bite-size

シャドーイングという身体的経験について をさなごのやうに・・・

シャドーイングは時々単なる「ドリル、トレーニング、機械的作業、お勉強」と
捉えられることがあります。

無理もありません。けれども、わたしはそうじゃないと昔から主張してきました。
お母さんのお腹の中で、赤ちゃんは回りの近しい人の声をシャドーイングしているにちがいないとさえ思うくらいです。

心地よい声、生きていくのに大事な声、好奇心を刺激する声を
自分でも繰り返すというのはかなり根源的な活動ではあるまいかとわたしは
思います。

最近一口大研究のためにやさしい絵本(1ページに1語から3語くらいの絵本)を
たくさん朗読してみて、その思いはさらに強くなりました。いや、ほとんど確信ですね。

おっと、それはまた実例を見せながら記事にするとして、
赤ちゃんが心を揺さぶられるように、おとなもことばに心を揺さぶられ、
体を揺さぶられることがあるようだという引用です。

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#一口大メモ 「読む」の一口サイズ

これはもう書いたような気がしますが・・・

わたしは読むのがひどく遅いわけですが(1分間150語から120語くらい)、
これはわたしが「かたまり読み」ができていないからではないか?
一語一語拾ってたどってつなぎ合わせているので遅いのでは?

一語一語拾って読んでいるといつまで経っても速く読めるようにはならない?
つまり一口大のサイズが増すことはない? じゃ、どうする???

一口サイズが読むことにも関わるとすると、bite-size は話すこと、読むことの両方に
関係することになって、対称的なところが実に気分がいい・・・

一口サイズはことばの大統一理論?

一口大メモ 英作文ライティング・スピーキングについて・・・ ついに書いてしまう! 

もう何年英作文ライティング・英作文スピーキングのことを書くのをためらってきたことか・・・

書けば、みなさんは「さかいさんはわたしたちの書く英語をそんな風に見ていたのか、
やっぱりチェックしてるじゃないか。やっぱり「先生」なんだ」と思うでしょう。

それが分かっているから、長い間ためらっていたのですが、
一口サイズという考え方を見つけてしまった以上、それと対比して
英作文スピーキング、英作文ライティングを話題にしないわけにはいかない。

いよいよ書いちまいます・・・

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