What color is an apple? 南ドイツの旅から・・・

ミュンヘンのスーパーではいきなり赤いリンゴばかり・・・
やっぱり「リンゴは赤い」ではないか! 大敗北か?

スーパーです。

でも、引き続き I kept my eyes open. すると・・・

apfel

おお、これで少し持ち直した!
最後に10日間お世話になったお宅の雪姫が気に入ったリンゴの写真を・・・

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最後にもう一度書いておきますが、わたしはリンゴは「本当は青いのだ!」
などと言いたいのではありません。「リンゴは赤い」という「常識」を疑ってみよう、
ということですね。

(「単語の暗記」や「文法学習」という「常識」、さらにはわたしたちを
流していく「常識」全般の見直しにつなげたいと考えています。)

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で、きょうの昼に帰ってきました。
今は眠い・・・!
そこで、簡単なメモだけ・・・

* ビールはやっぱりうまかった
すっきりしていて味がいい! 5種類飲みました。いずれもよい!
日本のビールはホップを利かせた苦い味がほとんどだけれども、
何種類も何種類もある! Helles という軽めのビールもよいし、
Dunkel という濃いめのもよい! そしてRauchbier という燻製ビールが
またいい! それにWeiss1というのもよかったなあ!

そこで思ったのはわたしの場合、日本のビールは二口目からは
味は関係なくてのどごしで飲む。今回飲んだビールはずっと味で飲んだ。

* オクトーバー フェストに行った
すごいお祭りです。ひたすら圧倒されました。
たくさん飲めたらどんなに楽しいか!
飲めない体質で、残念・・・

でも、蚤のサーカスを見た!!
こちらは観客10人ちょっとかな。こぢんまりしてましたが、
見て良かった! みなさんも機会があったらどうぞ!
それ以上はネタバレみたいになるので、やめときます。
とにかく一見の価値あり。語りぐさです。
(見た人同士でないと語り合えないけれど・・・)

* ドイツ料理を見直した!
30年前の旅行では安いところしか入らなかったので、
うまくなかったのですね。今回は
ミュンヘン駐在の友だち夫妻のおかげ 2年間の失敗の成果を
基に勧めてくれた店で食べました。すべて大当たり。

特に感心したのは、大きな店がちゃんとした料理を出す。
大きいから、たくさん人が入るからといって( Hofbrau Haus は3500人も
入れるし、大変な観光名所)、手を抜かない!

知りたい人にはどこの何がおいしかったか教えます。メールをください。
しかし個人的にはクヌーデルは避けるべきだと思います。
Knödel – Wikipedia, the free encyclopedia

* Sir と言われることが多くなった。
昨年の旅行でもちらっと感じましたが、今回はかなり頻繁!
客商売の人たちに a venerable old man と見られるようになった
ということですね、中身はともかく・・・

* 初めて、飛行機で少し眠れた。でも3時間くらいですね。

* 飛行機の中に謎のイタリア人集団がいた。
よくしゃべる! 井戸端会議のよう!

では、今晩は、お休みなさい・・・

学校英語を洗い流す 成田空港から

ミュンヘンの友だちの家に泊まりに行きます。新宿から「成田エクスプレス」という電車に乗りました。

すると東京駅で停車中にこんな掲示が出ました。  Now stopping at Tokyo   さて、これは英語としてはおかしいのですが、なぜおかしいのかわかるでしょうか?  学校英語が頭に残っていると、すぐにピンと来ないかも?!  それが学校英語、一対一対応訳のしつこさですね。  どう変かは、帰ってからゆっくり書きます。それまで、いろいろ考えておいてください!  メール大歓迎です。帰ってから読むことになりますが。

シャドーイングに徹する I さんのまとめ

「旧町の名前をひとつ」で、電通大の卒業生 I さんのすさまじいシャドーイングについて報告しました。

今回はI さんによるまとめです。

2013年9月 5日
シャドーイングのまとめ

筆者のシャドーイングレベルは、英語の音はほとんど聞こえているが、
意味の分からない文章もあるという状況。

シャドーイングをやって至った結論は

あたりまえだけど

「人間は生まれて初めて聞く音は理解できない」

言い換えると

「過去に聞いたことの無い音や聞きなれない音は異音であり、雑音であり、意味を成さない音にすぎない」

詳しく説明すると、人間の目や耳から入る情報は、実際に聞こえたり
見たりしているというよりはむしろ、感覚器官に入った情報を基に、脳内でそれらを
再現していると言ったほうが良いのではないかと思う。

そう仮定すると、英語学習を阻害する日本語フィルターの説明がうまく収まる。
つまり脳内で英語を再現するときこの日本語フィルター作動してしまうと考えられる。
脳内で英語の音、文字を再現するときに作動するフィルターが英語の上達を妨げる原因と推定される。

I さんの言う「日本語フィルター」は前からわたしが言っていることを同じようです。
つまり、学校英語の音が頭の中にこびりついて生の英語の音を脳に到達させないのだと
わたしは表現してきました。

劇薬シャドーイング(酒井先生命名、筆者としては解毒シャドーイングまたは、リンスシャドーイングと表現したい)
は知らない言語を用いることで、脳を戸惑わせ、フィルター作動機能を凍結させるのある。
または、多量に音を流し込むことにより、フィルタリング処理をわざとオーバーフローさせ、強制的にできない音を飛ばす訓練かもしれない。
初めてのこと、知らないことに急にでくわすと、動作も脳の思考も一瞬固まる経験があるだろう。
まさにそれを実行するのが劇薬シャドーイングであり、
この脳内で勝手に作動する日本語フィルターを凍結させる訓練なのである。
不幸にして、脳内に日本語のフィルターができあがっている人は劇薬シャドーイングが必要と思う。

その通りです、わたしの意図は。

以前から使おうとしてためらってきた言い方では、劇薬シャドーイングで「洗脳」しよう
というのがわたしの意図でした。まったく理解できない音を脳に注ぎ込んで、「判断力」を
麻痺させてしまうこと--それを長い間やりたかったのですが、劇薬シャドーイングが
(「解毒シャドーイング」の方が少し柔らかくて、わたしの意図にも合っているかもしれません!)
ついに「洗脳」を可能にしてくれたように思います、今のところは。

そういう意味では、英語をまったく知らないほうが、多読にしろシャドーイングにしろ
大変有利と思う。英語をなまじ知っているほうがハンディーまたは病気、障害であり
治すほうに時間がかかってしまう。まったく英語を知らない子供やお年寄りに多読の天才が生まれるのはそのせいだと思う。治す時間や日本語フィルターが無いからだと思う。
劇薬シャドーイングはフィルター凍結訓練が目的であるので、うまく発音しようとかは考えないほうがよい。
だから音を間違って言っても、言えなくても単純に口を動かすことだけに専念すべきだ。

まさにその通り! 劇薬シャドーイングでも普通のシャドーイングでも、最初の目標は
声を出し続けること。言葉になっている必要はありません!

筆者の推測だが、ネイティブは英語の文章を単語や文字を全部言っていないし、聞こえていない。
欠落すると文章が再現できなくなるキーになる音だけを聞き取り、脳内で英文を再現できているのだと思う。
要は全部言わないので、英語と言うのは手抜き的な会話に必要な消費エネルギーが最小になるような省エネ的な会話になっているとでも言っておこう。
この英語の特徴を知っておかないと、無駄に発音練習したり、全単語すべて発音しようとする
わき道にそれてしまう恐れがある。

いや、シャドーイングに徹したことで、たくさんの洞察を得ていますね!
「無駄に発音練習したり」、「全単語すべて発音しようとする」ことは「わき道」と喝破しています。

まったくです。発音練習を一生懸命やると、全単語どころか全文字をすべて発音しようと無駄な努力をすることになります。

シャドーイングの練習方法にもつながるが、英語のキーになる音さえシャドーイングで言えれば、
ほかの変な音が言えなくても合格点なのだ。音を飛ばしても良い理由がご理解いただけだろうか。
だから安心して音を飛ばして欲しい。この練習を続けると、飛ばした音が、前後の言えた音から補完できるようになる。
例を挙げるとこれはBBCの気象の話題からであるが、
We’ve been talking about Brazil.はWe,Talkin,abou,Brazilしか聞こえない。これで十分意味は分かるけど多読を併用し、音と文字が一致してくるとWeとTalkinの間に have beenがあることが感覚的にわかってくる。
そうなると、We,Talkin,abou,Brazilを聞いただけで、脳内でWe’ve been talking about Brazil.が再現できる。
そのときがくるまで練習して待ちましょう。必ずその時がきます。
このhave beenを聞き取るなんて無理です。はっきりと言ってないから聞こえないためです。
そういう細部にこだわったhave beenなど一字一句を聞き取る練習は必要ないと思う。

一字一句聞き取る練習は必要ないのです、原理的に!
それはディクテーションは無駄だという表現で何度も書いてきました。

(なお、わたしはディクテーションだって、一つ一つの発音練習だって、他の人に輪を掛けて一生懸命やりました。極端形にならないように「発音練習」したり、聞こえない音を落とす練習もしました。その上で、わたしはあれはすべてまったく無駄だったと思っています。嗚呼!)

英語圏の現地で英語音と、状況場面を目で確認できる環境であれば、音のみである会話のレベルの上達が期待できると思う。
非英語圏で英語の上達を期待するならば、視覚に訴える絵本や映像があると効果的と思う。
また、音だけでも英語上達には片手落ちとなる、会話はできるが文字が読み書きできない人がいることからそれは理解できると思う。だからキーになる音と英文を結びつける練習がある一定のレベルから必要と思う。

I さんのユニークなところは 音 が先に来て、それを 文字 と結びつけるという順番なのですね。
普通はその逆ですもんね、日本では。

シャドーイングの効能の一つにリスニング力の強化があるが、
音を口に出すためには、全神経を尖らせないと難しいのはシャドーイング経験者ならすぐご理解いただけると思う。
これは全神経で外国語音を受け止めるから、脳が非常に活性化し潜在意識に残りやすい。
一方よくある聞き流しは、全神経を尖らせないのため耳から耳へと抜けるだけで効果は低いと思われる。
潜在意識に音を刷り込ませるには、何でもいいから口を動かすこと。
つまり、体で覚えると言うことと思う。体を使えさえすればいいので
極論すれば、外国語の音にあわせて手足を振って踊るのでもいいのかもしれない。シャドーイングはいわゆる体で覚えるという作業に近い。

これもまたその通りです。はまこさんを思い出しますね、古参の仲間なら。
はまこさんの踊るシャドーイングを始めて見た時は本当にびっくり仰天したのでした。

シャドーイングで質より量を求める(多読でも同じこと)のは、
全神経を尖らせた状態で潜在意識に多量の外国語の音を脳にしみこませることで、
強制的に聞き覚えのある音にしていくのが目的と思う。
だから、はじめからネイティブみたいなきれいな発音を追いかけるのは無理だし無意味な努力である。
それよりか量を求めるべきである。
当初聞きなれない外国語の音でも、何度も意識的に聞いていたら、聞きなれるし、聞き覚えが出てくる。
つまり知らない気持ち悪い、わけの分からない音ではなくなり、口ずさみたくなる。
口ずさみたくなるということは、脳で音を覚えているということで、これまでまったく間に合わなかった
ナチュラルスピードのシャドーイングに着いていくことが可能になる。

筆者が酒井先生に、アフリカから日本帰国の経由地のロンドンに降り立ったら、まるで日本に帰国したかのような心地よい気持ちに包まれると言ったことがある。もちろん、英語が理解できるのからという理由だけではなく、知らない単語があって、聞こえた英文が理解できなくともシャドーイングにより潜在意識に英語音が刷り込まれているため、ロンドンでは、聞こえる音が全て、気持ちよく感じる。知らない英文であったとしても聞いたことがある音が必ずまぎれているので、まったく英語に対する恐怖感というか、外国にいる不安感というものが感じられない。逆にまったく知らない言語、どこかの先住民族が話すような環境の中に行けば、不安感があると思う。

お見事です。英語の音が体の奥底まで沁み込んでいなければ、「日本に帰国したかのような心地よい気持ちに包まれる」なんていうことは起こらないのでしょうね。うらやましい境地です。

筆者のシャドーイングに関する結論としては、シャドーイングではきれいな発音よりも量を求めるべきである。

筆者のこれからの目標は、文字なし絵本の多読から初めて、CDで読み聞かせ絵本を利用し、
脳内に焼きついた英語の音と結びつけることだと思う。

おもしろいですね! 大方の方向とまったく違うところから多読に迫ることになります。

でも、それこそ をさなごのやうに ですよね。I さん、報告を楽しみに待っています。
安佐北中学校をよろしくお願いします!

勇気を持って・・・

twitterで、OreRyuTSJさんの記事を知りました。

その中で引用されていたAlfie Kohnさんの意見にはいくつも大きく頷く点があります。

http://www.alfiekohn.org/teaching/edweek/courage.htm

訳は時間がかかるので、各段落の要約です。

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第1段落: 良い授業をやっている人はいくらもいる。問題はそれについて行くせんせいが少ないこと。

第2段落: 残念なことに、先生方の中には現状に満足して、怒るべき時に怒らない人がいる。

第3段落: 臆病ライオン(Oz)は、現状のひどさを認めながら、「今までも、ほかの学校もこうやって来たから」と言う。

第4段落: 勇気ある教育者はどうするか? 掘り下げる、自分で引き受ける、権力を捨てる。

掘り下げる
第5段落: 建前を実行するには勇気がいる。成績と宿題で生徒がやる気を失っている時は、その両方を疑わなければいけない。

第6段落: 成績向上を目指す授業は教師中心かつ教科書中心の授業をさらに悪化させる。厳しければよいというものではない。

第7段落: 掘り下げることは根本的なところを疑うこと--宿題の量ではなく家に帰っても勉強しなければいけないこと、成績の付け方ではなく、成績をつけることそのものを疑うことだ。

第8段落: 勇気のある先生は自問する。「ひどいテストでいい点を取ること」、「生徒は静かにしているが、自分の頭で考えているのか? 従順なのは裕福な家庭の子どもだというだけではないか?」

自分で引き受ける
第9段落: 勇気ある先生は問題を弱い者のせいせず、自問する。「この子にはわたしの手が届いていないのでは? この子を置き去りにした授業計画は見直すべきでは? この子の目が輝くように代えられないか?」

第10段落: 勇気ある先生は、ぐずぐず言う先生に迫り、反対勢力がいたら正面からぶつかる覚悟がいる。生徒のためにならないと思っても、システムを疑問視すると、問題教師とされる。

権力を
第11段落: 予定通りの答のさらに先に生徒を導くには才能だけでなく、勇気がいる。そして予想外の展開とめちゃくちゃを許容し、先生によるコントロールはある程度放棄する必要がある。

第11段落: 「先生が間違っていることもある」と教室に大きく書いて生徒が自ら考えるように促したある先生は、自分の授業が次第に学習者中心の授業からずれはじめ、生徒の発言や活動で授業が予定通りに進まないことを嫌がっていることに気がついた。そこに気づくには勇気が必要だ。

第12段落: わたしが今まで見てきた先生には、生徒に自分で成績を付けさせたり、宿題を全廃したり、教室の飾りを生徒にやらせた人たちがいる。

第13段落: 管理者側にも、権力を一部譲り渡して管理をゆるくした人たちがいるが、それにさえ先生たちは従順に従っていただけで、自律とか、社会性とか、人格とか、動機といった言葉は絵空事だったと気がついた人がいる。

第14段落: 最近もっとも学習の邪魔をしているのは、指導基準-試験という化け物であり、企業風の上からの押しつけで、それが教室から生気を奪っている。ということはそここそ、勇気をいちばん必要とする方面である。

心強いことに、標準テストを基本的には拒否してこう言った先生がいる。「生徒に信じることをやれと言うのだからわたしもやらなきゃ。」 標準テストの「数値データ」は視野が狭く、単純化しすぎだとして拒否し、生徒の必要に応じた独自のデータに注目した先生もいる。「良心的拒否」を勧めたニューヨーク州の視学官は、標準テストに依らない卒業資格を作った。

やるべきことをやることは怖い。たちの悪い法律を作った連中の犠牲者を責めるつもりはない。けれども、生徒をどれほど傷つけているか気がついている教育関係者が声を上げて、組織的に抵抗すれば、悪い制度は自滅する。生徒の利益を大切にするか、上の決めたルートに従うか、悩む人たちは上に逆らう危険を意識しつつ、馬鹿の言う通りにしていると馬鹿になる危険も分かっている。

立ち上がって、ばかげたことをばかげている、と言うのは勇気がいる。回りはみんな座っているから。けれども、あなたの背中を押すためにもう一つ言おう。子どもたちはわたしたちを見て、自分たちがどう生きていくか決めるのだ。

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途中、要約ではなく訳し始めたりして、ふらふらとしていますが、みなさんで全体をもっとよい文章で訳して、たくさんの人に読んでもらえるといいですね。

わたしはしかし、そうか、相当自由にやっていそうなアメリカでもまったく日本と変わらないのだということに、衝撃を受けました。数値、試験、進学重点校、暗記や問題集などの機械的作業・・・変われば変わるほど同じ風景ですね。

甲の薬は乙の毒 シャドーイングにおける劇薬とは?

きのうの記事に二人の読者から質問が来ました。

それは記事の中で留学生が試した「劇薬」シャドーイングの音声素材はなんだったのですか?

というものでした。

そこで、「シャドーイングにおける劇薬とは何か?」という話題をもう一度採り上げることにしました。

劇薬シャドーイングの目的は 学校英語の音、カタカナ英語、極端形の音 を洗い流そうということでした。 (シャドーイングのルートについてどこかに書いたのだけれど、忘れてしまった。検索しても見つからない! だれか教えて下さい。)そこで、どういう音声素材で洗い流すと効果的かは、一人一人ちがってくるのですね。

極端な例を二つ挙げると・・・

*学校英語もカタカナ英語も、まして極端形の音にも影響されていない人の場合は、普通の速さの音声素材をシャドーイングすればよい → 劇薬シャドーイングの必要はない!

*英語のお勉強も尋常ではなかった、それに一つ一つの音を一生懸命練習した、という人の場合(わたしもそうです)、高速の英語でも一つ一つの語を聞き取って、学校英語の音や極端形の音を口から出してしまう場合があります。その場合には劇薬シャドーイングとしてまったく未知の外国語をシャドーイングします。劇薬シャドーイングでまず耳と口を直結してモゴモゴ・シャドーイングにします。

上の二つのタイプの間の状態の人は、学校英語の音やカタカナ音の程度によって、どんな音声素材が劇薬に当たるか、それは、学校英語やカタカナ英語がどの程度体に染みこんでいるかで違ってきます。ひとによっては劇薬まで行かないけれども高速の英語(分速180語? 200語? 場合によっては倍速再生で300語?)でなければモゴモゴにならない場合があります。

それほど学校英語の音やカタカナ音が染みついていない場合は、中速英語でも大丈夫でしょう。人によって違うし、シャドーイングを聞かせてもらいながら速さを調整しますが、ざっと分速130語か140語くらいから160語、170語くらいかな?

だいたいのことは分かったと思います。きのうの記事の劇薬シャドーイングは映画だったので、場面や俳優によって、早いところでは分速180語くらいになるかもしれません。

けれども、留学中の大学生にそのくらいの速さが劇薬シャドーイングになるのだろうか?という疑問が湧くかもしれませんね。それはわたしもよくわかりません。でも、これまで見て聞いてきた例から考えると、留英語の映画の音声が学生にとっても劇薬になることはありえると思います。

ま、これからもっと資料が集まったら、もっとはっきり言えるようになるでしょう。ぜひみなさん、なんでもかんでも、報告を!