すばらしい! SSS時代の古い仲間に言いたいのはまさに
このことです!! ところでShさん、CDも一緒に借りてこようね。
それから海外ドラマも向いてそうな気がするな!

次は意外な告白・・・
Tsさんです。

絵をみて浸る、って大事なことなんですね。たぶん私も出来てないです。字のない絵本は苦手。。。先日「硫黄島からの手紙」を観て翌日娘が言ったのは、「昔は絵を書くのに鉛筆じゃなくて、なんかインクをつけて描いていたんだね」
渡辺謙が戦地から絵手紙を書く、と言う場面がたくさんあったのですが、私は絵ばかりみていました。道具に目が行く子どもはさすがだな、と思いました。
私ももう少し絵本を眺めなくてはσ(^_^;)

「負うた子に教えられ」--いろはかるたそのままですね。
おとなとこどもの目の付け所の違いを見せつけられますね。
娘さん、いくつなのかな? 小学生? 今のうちにたくさん絵本を楽しんでください!
(あ、もちろんいくつになっても絵本は楽しいです、をさなごのやうに・・・)

ほかにもメッセージやメールが来ていますが、きょうはここまで・・・
みなさん、ありがとう!!!!!

「絵=映像」から始まる 多読から多読的精読への道

独眼龍さんがあるとき(おそらく2、3年前?)、

「それは多読から多読的精読になっていないということですね。」

と言ったことがありました。わたしはそれ以来ずっと考えてきました。
どういう場合に 多読から多読的精読にならないのだろう?

今年の初め以来、そのことにある見当がついたように思っています。

「絵=映像」の吸収が足りない場合ではないか?

(「精読といえば文法分析だろう、したがって、多読に文法の勉強を加えれば
多読的精読に変化するはずだ」と考えるのはほとんど陋習であり、
たとえ陋習とまでは言えなくても、間違いなく短絡的です。
そんな表面的かつ簡単なことならなら2年も考えなかった。
文法による精読なんてものはまったく無力。というより害があります。
その点については「さよなら英文法 多読が育てる英語力」(ちくま学芸文庫)
を参考にしてください。文法を通じた精読では、どんなにがんばっても
あの本で採り上げた英語の先生たちや受験専門家たちの理解
(すなわち無理解)にしかなりません。)

つまり、なんと1年半前にいくつか書いた「いわゆるGRの功罪」という話題に
見事につながっていました。そしてなんとSSS時代の多読仲間の現在にも
つながっているかもしれません・・・

1年半前に書いた記事はおいおい投稿しますが、
絵や映像の吸収が足りないということについては、整理し切れていないので
メモ風に・・・

*GRは絵本ではなくて挿絵本。
→ことばにとってきわめて大事な「世界や状況や場面」を体感しにくい。
*GRは学校英語に近い。
→「生のことば」に対する勘が養われない。
*学校英語をお勉強した人には、分かるところが多すぎる。
→分からないことに耐える癖がつきにくい。
*学校英語の誤解が修正されにくい。
←絵があれば誤解が修正されやすい。
*GRも絵本も「やさしい英語」で書いてあるが、「やさしい」の意味は全く違う。
→GRは学校で英語を勉強した大人向けにやさしく書いてある。
→絵本は英語が母語のこども向けにやさしく書いてある。

ほかにもあるはずですが、ここはメモなので、またいつか追加します。

GRから始めて、そのまま挿絵本に移り、ペーパーバックに手を出すと、
いちばんやさしい、つまりいちばん基本的な、語や、語のつながりについて、
十分な理解と吸収をしないままになってしまう可能性があります。

そこで、たとえば Catherine walked into Wim’s office.  を
「事務所まで歩いて行った」と考えてしまいます。
600万語読んだある人は音をたくさん聞いていて、想像力も豊かなのでしょう、
「into と書いてあるから、『乗り込んだ』んでしょ。」と言いました。
「こんなのが多読的精読」です。

つまりSSS掲示板の時代には絵本の役割が小さかった。
そのために、ペーパーバックを楽しめるようになった人たちの中には
うまく多読的精読に入っていったタイプと、もう一息入れないでいるタイプが
いるのではないかと、しばらく前からわたしは考えています。
(もちろんその間にさまざまな度合いのタイプがありますが。)

*最初のタイプは、想像力が豊かだったり、GRからORTに戻ったり、
絵本を堪能したり、朗読や映画や海外ドラマを多読と並行して
楽しんだために「文字だけではない理解」にまで進んだタイプ。

このタイプはいい加減な人たちで、いわゆる「理解」は不十分でも、
どんどん楽しんでしまうようです。きわめていい加減な場合は、
そもそも「理解」なんていうことはまったく気にしないようです。

*もう一つのタイプは、GR → 挿絵本 → ペーパーバック と進んで、
一見順調なようだけれども、GRの時の英語の理解をそのままペーパー
バックに持ち込んでいる。いわばペーパーバックを強引に学校英語の延長で
理解していているように思われます。

この場合、自分が「正しく理解しているかどうか」を気にし、
さらには試験の点数を気にする傾向があるように思われます。
理解度が気になるので、飛ばし読みができず、結局 たくさんは読めない・・・
また、飛ばし読みができないのでリスニングが不得意、
映画やドラマも分からないところを繰り返し聞いたり、
字幕でたしかめたりするようです。その結果 たくさんは聞けない・・・

とどのつまり、ことばが使われる多様な場面に遭遇することがなく、
なによりも大事な楽しくたくさん吸収することができない。
たくさん読んだように見えて、理解が深まることはなく、多読的精読には
至らないというわけです。のみならず、正しくないといけないと考えがちなので、
話すことも書くこともおびえてしまい、手が出ない。いや、口が出ない・・・

注:もう一度、念のため・・・
二つのタイプに分けたのはいちばん極端な両端を採り上げてみただけ
のことです。両端の間に無数の変化形があります。

**********************************

このメモの結論は以上ですが、どうしても追記しなければいけないことがあります。

後者のタイプは「わたしのことかもしれない!」と思い当たる人には、
「気楽で楽ちんな道」に戻る方法がいくつかあります。

*聞き読み ただし、決して理解を深めるためにという言い訳で、戻ったり、
何度も同じところを聞き読みしないこと! 分からないところは放っておいて、
朗読の速さのまま引っ張られてください!!
*劇薬シャドーイング すでに何百万語も読んでいるのに、聞けない、話せない、
書けない、という場合は、劇薬シャドーイングを試してください。
一気に聞ける、話せる、書けるになる可能性があります。
*字幕なし多観 劇薬シャドーイングよりも続けやすいはずです。
効果のほどはまだよく分かっていません。

TOSSについて

「「絵=映像」から始まる」の最後に、
TOSSという団体のページをリンクしました。そしてそのページについて
わたしは次のように感想を書きました。

このページで紹介している「話し合い」はどうもある方向に連れて行こうとしていますね。

広島中等教育学校に多読の話をしに行っている間にある人からメールをいただきました。
それによると、上のページは TOSS という団体のものだそうです。
そして、わたしの感想はあながち的外れではなかったようで、
TOSSという団体の唱える教育技術法則化運動には批判もあるようです。

教えていただいたwikiページのリンクを貼っておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/TOSS

なお、このwikiページそのものの評価もまだ決まっていないと、トップに注意書きがあります

「絵=映像」から始まる

けんさんが実に鋭い評価をFacebookのコメントとダイレクト・ツイートで送ってくれました。

小 1年国語、初めの単元のこと、直近の教科書は確認していませんけれど普通のことと思います。問題点は、絵を見て話し合うのはいいのですが、絵の内容がイマ イチ。そしてその単元だけで終わってしまい、一貫して続いているわけではないと言うことです。1年生は文字を知らないのがタテマエですから、このように なっていると思います。しかし絵本の読み聞かせなどを毎日続けながら、同時に「あいうえお」(または簡単な文字の「し」や「つ」)から教えてもいいわけで す。歌やオノマトペの力を借り、お絵かきなどもして総合的に楽しく学べるのが1年生の楽しいところです。いずれにしても今の国語の教科書は昔に比べて質の 高い文学教材が少なくなっています。代わりに発表もどきと変な作文ばかり。子どもたちは正直です。教科書を開けるとまず面白そうな物語を探します。

なんでわたしは自分で気がつかなかったのかと臍を噛む思いです。
(普段から「物語、物語」と言っているのに、なんで気がつかなかったんだ!)

MIKIさんが知らせてくれました。

興味深いサイトを見つけました。一年生の国語の授業の進め方の例が詳しく掲載されています。
http://www4.plala.or.jp/higa/1nenkokugo1.htm

このページで紹介している「話し合い」はどうもある方向に連れて行こうとしていますね。
大事なのは小学校1年生一人一人が文字のない絵のページから、どんな物語を作るか、
ですね。そして、もちろん、どんな物語でもいい。そして、その絵だけの本は
たくさんなけりゃいけない。そして、おもしろい物語を作る種になる絵でなけりゃいけない・・・

やっぱり Oxford Reading Tree の絵本シリーズと同じというわけではなかった・・・?
みなさんの意見を求めます!

「絵=映像」から始まる パピイさんのころも

パピイさんから早速返事がありました。

酒井さん、

昨日のブログの話題を読んで、とても懐かしい気持ちになりました。

小学生になって(1962年)、これからどんなことを習うのだろうと、
わくわくしていたら、国語の教科書の最初のページには、
文字が一個も無くて、とてもがっかりしたことを思い出しました。

その絵は、公園で子供たちが遊んでいる風景でした。
そう、二つ目の写真のような感じでしたね。

腑に落ちない私は、後日先生に聞いてみたところ、
絵を見ながら、みんなでお話をするために文字が無いとのこと。

英国だけでなく、自国語の教育には、どの国も一生懸命取り組んでいるようですね。

☆パピイ

パピイさん、ありがとう!
1962年というとずいぶん最近まで絵だけだったのですね。
最初の記事の教科書は昭和30年というから、1955年だったらしい。
みなさんの小学校入学時の国語の教科書はどうでしたか?

今はどうなんだろう?

と思っていたら、MIKIさんからツイートがあり、
東京書籍の 「新しい国語 1年生上」でも、はじめのうちは絵だけだということが判明。

まてよ・・・? 字が読めないはずだから、ということか?
そんなすごいことではないのか?
いや あいうえお表から始めるなんていうことだってありそうだから、やっぱりすごい?