一口大メモ 英作文ライティング・スピーキングについて・・・ ついに書いてしまう! 

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もう何年英作文ライティング・英作文スピーキングのことを書くのをためらってきたことか・・・

書けば、みなさんは「さかいさんはわたしたちの書く英語をそんな風に見ていたのか、
やっぱりチェックしてるじゃないか。やっぱり「先生」なんだ」と思うでしょう。

それが分かっているから、長い間ためらっていたのですが、
一口サイズという考え方を見つけてしまった以上、それと対比して
英作文スピーキング、英作文ライティングを話題にしないわけにはいかない。

いよいよ書いちまいます・・・

どうして書いてしまうかというと、理由はいくつかあります。

第一に、世の中ほぼこぞって和訳を速くできることが英文を読むことだと思っていた時代に、
わたしはそういうのは読んでいることにならないはずだ! と言い出した--それが多読だった。
今回は英作文ライティングや英作文スピーキングは書くことでも話すことでもないと
言い出すわけですが、多読を言い出したときと同じ考え方を提案しているにすぎない。
そう思って自分の背中を蹴飛ばしました。

第二に、こんなことを言い出すのはわたししかいない--多読三原則もそうでしたが、
世間では英作文が書くことであり、英作文の結果を声に出すことが話すことだと思っているわけで、
どんなに非難されても、わたしが言うしかない。だからわたしが提案するしかない。
そして分かる人は「さかいさんはただ非難しているわけじゃない」と考えるでしょう。
わたしが相手にすべきはそういう人だけなのだから、言い出してしまおう。

第三に、英作文スピーキング・英作文ライティングはやめた方がいいと思っているけれども、
それは「英語らしい英語でなければ書く意味も、話す意味もない」と考えているわけではないからです。
一口サイズから始めて「英語らしい特徴を備えた話す・書く」をめざしつつ、
途中では英作文ライティングだろうと、英作文スピーキングだろうと、どんどんやっちまえ! と
考えています。

第四に、英作文スピーキング・英作文ライティングはやはり学校英語の産物であり、
字のない絵本、字幕のない映像作品から始めれば、なんなく英語の特徴を備えた
話す・書くは獲得できると考えるからです。

さあ、書いてしまったぞ! すっきりした!!これからは歯に衣着せず、英作文ライティング・英作文スピーキングを抜け出すとはどういうことか、
抜け出すには(学校英語を洗い流すには)どうするか、提案します!!!