YL と語数 がわたしたちの多読におおいに役立った時代がありました・・・
バイトサイズの話も興味深く読んでいます。
YLの話も、うん。。。まああれは自転車の補助輪みたいなもんですかね。
途中からYL絶対信仰!的な雰囲気がでてきて、それはおかしいだろと
思ってましたが、みんなあれで自転車に乗れるようになったんだよなあ。。。
(遠い目)
いつかはぜったい外さなきゃ遠くへは行けないんですけどね。
YL と語数 がわたしたちの多読におおいに役立った時代がありました・・・
バイトサイズの話も興味深く読んでいます。
YLの話も、うん。。。まああれは自転車の補助輪みたいなもんですかね。
途中からYL絶対信仰!的な雰囲気がでてきて、それはおかしいだろと
思ってましたが、みんなあれで自転車に乗れるようになったんだよなあ。。。
(遠い目)
いつかはぜったい外さなきゃ遠くへは行けないんですけどね。
さっそく来ましたよ。たどくで育った(?)子の不満が・・・
これはすっごく共感するトピックですね^^。次女も、先日、学校の課題の英語のCD聞きながら、”ああ~~!!もう!!音が多すぎるんだっ!!”って文句言ってました。この感じ、すごくわかりますね。
「音が多すぎるんだっ!!」というところに唖然・・・
たぶん「音が落ちていない」ことが不満なのでしょうが・・・
わたしは学校英語の特徴をそんな風にパシッと捉えられるだろうか?
音が多すぎるんだ!!--考えよう!
きのうの続きです。
「ぐちゃぐちゃ英語の方が気持ちいい」というのは、分かりにくい感想ですね。
でも、英語独特の音のくせに慣れると、カタカナ英語やきっちり発音はかえって
分かりにくい場合があるようです。
わたしはさすが学校の先生を長くやっていたので、
カタカナ英語だろうと、きっちり発音だろうと、分かります。
わたしも分からなくなりたい・・・
Tadoku三原則(仮)の提案以来、続々と意見が寄せられています。
実にうれしいです。そしてナッツボンさんからこんな報告も・・・
水曜日のNPO多言語多読の講座生で、いまは仕事が忙しくてブッククラブ会員になっていますが、
劇薬シャドーイングがすっかり気に入った人がいて、その人によると、英語のシャドーイングは
「分かってしまうのでおもしろくない」とか。すごい人がいるものです。
Tadoku三原則の ① 「仲間といっしょに」 についても意見が多く寄せられています。
(引用を許可してくださった意見は全部紹介します。)
いろいろな意味でこれまでの多読とは違ってきます。
実際にはこれまでの多読にもSSSという場があって、「仲間」がいて、
一人一人の多読を楽しみ、楽しさは何倍にもなったのでした。
一方ここ5、6年ほど、わたしは SkypeやTwitterやNPO多言語多読の講座を通して、
直接語り合う相手がいるとことばの獲得がとてつもなく楽しく、その結果早くも
なる様子をつぶさに見てきました。
そこで「① 仲間といっしょに」という原則が出てきたのですが、
SSS以来の変化を見てきたある古い「仲間」はどう考えているか・・・