みなさん、こういう話題に関心あるんですね!
それとも人気アニメだからかな?
In any case, なんとFacebookでは40年以上前に非常勤講師を
していた時の教え子から! うれしいじゃないですか!!
そして北海道からも反響が・・・
みなさん、こういう話題に関心あるんですね!
それとも人気アニメだからかな?
In any case, なんとFacebookでは40年以上前に非常勤講師を
していた時の教え子から! うれしいじゃないですか!!
そして北海道からも反響が・・・
日本では学芸(教育とか学習)ということになると、
「先人の言うとおり」ということが強調されて、
「まずはこれまでのやり方をそのまま学べ、
自分を発揮するのはそれができてから」などと言って、
結局自分は発揮できないで終わります。
日本が国としてどんどん沈んでいくのは新しい道へ踏み出す
ことができないからだと、わたしには思えます。
いきなり長くて大仰な前置きになりました。
それはわたしがいつもとても大きな不満を抱えているからです。
いまは学校の中でも、学校を出てからも、成長することが
すべて試験と資格に支配されています。そのために、
試験や資格が大事という「常識」を破ることは大変むずかしい
ことになっています。
福岡女学院の坂本さんはその常識をきれいに破る根拠を
見つけてくれました。
正体は明かしませんが、ナッツボンさんは古い多読友だちです。
ときどきこうしてメールをくれます。
遠方とは言えないところにいて、割と頻繁にメールをくれる・・・
こういう朋もいいもんです。
直前の記事で、間違ってもカタカナ英語でもなんでもいいからどんどん話しましょう、という提案と
伝わりやすいように(相手の負担を減らすように)外国語の音の特徴を手に入れましょう、という提案と
二つを書きました。するとこんなメッセージがツイッターで届きました・・・
Kakkoさんの意見を読んで、「伝わりやすい音」を手にいれるには、従来と同じような苦しい道のりが必要だっていう前提があるように感じるのと、もしかしたらカタカナ英語と日本語から離れた(でも英語からはまだ距離がある音)の区別がつかない?という現状があるのかなと思いました。
楽しいはずの tadoku が苦しかったら元も子もない!
こういうやりとりをみなさんとフツーにできることがうれしい・・・
今回は数字を疑うというなら、bitesize の 1語から2語、3語、というのも疑うのか? という
疑いのメールです。