一口大 について

bite-size と書いたり、一口サイズと書くこともあります。
(口調としては bite-size の方がいいんですが・・・)

「一口大」についてはまだ一度も書いてなかったようですね、
こちらのブログでは。どのくらい大事な「認識」か、まだ分かりませんが、
今どう考えているか、メモしておこうと思います。

多言語多読ブログでは何度も書いています。
初出は今年の1月でした。あちらのブログのタグに 一口大
というのがありますから、クリックしてください。
で、初出の記事の中でこう書いています。

(bite-size とは「一口大」のことと思ってください。
食べ物なら気持ちよく口の中で噛める大きさ、
文章なら、すっと抵抗なく、リズムよく、気持ちを乗せて読める一文の語数です。)

ここで書いた「読める」は「声に出して読める」つまり朗読や読み聞かせが
できる、という意味です。

それで、もし大事な認識であれば、今後少しずつ書き足していくことに
なるでしょう。それまではメモ程度で済ませることになりますが、
今回のメモは 一口大から文字を黙読することについて、です。
というのは、これまで、一口大 をわたしは口から気持ちよく、リズムよく
声に出せる「長さ」と考えてきましたが、きょう、ふと、

読むのも一口大から少しずつ大きくすると、しぜんに かたまり読みができる?

と思ったのですね。「一口大」を読む方にも適用できるのではないか、と・・・?
たとえばこどもはそれこそ「一語文」と呼ばれるところから出発して、
少しずつ長い文を言うようになると考えられていますが、
読む方でも同じことが、おとなに、起こりうる?

ま、これはメモです。頭の隅に置いておいて、時々思い出しながら
実際と比べてみましょう。とにかくわたしは かたまり読み が出来ない人なので・・・

こどもがおとなになるとき・・・

こんな風におとなになることもあるのですね・・・

娘の英語の今年の教科書。去年と同じシリーズで、つまらなさ倍増。あまりにつまらないので、音読してやったら、 ”ああやめて。その、文法できれいに単語並べてみました的ナ英語。。” だって^^; 的を射すぎていて笑った。

この女性は高校2年生です。
「文法できれいに単語並べてみました的ナ英語」
すばらしい感覚ですね・・・!
こういう感覚を持たないおとながほとんどなのに、
この人は教科書の英語がどういうものかピタッと分かっていて、
その上、次のような感想を洩らした・・・

”これを一時間も勉強してたら、そりゃ~つまらないってもんだろうねぇ。。” と言ったら、
”もう、大人になって聞くしかないって事なんだよねぇ。。” としみじみ^^; なんだかな~~

文科省の役人よりも、教科書出版社よりも、高校の英語の先生よりも
世の中を見てしまった高校生・・・ いわば、おとなよりもおとな・・・

わたしのこどもだったら、

「そんなとこでおとなになんかならなくていいんだよ。
聞かなくていいよ。何か好きな本でも読んでるといいよ」

と言うところですね。
実際わたしは二人のこどもにそう言ったのですけどね。
(いや、「英語の時間は耳をふさいでいなさい」と言った。)

第2回多読祭りの報告です!

第2回多読祭りは強風豪雨の予報にもかかわらずとても盛会でした。
写真を見るとその場の雰囲気を思い出します。最初の写真は
開会前にすでに始まった英語多読体験相談コーナーの様子です。

http://tadoku.org/blog/

今回は来られなかったみなさん、今年度のもう一つの催しに
来てください! 8月3日日曜日の多読セミナーです。
場所は文京区の文京学院中学高等学校。

カレンダーに書き込んでおいてください!
それとも来年まで待ちますか?

メモ:シャドーイングの理論的根拠!?

つい最近、OreRyuTSJさんのブログを読んで、わたしと二人の間で議論がありました。

OreRyuTSJさんはシャドーイングがどうも好きになれないらしい。
そしてその理由は(わたしの表現ですが)「機械的な作業」に思えるかららしい。
機械的作業はことばの獲得とは無縁だとわたしも考えています。

そこで、シャドーイングは基本的には機械的作業ではないこと、でも、
強制的に機械的作業として劇薬シャドーイングをする必要がある場合がある、
この二つのことをメモしておきます。

一つ
赤ん坊でもこどもでも、時にはおとなにも、意持ちよく耳に入ってくる音は繰り返したくなる。
赤ん坊なら近親者の声、こどもなら気持ちよいリズムやメロディーやリズムを持った音、
そしておとなでも、こどもと同じように繰り返し始める人がいます。

赤ん坊はきっとお母さんのお腹にいる時から、母親の声や父親の声(?)を
脳内シャドーイングをしているのではないかとわたしは想像しています。

安心させてくれる音、気持ちのよい音、気持ちや考えを伝えるのに大事な音は
シャドーイングをしてこちらからも使えるようにすること--これはほとんど本能なのではないか?

わたしがはじめて見た flash mob はアントワープ駅のSound of Music でした。

https://www.youtube.com/watch?v=bQLCZOG202k

YouTubeのページに跳ばない場合は、コピー・ペーストでどうぞ!

回りで見ている人たちが勝手に踊り出したり、手拍子を打ち始めたり、
なかでもわたしが好きなのは2分50秒くらいに映っている女性です。
いかにも我慢できないという風に踊り始める・・・

シャドーイングもそういう素材を見つけることが第一歩かもしれません。

二つ
一つ目から、シャドーイングの素材はぜひ自分でもこんな風に朗読したいとか、
好きな俳優だといった「好き」を基準にして選んでほしいと思いますが、
音についても学校英語の影響を強制的に洗い流す必要がある場合があって、
その場合はなんらかの劇薬シャドーイングが必要になります。

好きな朗読の聞き読みシャドーイングで穏やかに、少しずつ学校英語の音が洗い流される
場合もありますが、学校英語の音の染みつき方によっては、「好き嫌い」は言っていられ
ません。半ば強制的に機械的作業をすることになります。

メモなのでここまでにします。質問があればどうぞメールフォームから寄せてください!

なお、シャドーイングはドリルではないという考えは1年ちょっと前にフォーラムに投稿して
いました。katobushiさんの質問に答えたものです。2012年の12月でした。
それに続く投稿に下の引用があります。

Q1. そもそもどうしてシャドーイングをするのか?

いろいろ理由があります。一つ一つ書くときわめて長大になるので、箇条書きで、いま思いつく理由を・・・

* 外国語の音に馴染む (英語だけではないです。)
耳も、口も、馴染む! メロディーも、リズムも、音にも馴染む!
カタカナ英語の音を洗い流す!

* (特に劇薬シャドーイングは)学校英語の知識を壊して、溶かして、液状化する!?

以上のことをすべてを「スピーキングの足がかり」と呼ぶなら、足がかりです。
けれども「口を使う」からといって、シャドーイングで直接話すことにつながるのではないと
考えています。聞く・話す・読む・書くはつながっています。
シャドーイングは「口を使うドリル」ではないですね。もっといろいろなことにつながっていると
思われます。その意味では

* 文法にもつながっている!

* 書く文章のリズムや流れを自然にする!

この二つはほとんど同じことを言っているといっていいでしょう。(う、我ながら深い!)