学校英語批判

「絵=映像」から始まる Kakkoさんの追伸

昨日の記事のあとに、こういう追伸が来ました。

大事なことを忘れていました。
私、英語がわからなくてもDesperate Wivesを楽しめる、と書きましたが
楽しめない人たちもいます。

私の周りでは、それは「英文科卒の人」と「まじめにテストのための勉強をしている人」です。
または学校が作った英語アレルギーの人でしょうか。
お勉強モードで見るからリスニング、と思ってしまい聞き取れないとイライラして続けられなくなってしまうのです。
テストや資格に熱心だった以前の私も当時ならその中に入っていたと思います。

今はとっても楽しいです!
それではまた。

Desperate Housewives であれ、ほかのドラマや映画であれ、mangaであれ、絵本であれ、
「まじめにテストのための勉強」をすると、「正解は一つしかない」と思いがちになるようです。

Kakkoさんは、「お勉強モード」の具合の悪いところをよくご存じだと思いました。
しかも「以前の私」のことも冷静に思い出しているところもすばらしい。
一旦「お勉強モード」に囚われてしまうと、抜け出すのはかなりむずかしい。
試験に長く関わっていると、自分のことも、ほかの人のことも、試験の点数や資格でしか
判断できなくなる・・・ これは恐ろしい病です。往々にして不治の病に至る・・・

「段階別読み物」--英語多読では graded readers つまり GR と呼びますが、
これは時として、「お勉強モード」に馴染みやすいところがあります。
KakkoさんのメールはGRの具合悪い点に移っていきます。
どうぞ、お楽しみに!

なお、graded readers にはそれなりの使い道があります。
一言でいえば、多読初期の緊急避難的な使い方であり、
中期(?)以後にはダイジェスト版世界名作全集としての使い方です。
くわしくは GR論議の最後に付け加えます。

字幕なし多観について キャラクターが鍵?

やはり字幕なしで映画やドラマやアニメを楽しんでいる人はあちこちにいる
と見えて、きょうも報告がありました。

実に示唆的なので、字幕なしに関する部分をそのまま引用します。

字幕なし多観が楽しく続けられるかどうかは
どれだけ(言葉がわからなくても)登場人物の気持ちを想像し共感できるか
それと
お気に入りの(または気になる)登場人物がいるか
にかかっているように思います。

この登場人物(キャラクター)というのが
見続けるのに
けっこう大事なんじゃないか、と思っています。

これが面白ければ、それだけで目が離せなくなって
ストーリーさえわからなくても見続けてしまうのが
人間の特性かもしれません。

私の姪は2才くらいから「相棒」が大好きでしたし
娘も3才のとき「渡る世間は鬼ばかり」の
再放送にはまっていました。
息子の友だちは2才の頃、まだ片言のときに
「はぐれ刑事純情派」が大好きで
藤田まこと演じる主人公が出ると
「ハグレ、ハグレ」と興奮して見入っていました。

2歳や3歳のこどももドラマの世界や物語に惹かれるのでしょうか?
おそらく惹かれるのでしょうね。

彼らが殺人や鑑識結果や店の経営や嫁姑問題などが
わかっていたわけではないけれど、
1時間ちかくずっと鑑賞していられたというのは
お気に入りの人物が笑ったり困ったりののしりあったりすると
もう目が離せなくなってしまったからだと思います。
危険な目に合うと自分もドキドキしていたみたいです。
(ちなみに、これら国民的ドラマを酒井先生は
知らない可能性がかなり高いと推測します・笑)

それにしても2歳の頃に、藤田まことの威力が分かる?!
わたしたちは世界について、歴史について、人間について、とんでもない
理解力や吸収力を持っているのでしょうね。
まだだれもどれほど広く深く高いのか、知らないのでしょうけれど。

私も昨年の秋から思うところあって多観を始め
12月にメリッサさんとお会いしてからは
ますます字幕なし中心になりました。

連続ドラマなら、登場人物になじんできて
その人の癖とか習慣とか性格がわかってくると
その回のストーリーが大した話でなくても
キャラクターの魅力で楽しめます。

あの世界的な、近頃また現代に現れた探偵さんも
頭脳明晰だけどコカイン中毒だったりするキャラ、
口ぐせ、決め台詞、あの挿絵の造形(帽子、コート、パイプ)
がストーリー以上に人々をひきつけるものだから人気者なのでしょう。

機関車トーマスだって汽車なのに
それぞれの性格や癖がはっきりしているのを
子どもたちはちゃんと見分けています。

そういえば、魅力的なキャラクターのいないヒット作はないような?

今回、先生のブログで
受講生のBさんのDesperate Housewives のメモと
パピイさんのコメントを興味深く拝見しました。
私もこのドラマにはまったことがあるので
なおさら、なるほどと思ったのかもしれません。
10%しかわからない、というのは話されている英語のことでしょうが
このドラマを最初から見ていれば
登場人物設定と展開が、たぶん英語が全くわからない方でも
わかると思います。
それぞれがどうなっていくのか、次々新しい人も出てくるので
興味が尽きることもないし
わからない部分があっても、どうなっていくのか楽しめるはずです。

それと、このキャラクターへの思い入れ、共感、というのと
例のGRの弊害の話は実は関係があると思っていますので
そのうちお話ししますね。

場面と展開と表情と声音(言っていることの「理解度」ではないです)について
パピイさんと同じ感想と言っていいのでしょうね。

さらに長くなってしまいそうですので
劇薬?多観についてもまた次回に。
私、20年以上前は何も考えず平気でやっていました。
知らない土地の映画館に入って知らない言葉の映画を見るのが楽しかったです。
香港で広東語の映画を見るとか。

ひとつヒントになりそうなのは、NPOにもあるピングーです。

次回を 非 常 に 楽しみにしています!

それから、段階別読み物(GR)の弊害についても、ぜひ意見を聞かせてください。
わたしは実は1年半くらい前からその話題についてブログに下書きを貯めています。
それで、実はまもなくそれを記事として公開しようと考えていたのです。
ご意見を楽しみにしています!

追記
字幕なし多観のよさと、GRの弊害は同じコインの裏表だと、わたしは考えています。
その意味でも、この人の次回の報告は楽しみです。

流されないために・・・ フォニックスに関するメモ その2

Phonicsには反対意見があります。wiki で検索してください。

wiki の内容をごく簡単に紹介すると、まずwhole language からの反対意見が
あります。whole language という考え方は、ことばを一つ一つの単語や文法に
分解するのではなく、ことばを全体として吸収しようというものです。
当然のことながら、単語を音素に分解して教えようという Phonics は
whole language の立場からは認められないというわけです。

一方で、アメリカ議会が移植して、教育省が関わって行った調査では
whole language と Phonics をはじめとするさまざまな教授法について
調査した結果、初期の読書力を高めるためには Phonics がいちばん有効と
結論を出しました。

わたしはそうした「調査」を簡単には信じません。
それは Paul Nation という人の 「使われている語の95%を知っていないと
本を読み通すことはできない。98%を知らないと楽しめない」(だったかな?)
という、先生たちに広く信じられている説をわたしが信じないのと同じです。
人間の実際の姿を描き出す調査なんていうものはアメリカ議会が委嘱しようと
教育省が関わろうと、できるはずがない。

(百歩譲って、Phonics はアメリカのこどもたちには有効だとしましょう。
けれども日本に持ってきて有効だということはありえません。
前回話題にしたように、日本人のこどもには Phonics の前提となる
音の土台がないのですから。)

わたしは調査や数字や試験や資格なんぞより、信頼できる人の「勘」を
はるかに信じます。

たとえば、先日Oxford Reading Tree の絵本シリーズを作ったRoderick Huntさんと
Alex Brychtaさんが来日した折に、Oxford University PressのKさんが
招待してくださって、Brychtaさんの奥様とKさんとわたしと5人で食事をしました。
その席で、ORTにはPhonicsのシリーズもあるのですが、
HuntさんもBrychtaさんもフォニックスには反対だと言っていました。

ところで、Phonics がうまくいく、あるいはうまくいくように見える場合は
たしかにあるのでしょう。たとえば識字障害のあるこどもには有効な
場合があるかもしれません。

また、児童英語教室などでは、こどもはきっと遊んでいるような気分で
フォニックスの練習を楽しむかもしれません。そうすれば楽しく英語の音に
触れることができることになって、英語に対する親しみ、楽しみ、吸収が
ともに高まるかも知れません。児童英語教室などではほかの遊びも入るので、
フォニックスの空回りが見えにくい可能性もありますね。

ここまで Phonics の具体例を出さずに話を進めてしまいました。
筋が見えにくくなるといけないと考えたからです。
そのためにフォニックスを知らない人にはわかりにくかったかな。
申し訳ないです。

補う意味を込めて最後に一つだけ書いておきます。
英語はラテン語系のことばとゲルマン語系のことばが積み重なって、
入り組んでいます。その様子はちょうど日本語に和語と漢語があって、
一つの漢字に 音読み と 訓読み という複雑な読み方が存在することに
似ていると思われます。

あまりこの話題に関係なく聞こえるかな? 要するに、英語と日本語は
どちらも 綴り(文字) とその 読み(音) の間に一対一対応がないところが
似ているというわけです。

またいつかもっと詳しく書く機会があるといいのですが、それはなかなか
期待しがたい。そこで、フォニックス歓迎ばかりでは危ういという意見が
あったということだけ覚えていてくださるとうれしい。フォニックスはいいそうだ!
というのですぐに飛びつくのは、特に日本ではやめた方がよいとわたしは
思います。

流されないために・・・ 中学に入る子を持つ人に

日本の特性なのでしょうか。
何をやるにもはじめからきちっとお作法に則っていないといけない・・・

かつてトロンという日本で作られたコンピューターのオペレーティング・
システムがありました。どれほど独自なものなのだろうと期待して、
トロンを中心になって作り出した坂村健という人が監修する(?)
NHK教育テレビのコンピュータ講座を見ました。

なんとキーボードの正しい打ち方から講座が始まった!
正しい腕の曲げ方、それぞれの指がどのキーを担当するか、
asdf jkl; とゆっくり打つことから始まったのです・・・
わたしはそこですぐに見るのをやめました。

日本の常識なのでしょうか。
コンピュータ講座はブラインド・タッチを覚えることから、
習字は 永字八法から、
テニスは素振りから、自動車教習はハンドルの回し方から(もちろん車は止まっています)、
英語は ABC を覚えること、一字一字ちゃんと書けること・・・

どれもこれもおもしろくない! ワクワクしない!!
いやどれも初めての時はおもしろいのかな?
おもしろいとしても、「基礎を正しく」という考え方も一緒に
頭と心に埋め込まれます。

なんでほとんどの日本人はなんでもかんでも「道」にしてしまうので
しょうかね? いや道(どう)そのものには問題はないのかもしれませんが、
その身につけ方はいつもだれかが決めた「基本」を「正しく」身につける
ことから始まる・・・

中学校の英語も例外ではない。
さっきある人がツイートしていました。

特に細かいことばかりつつかれる1年生はつらい。
スペルを覚えるのになれるまでに時間のかかる子、
細かいところに目を届ける余裕がない子はみ~んな
どうでもいい間違いばかりで揚げ足を取られてしまう。

ここ5、6年の間に中学高校では、とてつもなく恐ろしいことが
起きています。「1年で英検3級、2年で準2級、3年で2級」といった
到達目標があって、そこへ向かって先生は(自分の評価、
給料にも関わるので)必死で子どもたちの尻を叩き続けます。

いや、ほとんど英語の先生は、子どもたちにひたすら単語暗記と
文法問題集を強制して、それだけが英語の力をつけるものだと
信じて疑いません。学校の管理側から始まったその押しつけぶりは
まるで監獄や拷問や全体主義国家の司法機関と同じです。

学校を管理しているのは文科省です。そして文科省を陰に陽に
管理しているのは財界です。だから学校で起きている非道な
行為は日本の世の中全体の向かっている方向と見事に
一致しています。

ひどくたくさんの人が「権威の奴隷」になりたがっているのです。
財界だって、お金の奴隷になりたがっている。お金の奴隷として
優秀であればあるほど、企業は儲かると信じているのです。

おっとずいぶん話が飛躍しました。中学高校大学の英語に
戻りましょう。もしみなさんが過酷な暗記、問題集、和訳などを
通した英語の先生による「残虐非道な仕打ち」の例を知っていたら、
知らせてくれませんか? 世の中全体に訴えることを
考えたいと思います。

子どもを守りたいと思ったら、「英語なんか嫌い!」と思わせたくなかったら、
学校の英語は常軌を逸していることを子どもに伝える必要があります。
常軌を逸していることを保護者自身が判断できるためには、
上記を逸していない英語(実際に世界中で使われている英語)に
触れて、使っている必要があります。多読・多聴、字幕なし多観、
Skype、twitter、facebook、ブログ、インターネット大学・・・
何でも利用して、奴隷の身を抜け出しましょう!

『日本人高校留学生たち」 カナダの学校から

簡単に「多読」と言っていいかどうかわからないので、こんな件名にしました。

カナダに来て1年半の日本人高校生は何が足りないか?
高校生で英語国に1年半滞在すれば普段の会話には困らなくなっていると思われますが、
高校レベルとはいえ普段の勉強に伴う「アカデミック・リーディング」にはどうしても
「読む力」が必要なようです。

文法問題集をたくさんやっても、実際に英語を使う環境では役に立たない場合がある--
そういう意味では「学校英語」の批判でもあります。

なお、次の締め切りに向かってアップアップなのでコメントは最少限にして、
印象的だったところを太字にしてあります。
また、ESL は English as a Second Language (英語国で移民が学ぶ英語)
EFL は English as a Foreign Language  (非英語国で外国語として学ぶ英語)
としておきます。二つの間には違いがいろいろあると言われていますが、
区別しない人も多いようです。

酒井先生へ

お久しぶりです。
現在カナダに滞在中のマサミです。

ちょっと切ない現実についてお伝えしたいと思い、メッセージを送ります。

今回のお題はこちらの『日本人高校留学生たち』です。

既にこちらでの滞在が1年半を超えた留学生たちですが、残念ながらESLでも落ちこぼれています。あまりの英語のできなさに愕然とし、色々話をしながらESLも含め彼らの過去の英語の学習などをリサーチしたところ、やはりガッポリ抜けている部分が彼らの英語力上達を妨げているのでは、と感じています。

それは簡単な本の多読です。
こちらの高校のESLの先生の部屋に行って最初に思ったことは、『こりゃダメだ』でしあ。何しろ生徒が読めるレベルの本が一冊もないのです。少しだけ本が置いてありますが、明らかに読む指導はされていない、とおもったため、先生に授業の内容を尋ねました。基本はボキャブラリーと文法指導だということ。それ以外の授業ですと、通常の英語の授業になるのでご想像の通りネイティブの子たちの受けているような英語の授業についていけるわけもありません。

仮に辞書を引きながら課題の本を読んだところでチンプンカンプンでしょう。ESLでは本を読む宿題も出されたことがなく、過去に一冊の英語の本も彼らは読んでいませんでした。

いくら習うより慣れろと言っても、日常生活で聞き、耳で覚える英語には限界がありますし、ルーティーンの会話では出てくる単語も決まっています。それと高校レベルのアカデミックな内容の英語ではあまりにも開きが大きすぎで、どうにもならないレベルで停滞していることは明らかです。

ですが、本人たちは自分たちの学習法に問題があると思ってはおらず、いずれ近い将来[ニア・ネイティブと]同じくらいの英語力になると思っているようです。(もちろんたくさん本を読めばできるようになるのですが)

方や小学校息子のESLの先生は多読が基本と言うか、多読のみです。オンラインの教材を使って子供たちは自宅で毎日各自のレベルの本をどんどん読み進めていきます。これは音声で読み上げてくれますし、読んでいる箇所がハイライトで映し出され、目で追いながら読んでいくことができます。

この教材はかなり最初のレベルからアカデミックな内容がふんだんに盛り込まれていますが、単語のレベルは極めて易しく、アカデミックな物を子供に分かりやすい、読みやすい表現で書かれています。レベルが真ん中以上になりますと、ぐっと読みごたえもあります。

各レベルが40冊、A~Zまであるのかな?とにかくかなりの量がありますし、小学校の図書室がとても充実していて、英語学習者だけでなく、地元の子供たちにもふんだんに簡単な絵本が用意されています。

この小学校の留学生、移民の子供たちは半年ほどでまったくのゼロからでも英語力は完全に日本人高校留学生を抜いていしまっています。

人はきっと年齢が低い方が吸収が早いとか思うかもしれません。もちろん小学生と高校生では求めれれるものも違うのですが、実際の英語を素直に理解する力を比べても圧倒的にこの『とにかく多読』『どんどん多読』は明らかに日常会話の英語とアカデミックな学習での言語との差を縮めています。

こちらの小学校で納得したのは、作文に関しても全く先生は間違いを指摘しません。いわゆる赤ペンで添削するようなことはなく、子どもの暗号のような文字を読み、難解な文章に丁寧にコメントを書くにとどめています。やはりこちらもどんどん書く。です。

通常の小学校4年生のカリキュラムでも軽く100ページは超えるような児童文学を(けっこう難しいです。)年に4,5冊は授業で読みますし、一日の中で少しでも隙間があると、『自由読書タイム』となっていて、子供たちがさっと本を取り出して読み始める光景に驚きました。

今日本の小学校の国語で児童文学を年間に一冊でも授業で読む学校がありますかね?

やはりどんどん読むですよ。

日本人高校留学生の子たちは小学校にもどってこの(小学校の)ESLの先生についた方が良いのではないかと思いますが、本人たちが何も問題だと思っていない以上私は手を出すことはできないので静観しています。

それにしても留学生の子たちの苦難は見ていて忍びないです。

人生の中でそれなりの年数をかけて英語を勉強した来たものの、誰一人として指導者が本を読む指導をしていない。こちらに来て、既に1年半もたっているのに、一冊の本も読めていないんですよ。そりゃそうですよね。彼らがイメージするような本は難しくて読めないから、読まない。という事ですよね。多読が良いとか悪いとかそういう事ではなくて、読みたいと思うんですよね、全く読めないのは辛いじゃないですか。

高校のESLの先生は日本の中学で勉強してきたはずの彼らがあまりにも英語が伸びないので悩んでいますが、これも難しいところ。外国人の私がバイリンガル教育の最先端のカナダの専門家に意見することなんて許されることではないので、話をしながら苦笑していましたが、先生も何が足りていないか分かっていないんだなぁ。これがこの留学生の悲劇よね。と思っています。

ワークブックで文法を勉強をする事しかしらない彼らにとっては簡単な本から始めるというような学習はきっと思いつかないのだと思います。

それにしても息子の小学校の先生はすごいですね。
ここの学校はちゃんと図書室に司書の先生もいて、読書活動が盛んなのを感じることができます。

簡単な本をたくさん
好きなものをたくさん
面白いものをたくさん
興味のあるものをたくさん

それ以外はないとこの学校の司書もESLの先生も言います。
(何を質問しても『好きな物どんどん読んで♪』しか言われません)
素直に物を考えればそうなるのに、日本でもカナダでもまともな言語指導をされていない留学生を見ているのは本当に切ないです。

そっちょくな感想です。

日本の指導者は
ESLとEFLは違うし、
ましてや英語圏の子供たちとはまるで違う。

と言いますが、

前からずーーーーーと違和感がありました。

そんなことないです。
全部一緒です。

音声が、単語が、文法がとか色々言われますが、どこまで行っても、まずは英語そのものを理解するだけの量を体が消化してからの話です。環境や個人差でかかる時間は違うでしょうが、プロセスは大人も子供もネイテティブもEFLも一緒です。

もうここまでいろんなケースを見ると確信します。

作文をまったく添削しないで、子どもの読みにくい文字を読んで、感想を書く--
これでなきゃいけませんね。

最後は太字にするのに力が入ってしまいました。
まだまだマサミさんが書いていることを日本の英語の先生に納得してもらうには時間が
かかることでしょう。いや、ごく一部しか納得してもらえないかもしれませんが、
その一部の先生のためにがんばります。

おっと、マサミさんにはカナダのESLの先生を説得してほしいですね。ぜひ!

それにしてもあちこちから寄せられるメールやメッセージだけで、ブログの材料は十分ですね。
それもまた、すごいことだ!