ディクテーションは無駄、発音練習も不可能と書きましたが、
先日の特別セミナー「多読的シャドーイング入門」で、
消音練習ということを思いつきました。
いったい何、それ?
ディクテーションは無駄、発音練習も不可能と書きましたが、
先日の特別セミナー「多読的シャドーイング入門」で、
消音練習ということを思いつきました。
いったい何、それ?
一つ前の記事で三人目の「ある人」のメッセージを引用しました。
その中の次の部分:
それに、絵本のBitesize Writingだと、樽に溜まっていなくても今すぐに
始められてとてもいい方法だと思います。
ぼくの感想を書くのを忘れた、と思ったら、ちょうどその部分について、
一人目の「ある人」からメールが来ました・・・
発音練習は無意味です。
わたしは中学校1年のころから20年も30年も毎日何時間も
発音練習をやっていました。
わたし以上に熱心に発音練習をやった人には会ったことがありません。
で、その結果にまったく満足していません。
あるときわたしは教え子と米国人の友人といっしょに話していたときに、
「酒井さんの英語はわかるんだけなあ」と言われて、愕然としました。
何か違うんでしょう。何が違うかはいまも研究中ですが、
研究なんかしなくても英語独特の音を聞いて話せる道があります。
それがシャドーイングです。おとなの歴とした日本人が、短時間で、
日本語らしい音から英語らしい音へ飛躍するにはいまのところ
シャドーイング以外には見当たりません。
それでも辞書信仰や文法信仰とならんで、発音練習信仰もただ反対を
唱えてなくなるわけがありません。無意味な理由をもう一つ、
実例とともにお話ししましょう・・・
「ディクテーションに続いて、なんてことを言い出すのか?!」
「発音練習は英語学習の必須項目だろう!」
「カタカナ英語のままでいいのか!?」
まあ、普通そう思いますよね。
でも、わたしが多読を言い出したときも、
「辞書を使うな、なんて、非人道的だ!」
「文法を知らずに英語が読めるわけがない」
非難の嵐でした。
音についても非難の嵐を起こさなければ(起こすくらい衝撃がなければ)、
世の中のカタカナ英語や学校英語式の音はなくならない・・・
Aiさんは山形県天童市で児童英語教室を主宰しています。
わたしの知るかぎりいちばん若い先生ですね。
実はこれまでにも何度もわたしのブログに登場しているので、
名前を出すことをゆるしてもらいました。ありがとう!
きのうの記事の「ある人」にAiさんは共感してしまいました・・・