学校英語を洗い流すために It は 「それ」 ではないのです・・・

この It  にはメールが1通しか来ませんでした。

乱暴かもしれませんが、「it = それ」という学校英語による刷り込みはかなり強いの
かもしれない、という判断をしました。

で、it についての学校英語の問題は非常に大きいので、長くて理屈っぽい話に
なります。そこで、きょうはわたしの考えの骨子だけをできるだけ短く書きます。
もしそれでみなさんの興味を惹いたら、メールをください。その上でわたしは
もう一度いろいろ考えて、この話題の続きでお返事します。

さて、届いた1通のメールは独眼龍さんから・・・

asとかtheとかitとか言われてみて、いかに自分が深く考えない
タイプなのかを痛感しました。だって、どれも聞かれるまでは
特に考えず、平和に過ごしていましたから。

どうなんでしょうね、こういう話題で連載を続けるというのは・・・?

わたしとしては「学校英語の間違いを指摘する」ことが目的ではなくて、
(学校英語は間違っていないことを探すのが大変なくらいなので、
それはどうでもいい・・・)
わたしの目的はわたしたちの頭の中に巣食う学校英語に気づいてもらって、
みなさんができるだけ学校英語から離れる決意をしてほしいと
期待しているわけですね。

深く考えて、正解をメールしてください、という趣旨ではないのですが、
独眼龍さんのとらえ方はわたしとほぼ同じように思われます・・・

さて、it。

少なくとも「あれ」「それ」「これ」の「それ」ではない。まぁ、
こういう説明は聞いたことないので、改めて言うまでもないか。

itは、話題に加わっているみんなが、なんとなく知っている
つもりになっているもの、でもちょっと得体のしれない感の
あるものを、これまたなんとなく指し示す代名詞でいいんじゃ
ないかなぁ。

そうそう! だから スティーブン・キングのきわめて大部なホラー小説
の書名 IT の恐ろしさはまさにそこから来るわけですね。
簡単にして要を得た書名ですね。けれどもくわしくはあとで・・・

だから、it is fineなんて、天気の時に使えるし、単にitと
書かれると不安になる、分かったつもりになっているけど
大丈夫なんだろうかと。

逆に、分かったつもりになって、仮主語とか仮目的語の
it(でしたっけ?)は、気楽にやり過ごせる。

友人の犬を、itで受けると失礼をした感じになるのも
おんなじかな?分かったつもりってことは、分かってないの
ですし、得体の知れない感がありますからね。

こんなもんでいいんじゃないかなぁ?

どうでしょう? 酒井センセー
少なくとも私はこれで平和です。

はい、それでいいんじゃないでしょうか?
「it = それ」を抜け出していれば、別にここから先のことはどうでもいいですね。
でも、「it = それ でどうして具合が悪いんだろう?」と思った人はぜひ
ここからあとで手際よく説明するので、もう一度「学校英語のしつこさ」に思いを
至らせてくださいますよう。

学校で教えられる、また英和辞典でも前提にしているように追われる
対応関係を図にするとこんな具合になります。

this***** これ
it *****  それ
that **** あれ

これは慣れ親しんだ対応だと思います。
そしてこの対応に最大の疑問があります。

おそらくほとんどの人はこれ以外には何があるのか、思いつかないこと
でしょう。ごくわずかな人たちは天気を表す it や、仮主語、仮目的語 it や、
かくれんぼなどの鬼を it と呼ぶ、なんていうことを思い浮かべたかもしれません。
けれどもまあ、そういう「用法」は it にまつわる最大の誤解の延長上にあるので、
とりあえず話題にしないことにしましょう。

最大の誤解は 英語は 何かを指すときに 2種類にしか分けないのに、
日本語では何かを指すときに、3種類に分けるという違いがはっきり意識されて
いないこと、最大の問題はそれがほとんど教えられていないらしいことです。
(「暗黙の内にはっきり」でもいいのですが、それももちろんない。)

実際にあるもの、あることを指す場合を図で示すと・・・

英語の区別
this

that

(this や that や 状況 から指しているものやことが分かる場合) it

日本語の区別
これ
それ
あれ

となります。

it はなんらかの理由で情報の受け手に何のことかわかるものを指します。
ほら! そこが前回のお題 the とよく似ていませんか?

そこからスティーブン・キングの IT のこわさが出てくるのですね。
なんのことかわからないのに、「ほら、あれだよ、あれ」 と呼ばれ、
名前を直接言いにくい「あれ」 に当たるでしょうか? いや、これは
よくない横道ですね。「じゃあ、it は あれ ですか?」という誤解を呼ぶ・・・

this や that は 実際にあるものやこと を指すのに対して、
it は話の流れの中や話している状況から 「相手に分かるものやこと」を
指すのですね。具体的にものやことを直接指すのではなく、すでに話題になった
ので、話の中に出てきたものやことを指す。

さて、分かりにくくなってきました。ここからはみなさんの質問を受けてから
わたしの考えてきた範囲で説明を試みることにしましょう。

で、学校英語の問題点をもう一度整理して、洗い流す一助としてもらいます。

日本の英語教育では日英の「ものごとの指し方」の違いにまったく気がついていないか、
気がついていても「it = それ」と対応させることの危険を少しも意識していないかの
どちらかです。

具体的な害としては、たとえば話し相手が持っているものを日本語で
「それ何ですか?」
とたずねるとします。

今のままの誤解からは、What is it? とたずねることになります。

けれども、ここは絵本を見ればすぐにわかりますが、 子ども同士なら
What’s that? と言いながら指さすことになるでしょうね。
実際そのことを指摘してくれた多読仲間がいます。
その部分に付箋をつけた絵本も預かっています。
(写真に撮って公開してはいけないんだろうなあ・・・)

大人同士の会話なら 二人の距離感によって、指ささずに、
May I ask what you have in your hand? とか、
What’s that in your hand? What’s that you got there? なんて
たずねることになりそうですね。もちろんほかにもさまざまなたずね方が
あると思いますが、問題は日本語では「それ」で指しているもの・ことを
英語では that で指していることでしょう。

た だ し (!)、わたしが言いたいのは、「覚えた学校英語のまま話したり、
書いたりすると、間違えますよ。it の場合もそうだから気をつけましょう!」
などと言っているわけではありませんからね!

そうではなくて、学校で、塾で、通信添削で 「it = それ」などと教えずに、
字のない絵本をたくさん楽しんで、場面といっしょにことばを吸収すれば、
そんな「間違い」はそもそも起きなかった、ということを言いたいのですが、
分かっていただけるでしょうか?

間違いを指摘しているのではなくて、
間違いは避けることができる身につけ方があったのに!  と指摘しているのです。
要するに日本語を通して理解しようとするから具合の悪いことになるのですね。
最初から 「訳せと言われたらできないけれど、わかります」という吸収の仕方に
すればいいのです。

学校英語は実に無駄な遠回りをさせます。そして、ちらりとでも触れてしまうと、
なかなか抜け出せない・・・ 「the = その」もそうだし、「it = それ」などは
しつこさの典型と言えるでしょうね。

最後に一言、it は それ ではないように、 this は これ ではないし、
that は あれ ではありません。

けれども、英語がどういう風に心理的物理的空間を二つに分けるか、
日本語はどういう風に心理的物理的空間を分かるかについてはまだまだ
いろいろ議論があると思われます。わたしはそうした数々の説に精通している
わけではないので、日本の英語教育で教えられる通りに覚えていると
裏切られることがあるということだけ、強調しておきます。

意見や感想や疑問があればぜひ info あとまく  tadoku.org まで!

次回は ちょっと目先を変えて、音の話にしましょう。

differently をどう「発音」していますか?
あなたの場合、t ははっきり聞こえていますか?
という話題です。こちらについても どうぞ、メールを!

なんで英語やらなきゃいけないの? OreRyuTSJさんのブログから

OreRyuTSJさんのブログでこの疑問が話題になっていて、はたと、
わたしは大事な話題なのに一度もどこでも、書いたことも
話したこともないことに気がつきました。

OreRyuTSJさんのツイッターによると、茂木健一郎さんは
Because it’s there. と答えたそうです。

「なぜエヴェレスト(当時の名前)に登るのか?」と問われて、
最初の登頂者ヒラリー卿がまったく同じ返答をしたということです。
「なぜならそこに山があるからだ」--素晴らしい答ですが、
そのまま英語を勉強することに援用していいものか?

英語は各国語の中で世界最高峰ではないし、
登ること自体に価値を認めるなら
英語でなくてもいい。
そうすると茂木健一郎さんの答はいわば「はぐらかし」
でしょうね。

しかし、正面から答えることはできそうもないと見切ってはぐらかした点は
多少とも評価できます。 正面から答えたように見えて、実は答えていない
例は少なくないからです。正面から答えたように見えるものには
アメ版とムチ版がありそうに思います。

ムチ版はもちろん
「そんなこと聞いてるヒマがあったら勉強しろ! 大学入試科目だぞ!」
(「大学入試」のところは、中間試験でも、期末試験でも、TOEICでもTOEFLでも、
英検でも同じです。)

アメ版は、少し巧妙ですが、ムチ版がお面を被っただけです。いわく、
英語をやれば世界が広がる、海外旅行で不自由しない、会社でよい
評価をされる、回りの人に尊敬される・・・ もちろん「大学入試に効く」
というのもありますが、これはほとんどムチ版と変わりませんね・・・

「佐藤くん、その疑問は大事だね。でも、大事すぎて答が出るには時間が
かかる。今はもう入試が迫っているから、とにかく勉強がんばろう。
その疑問は大学に入ってからいくらでも考える時間はあるよ」

・・・これをおためごかしと言わずしてなんと言おう。
結局、「そんなこと聞いてるヒマがあったら・・・」の先生と何も変わりません。
やさしそうな分、また思いやりのありそうな分、鳥肌が立ちます。

茂木さんから、ムチ版、アメ版まで、要するに「面倒な質問するなよ、
参ったなあ。それ言っちゃおしまいだろ」という点で一致しているように
わたしは思います。

じゃ、さかいさんはどう答えるんだ? 正面から答えるしかないでしょうね。
「やりたくなければやらなくていいよ」と言うしかないと思います。

実際わたしの授業で「出席だけで成績をつけます」と講義要綱(授業の説明)に
書いたのはまさにそういうことですね。それに授業ではわたしは
「多読第四原則」を公言しています。四番目は「回りの人の読書を邪魔しない
かぎり何をしてもいい」--寝ててもいいし(いびきはちょっと困る・・・)、
スマホでゲームをやってもいいし、日本語の本を読んでもいいし、
ほかの科目のレポートを書いてもいい。外に出てたばこを吸ってくる人も
いましたが、別にかまわない。やりたくなければやらなくても出席していれば
単位は取れたわけです。そもそもわたし自身、教室を出て、研究室でコーヒーを
淹れて戻ってきて教室で飲んでいたことも一再ならず・・・

そしてわたしは1年間の授業のどこかで、「君たち、今多読をやらなくたって
いいんだよ。2歳半から80歳までいつでも始められるんだから、
外国語を身につけたいと自分から思ったときに始めればいい」と言っていました。

一人一人の気持ちに任せればいいのです。

わたしはだれでも放っておけば自分で生きようとすると思います。
死ぬのはいやだし、生きていれば何かおもしろいことがあるかもしれない・・・
だから、死なないために、生きるために、必要な知恵や知識や技は
自分から手に入れようとします。(これはたくさんの子どもを見てきての結論です。)

こどもがそうしないとしたら、それは大人が「生きよう」とさせないからです。
大人が自分の思う方向へ子どもを引っ張ろうとするから、子どもは(あ、大人も)
自分で生きようとしないで、大人任せにしたり、大人をごまかすことに知恵を絞って
好きなことをする余裕がなくなるのです。

しかし、「やりたいときが来たらやればいい」というのはわたしの正面切った
答ですが、それを補助する「策略」もありました。自分が英語を使って
いる姿を見せることです。自分の好きな本の話、絵本の話、映画の話、
ドラマの話、外国に行った時の大失敗の話、それから毎年必ず1回は
親しいアメリカ人の先生に「ふいに」教室に入ってきてもらって、
small talk (世間話みたいなもの)を学生の前で 「何気なく」やりました。
学生は聞いてない振りして耳をそばだててしたはずです。そして、英語を
使うということはこういうことかと気がついたはずです。それに、時には
英語を使って仕事をしている人に来てもらって多読と仕事の広がりのことを
話してもらいました。すべて、英語を使うということがどういう楽しみにつながるか、
それを実見してもらうためでした。

もう一つ、この質問は当然のことながら、

  「なんで勉強しなきゃいけないの?」

に直接つながります。

だれであれ、こちらも一緒に答えるつもりがないと、浮ついた答になるでしょう。

(わたしの答はもちろん 「やりたいときにやればいいんだよ」 です。
わたしはこどもを小学校に入れたくなかった。子どもたちと一緒に過ごす時間が
確保できるようなら、行かせなかった。日本では「義務教育」といって、
無理矢理行かされるわけですね。家庭で「教育」することを認めている国が
うらやましい。)

(それで思い出しました。28年前、長男が生まれた時に、大学の事務に行って
「1年間の育児休暇をもらいたい」と言ったら、鼻で笑われたのでした。)

(おー、どんどん思い出してきた! そのころからわたしは子どもを学校に
行かせたくなくて、ある人にそう言ったら、「でも集団行動を学ばなきゃいけない
じゃないですか!」という反論が返ってきた。そんなもん、学ばなくていい! と
わたしは反論しました。)

(思い出の最後・・・ そんな調子だからわたしは大学でいろいろ敵を作って
しまったらしく、学内事情にくわしいある先生は「さかいさんの味方は学長だけ
だね。」と言いました。梶谷さんには「学長裁量経費」から多読関係の予算を
いろいろいただきました。もっともその後、H教授も「味方」と判明。
Hさんが味方してくれなかったら、退職後に「だれでも多読サークル」を
1年間延長することはできなかった!

Hさんの再開多読サークル冒頭の挨拶がおかしかった!
なんと「ここにいる酒井さんは外れ者です」で始まった・・・)

(思い出ではないです・・・ 外れ者になることなんて、たいして勇気はいりません。
幸いどんな組織にも穴や隙間があるので、それを見つけて入り込めば、
結構好き勝手できます。外れ者と呼ばれるかもしれませんが、それが平気なら
外れ者はいいことばかりです。H教授も、さかいさんは幸せかもしれないと言ってました。)

学校英語を洗い流すために 間者猫さんのブログから・・・

【雑記】belongは”所属する”ではない一例。

酒井先生のブログで”belong”が紹介されておりましたが、
今読んでいる”The Lock Artist”で出てきましたので紹介を。

16章の最後のところです。

Lucy was saying something to me.
I leaned in closer to hear it.
“You’re one of us now,” she said, her lips touching my ear.
“You belong to us.”

You belong to us…

これはもう、belong 冥利に尽きる(?)というか、こんなことを
好きな女の子に耳元で囁かれたら、たまりませんね。
「いいですよ、どこまでもついていきます!」って、尻尾をふってしまうでしょう。

でも、この物語 The Lock Artist では、この one of us からとんでもない展開があり、
それでも Lucy のことはひとときも忘れないのですが・・・

間者猫さん、ありがとう! 元の記事は・・・

http://kanjanekotadokist.blog39.fc2.com/

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学校英語を洗い流すために ザ篇

まずいただいたメールから・・・

え? 「the」が…日本語の…「その」??
そんなこと考えたことなかったので、「追補」というのをみて、
まったくわけがわからなくなってしまいました。まいったなあ。

強者ですねえ・・・ 普通(って、何だ?って話ではありますが) the といえば 「その」でしょう!
「そんなこと考えたことなかった」という人は少ないと思うなあ・・・

(学校英語の影響を見事に抜け出ているのかな? だとすればおめでたい!)

英和辞典にはおそらく 「その」と最初に訳語(!)が挙げてあって、
それから説明として「特定の、既述の」とか書いてあるはず--それが「普通」ってもんです。

もっとも the を辞書で引いたことがある人はまずいないでしょうね。
学校で 「その」と習っているから。そして何度も繰り返されるから、普通はもう自動的に
「その」だと思っていて、辞書なんか引くわけがない。

the を辞書で引く人っていうのは相当な英語ヲタクで、ひょっとすると文法書なんぞも
調べて「特定の、既述の」というような説明を覚えているかもしれない。
「最初に出てきた時は a で、二度目は the を使う」なんていう説明も覚えているかも!

でも、「その」で済ませていいのか? 「特定の、既述の」は当たっているのか?
そういう学校英語の理解に害はないのか?
害があるとして、実際の英語に触れたり、多読・tadoku・多視聴したりして害が薄まるのは
いつなのだろう?

「学校英語を洗い流すために」という話題はそういう方向の関心なのであります。

酒井先生、こんばんは!

ブログを読み、書いてみたくなったので書きました。
思いつくままなので、読みづらいかもしれません。
またこれが、あってるとか、あってないとかは(正解不正解は)どうでもいいです。
そんな感じで、よかったら聞いてください。

まず思うのは、the には仲間がいると思ってます。
some だったり。(ちなみに any は a の仲間)
あとは you, he, she, we, they なども、the の仲間だと思ってます。

↑ ここは非常に鋭いと思いますね。この人が多読を始める前にほぼゼロの知識から
始めたことを考えると、辞書を引かない、文法を学習しないことがどれほどの
「洞察」をもたらすか、毎度のことながら天地がひっくり返る思いがします。

(なお、any は a の仲間、というのも非常に鋭いなあ・・・
ただし、some が the の仲間ということはわたしにはよくわかりません。
わたしの理解がついていけてないのです。)

どこが仲間なのよ?と言いますと。
これらの言葉が持っている距離感というか、そういうものが同じように感じます。

たとえば自分がいて、その自分を取り巻く空間があるとします(パーソナルスペースみたいな)。
その空間において、自分が(自分たちが)、認識しているもの?関知?既知?共有?しているときにこれらを使うんじゃないかなあ。たぶん。きっと。
(逆にそこから離れてしまうと、 a だったり any の範囲になるのだと思います)

これも非常に鋭いとわたしは思います、いまの段階では(わたしの意見なんて、
いつ変わるか分かったもんじゃない!)。

あとで書きますが、特に「自分が(自分たちが)認識しているもの」というところは、
わたしが学校英語に触れ始めて20年くらいかかってやっと得た理解と同じです。

ほんとに英和辞典や文法はやらない方がいい、世界中にこのことを伝えて下さい!

そして英語という言葉において(あるいは英語が母語の人において)、
この、「自分がいて(自分が在って)」という感覚ってすごく原点(コア?)な気がしています。
だからわざわざ the なんて言葉が出来たんじゃないかなあ。
なんだか適当なことばっかりの大風呂敷ですみません。でもそんな感じです。

ニュアンスくらいは伝わるでしょうか。ダメかな?
でも言いたかった気持ちは満足できました(笑)。

そして、英語ということばでは「自分がいて」という感覚が原点、というのも、
今のわたしにはその通りだと思います。このことは以前の「町の名前をひとつ」でも
ぜひ書きたかった「直接話法と中間話法と間接話法」なんていう話題にそのまま
通じると思います。

そういう風に、ことばの仕組みのある部分(たとえば the の役割)は、
話法なんていう話題にも通じていて、ある部分だけを話題にすることはできないのでは
ないか? これはわたしの何年来のテーマであります。
それはちょうど、一語を採り上げて意味や役割を論じることが意味がないのと似ているのではないか?

いくらでも長くなるので、続いて独眼龍さん・・・

酒井センセー、こんにちは

今度は the ですか。

これは、1~2度、酒井センセーの説明を聞いた気もするけれど、
腑に落ちなかったのか、記憶力がないのか、覚えていません。

これが分かるようになれば達人でしょ、と思っているくらいで
ほぼ何も書けないのですが。

という長い言い訳の後に、短く、現在の私の“とりあえず平和に過ごす
ための理解”を書いておきます。

the は、(つづく単語に)とりあえず一目おけよ、というマーク。

もう一度説明したんだから、とか
この後説明するから、とか、
常識として知っているべきなんだから、とか、
一般化してるんだから、そんじょそこらの1つと一緒にするなよ、とか。

たから、theが出てくると、一応構えて、なんで一目置かなきゃいけないのかな~?と
読み進めるって感じ。まぁ、theなんてたくさん出てくるから、そんなに大げさな
ものじゃないけれど。

やっぱり、難しいです。
が、現状はこれでやり過ごしている 独眼龍でした

「なんで一目置かなきゃいけないのか」--そこが最大の問題でしょうね、思うに。

たしかに the は 「とりあえず一目おけよというマーク」だと思われます。
マークといって分かりにくければ、宅急便の包みにぺたっと貼ってある
「割れもの注意」 なんていうラベルですね。

次のAKさんは as についても書いてくれたのだけれど、
そこはこの話題では省いてしまいます。ごめんね。
(でも、as をネットワークの矢印とは考えたけど、時間は考えなかった
というところなるほど、と思った>AKさん)

theについて。
これはもっと言葉で説明ができない。(^^;
とにかくtheがついたら、それは
“誰かにとって有名なもの”なんだと思ってます!
誰かっていうのは著者か話し手あたりかな。。。
その誰かの頭の中では、theのついた物体が思い浮かんでて、
「知らないの、これ?」と言わんばかりの気持ちが入ってると
私は勝手に解釈してます。(笑)

わたしの理解、最初のメールの主の理解と似ている気がしますね。
「知らないの、これ?」と言わんばかりの気持ちっていうところは
独眼龍さんのマーク論とおなじでしょうね。

そうだとわたしも考えています。 the はマーク、ラベル、標識なのですね。

じゃあどういう標識かというと、

 「この the のついたものはあなたが指させるものです」

という ラベル・標識・マーク なのですね。あ、最近はフラッグというのかな?

つまり、情報の送り手から受け手に 「これ、あなたは知ってるものだからね!」と
注意を促しているわけです。

最初のメールの主が書いているように、a は 「指させない」のです。
the apple はそれを聞いた人、読んだ人が「ああ、あれのことね」と
「指さす」ことができますが、
an apple は 「指さす」ことのできない「いわゆるひとつの apple 」つまり
そこらにある apple の 「どれでもいい」 わけで、そこから

the の役割を「その」にしてしまうと、ほとんどの場合に意味が通じなくなります。

そこで英和辞典にも 「普通は訳さないことが多い」なんて書いてあったりする。

でもね! the は英語でいちばんよく使われる語なんですよ!!
エドガー・アラン・ポー の 「黄金虫」 だって、暗号を解く最初の語は
the だったんだから!

英語でいちばん大事な語といったって、いいかもしれない!
それを「普通は訳さないことが多い」なんて、辞書の役割を放棄しているとしか
思えない! (いや、放棄しているのではなくて、それでは不足だということを
知らないくらい辞書制作者は無知なのですけどね。)

the の果たす役割を誤解した上で 英文解釈 だとか、 読解 だとか、
そりゃ、ないでしょ・・・!

さて 、今回のお題では、「学校英語のしつこさ(katobushiさんのことば)」がかなり
典型的に出たと思います。なにしろわたしは一生懸命お勉強をして、それでも
the の役割が少し分ってくるまでに30年以上かかったと思う。

次は the ついでに、 it ! どうだ!!

it は 「それ」 ですか?

そう思う人も、思わない人も、メールをください。宛先は info あっとまあく tadoku.org です。

では、お便りを待っています!!