こういうやりとりをみなさんとフツーにできることがうれしい・・・
今回は数字を疑うというなら、bitesize の 1語から2語、3語、というのも疑うのか? という
疑いのメールです。
もちろんです。もちろん疑ってください。
こんばんは。
ブログ「数字を疑う」を読みました。「語数」や「YL」が疑うものとして語られているように、いずれは「bitesize」も疑うものとなるのでしょうか?「2語、3語、4語のことばで話しましょう、書きましょう」は疑うものとなるのでしょうか?どなたかが「よく使われていることばをそのまま使うだけ」と思っていることにたいして酒井さんは、「それでいいです」と答えていますよね。そうすると誰のための「bitesize」なのか。その誰以外の人にはまったく無縁の話なのか。また「語数」や「YL」は「補助輪」ということも(このような例えは以前からありましたね)ブログで触れていますが、そうすると「bitesize」は語数の型にはめるのだからさしづめ「大リーグボール養成ギブス」となるのでしょうか?その型から逆に抜け出せなくて自分の気持ちをその人らしくことばにできないなんていうことはないのかな?数字の取り扱いを疑ってみました。
「よく使われていることばをそのまま使うだけ」はまったくその通りで、
わたしの考えではだれについても通用すること、いや、ことばはそういうものだ、と思いますが、
bitesize の細かい点についてはおいおい話題にしましょう。
わたしは多読を言い始めた最初のころから、「信じてください」と言ったり書いたりしたことは
一度もないです。わたしはいつもこれは「作業仮説」つまり、「いちおうこういうことがある程度
だれについても通用するとして、その先を考えてみましょう」ということで通してきました。
だから、信じるとか信じないとかいう話ではそもそもないのですね。
「みなさん、こんな風に考えることができそうだから一緒に考えてください」という提案でした。
Tadoku三原則 にしても 時々ですが (仮) としているのは、本当に 仮説 であって、
まだまだ変更がいくらでもありえるからです。きのこさんの「間違えることは学習者の特権」(?)
という発言もありました。また、わたしのTadoku三原則とはまったく違う形の提案も
あります。(そのうち紹介するはずです。)それどころか S さんの 「Tadoku三原則は
いらないと思います」という意見も紹介しました。
bitesize などは中でも眉に唾つけて疑わなきゃいけません。
なにしろわたしは娘に「うそつきとうさん」と言われた大法螺吹きなのだから。