もう何ヶ月もこればっかり考えています。(ほかのことを考えていない時は・・・!)
わたしは本当に自分の言っていることを自分では実行していない。
つい最近まで多読していなかったことを初めとして、
みなさんに「こうするといいですよ、ああするといいですよ」と勧めていることで
わたし自身がやっていることはほとんどない!
で、「音は落ちる」もその一つ・・・
もう何ヶ月もこればっかり考えています。(ほかのことを考えていない時は・・・!)
わたしは本当に自分の言っていることを自分では実行していない。
つい最近まで多読していなかったことを初めとして、
みなさんに「こうするといいですよ、ああするといいですよ」と勧めていることで
わたし自身がやっていることはほとんどない!
で、「音は落ちる」もその一つ・・・
Bitesize の議論の仕方そのものについて疑問が呈されました。
なるほど、です。どうして今までのような議論になっているのか、
考えました・・
こうして意見をもらえることはとてもうれしい!
Twitter でも意見をもらっています。それは明日紹介します。
まず S さん・・・
私は「標語」というのにも抵抗を感じます…
そもそも、なぜ bitesize writing / speaking なのかといえば、それが「普通の文」だからということですよね。それならば、bitesize という言葉を持ち出さなくても、NPOの講座で繰り返し使っていた「真似する・借りる・盗む」を実践していれば、自ずと bitesize であり、「普通の文」ということですよね?
「真似する・借りる・盗む」はわかりやすいのではないかと思います。
2週間前でしたか、NPO多言語多読の講座を卒業した人たちが「たどくらぶ」という
サークルを作って、活動を始めたと書きました。
外国語を勉強して何をするのか--これは不思議にこれまで大きく意識されることは
なかったのではないでしょうか? 勉強は生涯続けるものだとばかり、
地道にコツコツ、継続は力なり、というのがこれまでの外国語学習で、
そこに試験が加わって、いよいよ外国語は勉強するものであって、
何かに使うものとは思われてこなかった。
NPO多言語多読の講座は違います。実際に仕事で使ったり、通訳ガイドや
翻訳を始めた人も出てきた。その一方で、もう一度NPOの講座を受け直す人たちも!
Bitesize を新しいTadoku三原則(仮)の一つに入れることは断念しましたが、
わたしのTadoku研究の中の Bitesize 探求は終わっておりません!
わたしはいまたどくらぶでも宣言したように(仮)フォーラム参照!)、
海外ドラマでシャドーイングしながら、英語で講演する時に、
より聞きやすい話し方を目指しています。
そこで気づいたこと--わたしは自分で言ってきたことをまったくできていない!
つまり、みなさんに音を落としましょう、消しましょうと言ってきたけれど、
自分ではできていない、だからごく簡単な一口サイズをシャドーイングすることも
なかなかできていない!
それだけです、今晩は・・・