Bitesize の議論の仕方そのものについて疑問が呈されました。
なるほど、です。どうして今までのような議論になっているのか、
考えました・・
まず肚裡さんの疑問から・・・
こんにちは。
「一息サイズ」に言い換えると、SさんのBitesize Book Talk はどう説明するのでしょうか?ご飯に例えれば、Sさんのやっていることは「自分で消化することができる分量のご飯(ことば)をひとつまみして」口から発しているわけですよね。ここで酒井さんがSさんに求めているのは、「自分で咀嚼して発することができる分量の取得の仕方」の問題ですよね。一方で酒井さんが最近試みているのが「一息サイズ」なのでしょうけど。
なるほど。わたしなりに肚裡さんの表現を解釈すると、
一口サイズを呑み込んで、一息サイズで口から出す、と。
つまりOwlyさんの意見から始まって、Bitesizeの両面が明らかに
なった--
結局それなら bitesize で統一すればいいように思えますが、
それでは初めての人にはまったくなんだかわからない!
Bitesizeを前面に出すのは控えた方がよさそうですね。
研究としてはbitesizeを単位にことばの獲得を考えるということで
いいと思うんですが、Tadoku普及のためにはどう訴えるか?
「データや情報」があって、その問題点などを見つけ、「何かの方程式」を使い、「答え」を出す、のだとすれば。
今やっていることは、まず、答えは「一息サイズ」です、と答えの議論ばかりしていて、肝心の前二つが少しなおざりにされてないですか?(全部ブログをみているわけではないし、それこそ「多読」の時よりみんな違って色々なところへ一本?よりどころとしての「寄り合い所(迷ったらそこへ行くみたいな)」のような原則を作ろうとしているのですよね。違うのかな?)肚裡
肚裡さんのこの指摘も鋭いですね。
わたしの直感で、人間は bitesize を単位にことばを獲得する
と考えたのですが、そこに至るデータやデータを処理する「式」
はわたしの頭の中にしかない。それが直感ということかな?
データについてはいろいろ集め方を考えていますが、
鶏と卵の関係で、bitesize がはっきりするとデータが集まる、
データが集まらないと bitesize がはっきりしない、というような
関係になっています。
もうちょっと考えさせてください。
その間、ぜひみなさんの意見や疑問を寄せてください!