日本では学芸(教育とか学習)ということになると、
「先人の言うとおり」ということが強調されて、
「まずはこれまでのやり方をそのまま学べ、
自分を発揮するのはそれができてから」などと言って、
結局自分は発揮できないで終わります。
日本が国としてどんどん沈んでいくのは新しい道へ踏み出す
ことができないからだと、わたしには思えます。
いきなり長くて大仰な前置きになりました。
それはわたしがいつもとても大きな不満を抱えているからです。
いまは学校の中でも、学校を出てからも、成長することが
すべて試験と資格に支配されています。そのために、
試験や資格が大事という「常識」を破ることは大変むずかしい
ことになっています。
福岡女学院の坂本さんはその常識をきれいに破る根拠を
見つけてくれました。
坂本さんのFacebookページを見てください。
ヨーロッパの外国語二関する統一達成目安(CEFR)では、
いちばん達成度の低いA0からいちばん達成度の高いC2まで
7段階に分かれていますが、accuracy(正確さ)を求める目安は
C2にしか出てこないというのです。
日本ではこどもに最初からaccuracyを要求します。
「一点一画を疎かにしない」というやつですね。
要するに日本の学校や教育は人がそれぞれに育つことを目指して
いるのではなく、型どおりの「人材」(いやなことばです)に
育つことを要求しています。試験や資格の要求に素直に応えていると、
自分自身の考えを持ったり、人と違う判断をすることが非常に
むずかしくなると思われます。
坂本さん、ありがとう!
もっともこれでも日本人の95%は「正しく・正しい」という
「絶対的な基準」から逃れることはできないでしょうね。
多読・Tadokuを始めた人たちは、ほかの人と違うことをすることを
恐れなかった人たちでしょう。
NPO多言語多読は世の中を席巻している試験や資格を疑う5%の
人たちと一緒に歩いて行きたいと考えています。
追伸
CEFRについては NHKのこのページ を見てください。
ただし最初の3行の説明は例によって権威主義的です。
「能力別のレベル」ということばは高圧的で
付属の「試験問題」は硬直化しています。
もともとのCEFRはもっと柔らかい説明になっていて、
4択とか5択といった問題で判断できるようなものではありません。
CEFRはNHKだけでなく文科省も依拠しようとしているので、
これから日本の外国語教育全体を覆う黒い傘になるでしょう。
そしてCEFR対策が全国の学校、塾、予備校で盛んになって、
硬直化して、日本の「外国語教育」そのものは何の変化もない
ということになるでしょう。